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婚約破棄されて追放寸前だったのに、なぜか冷徹なはずの氷の公爵様から世界で一番甘く愛されています。  作者: 黒崎隼人


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第4話「温かな公爵邸と不器用な優しさ」

 あの後、パーティー会場がどうなったのか、よく覚えていない。

 キリアン様は呆然とする私を腕に抱いたまま、誰にも何も言わせる隙を与えず、私を会場から連れ出した。

 用意されていた馬車に乗り込み、夜の闇を走り抜ける。

 その間も、彼は私の手を固く握り、一言も話さなかった。


 馬車が着いたのは、都の一等地に立つ、壮麗な屋敷だった。

 アシュフォード公爵邸。

 緊張でこわばる私を先に降ろし、キリアン様は静かにエスコートしてくれた。

 重厚な扉が開くと、ずらりと並んだ使用人たちが深々と頭を下げる。


「お帰りなさいませ、キリアン様。そして、リゼット様」


 初老の執事が、穏やかな声で言った。

 驚いたのは、彼らが私の名前を知っていたことだ。まるで、私がここに来ることが、ずっと前から決まっていたかのように。


「部屋へ案内してやれ。それから、温かい飲み物と、何か食べやすいものを」

「かしこまりました」


 キリアン様の短い指示に、使用人たちは淀みなく動き出す。

 私は、ただその流れに身を任せるしかなかった。


 案内された部屋は、信じられないほど広くて、上品な調度品で統一されていた。

 窓の外には、月明かりに照らされた美しい庭園が見える。

 天蓋付きのベッド、暖炉、柔らかなソファ。王宮で与えられていた私の部屋よりも、ずっと豪華で落ち着いた空間だった。


「リゼット様、お着替えはこちらにご用意しております」


 若い侍女が、クローゼットを開けて見せる。

 中には、私が着られそうなサイズの、シンプルなデザインのネグリジェや室内着が何着も並んでいた。

 何もかもが、用意周到すぎる。


『キリアン様は、一体いつから……?』


 混乱する頭で考えていると、不意に部屋の扉がノックされた。

 入ってきたのは、見知った顔。


「お嬢様!」


「アンナ……!」


 息を切らして駆け寄ってきたのは、私の侍女のアンナだった。

 どうしてここに? 彼女は実家の屋敷にいるはず。


「アシュフォード公爵様が、先触れを出してくださったのです! お嬢様をお引き取りになること、そして私をお側に置いてくださること、全てヴァインベルク公爵様にご許可を取って……!」


 アンナは、私の手を取って涙ぐんでいる。

 私がパーティーで婚約破棄された後、実家に戻る前に、キリアン様はすでに手を打ってくれていたらしい。

 もし彼の助けがなければ、私は父に勘当され、アンナとも引き離され、行くあてもなく路頭に迷っていたかもしれない。


 その事実に気づき、全身の力が抜けていく。

 張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。

 足元がふらつき、その場に崩れ落ちそうになるのを、アンナが必死に支えてくれた。


「お嬢様、もう大丈夫です。大丈夫ですから……」


 アンナの温かい腕の中で、私はようやく、こらえていた涙を流した。

 屈辱、悲しみ、不安、そしてほんの少しの安堵。

 ぐちゃぐちゃになった感情が、涙になって溢れ出して止まらない。

 声を殺して泣く私の背中を、アンナはずっと優しく撫で続けてくれた。


 ***


 しばらくして、少し落ち着いた頃。

 侍女が運んできてくれた温かいハーブティーを飲んでいると、キリアン様が部屋を訪ねてきた。


「少しは落ち着いたか」


 彼は暖炉の前に立ち、私から少し距離を置いて尋ねる。

 その気遣いが、ありがたかった。


「……はい。あの、キリアン様。どうして、私を助けてくださったのですか」


 一番聞きたかったことを、思い切って口にする。

 婚約破棄された、いわば『傷物』の令嬢。そんな私を、公爵である彼が引き取るメリットなど、何一つないはずだ。


 キリアン様は、しばらく黙って燃える炎を見つめていた。

 その横顔は、やはり彫刻のように美しく、感情が読めない。


「君が、あのような場所で、不当に貶められるのを見過ごせなかった。ただ、それだけだ」


「不当に、ですか……? キリアン様は、私が無実だと信じてくださるのですか」


「信じるまでもない。事実だからな」


 淡々とした、しかし有無を言わせぬ断言。

 私は息をのんだ。

 エドワード殿下も、父でさえも信じてくれなかったのに。

 この人は、どうして。


「今夜はもう休め。詳しい話はまた明日。何も心配はいらない。ここは、君の家だ」


 それだけ言うと、彼は部屋を出て行った。

 ぱたん、と静かに扉が閉まる。

 部屋には、暖炉の薪がはぜる音だけが響いていた。


『君の家だ』


 その言葉が、凍りついた心の奥に、小さな灯りをともしたような気がした。

 温かくて、少しだけくすぐったい、不思議な感覚。

 まだ彼の真意はわからない。

 けれど、今はただ、差し伸べられたその手を信じてみようと思った。

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