第1話「偽りの断罪、偽りの涙」
【登場人物紹介】
◆リゼット・フォン・ヴァインベルク
本作の主人公。ヴァインベルク公爵家の令嬢。王太子の婚約者だったが、根も葉もない噂で『悪役令嬢』に仕立て上げられ、婚約破棄されてしまう。芯が強く心優しい性格で、枯れた植物を癒す不思議な力を持つ。
◆キリアン・アシュフォード
『氷の公爵』の異名を持つ、アシュフォード公爵家の若き当主。感情を表に出さず冷徹だと思われているが、実は情が深く、冤罪に苦しむリゼットの真価を見抜き、彼女を救い出す。リゼットをひたすらに溺愛する。
◆エドワード・フォン・クラインハルト
リゼットの元婚約者である王太子。プライドが高く、自分に都合の良い言葉だけを信じる愚かさを持つ。偽りの聖女エリアナに夢中になり、リゼットを断罪するが、後に全てが間違いだったと知り、深く後悔することになる。
◆エリアナ
平民出身でありながら『聖女』として見出された少女。可憐な見た目とは裏腹に、強い嫉妬心と計算高さを持つ。王太子の寵愛を盾にリゼットを陥れ、我が世の春を謳歌するが、やがてその嘘は暴かれる。
◆アンナ
リゼットに幼い頃から仕える侍女。リゼットの無実を誰よりも信じ、彼女が公爵邸へ移ってからも側に仕え、心の支えとなる。明るく忠誠心の厚い少女。
シャンデリアの光が降り注ぎ、着飾った貴族たちの笑い声がワルツの旋律に溶けていく。
王立学園の卒業記念パーティー。
きらびやかな喧騒の中心で、私は一人、冷たい氷の海に突き落とされた。
「リゼット・フォン・ヴァインベルク! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」
金色の髪を揺らし、青い瞳に怒りをたたえて叫ぶのは、私の婚約者であるエドワード・フォン・クラインハルト王太子殿下。
彼の隣には、小動物のように震える可憐な少女――平民でありながら聖なる力に目覚めたという、エリアナが寄り添っている。
周囲のざわめきが、ぴたりと止んだ。
全ての視線が、まるで鋭い針のように私に突き刺さる。
『婚約破棄……?』
言葉の意味が、うまく頭に入ってこない。
エドワード殿下の唇が、さらに残酷な言葉を紡ぐ。
「貴様は聖女であるエリアナに嫉妬し、彼女の教科書を破り、ドレスを汚し、階段から突き落とそうとまでした! その悪逆に満ちた心、もはや王太子妃にふさわしくない!」
「お待ちください、エドワード殿下。私は、そのようなことはしておりません」
かろうじて絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く震えていた。
もちろん、すべて身に覚えがない。
エリアナさんが教科書をなくしたと言えば、私が隠したことにされた。彼女がドレスにワインをこぼせば、私がわざとぶつかったと騒がれた。階段の件なんて、よろけた彼女を助けようとしただけなのに。
全てが、巧妙に仕組まれた罠だった。
「まだ言い逃れをするか!」
エドワード殿下の怒声がホールに響く。
彼の隣で、エリアナが儚げに涙を浮かべた。桜色の唇が、か弱く震える。
「殿下、もうおやめください……。リゼット様も、悪気があったわけではないのです。平民の私が殿下のお側にいるのが、お気に召さなかっただけで……。すべて、私の至らなさのせいですわ」
なんて健気なのだろう。
周囲の貴族たちから、同情のため息がもれる。そして、その同情はすぐに、私への非難の眼差しへと変わった。
『なんて恐ろしい令嬢だ』
『聖女様に嫉妬するなんて』
『公爵令嬢の風上にも置けない』
ひそひそと交わされる言葉が、私の心をナイフのようにえぐっていく。
違う。違うのに。
あなたのその涙が、一番の武器だと知っている。その言葉が、私を貶めるための毒だと知っている。
でも、私の声は誰にも届かない。
今まで何度も、殿下に訴えてきた。エリアナさんの言動には不可解な点が多いと。どうか、私の言葉を信じてほしいと。
けれど、彼は一度として耳を貸さなかった。エリアナの涙を信じ、私の訴えを嫉妬深い女のヒステリーだと切り捨てた。
「リゼット様……ひどいです。私、リゼット様とは仲良くなれると思っていましたのに……」
エリアナが、わざとらしくハンカチで目元を押さえる。
その完璧な演技に、吐き気がした。
「リゼット、聞いているのか。貴様の行いは、ヴァインベルク公爵家の名誉を著しく傷つけた。我が父、国王陛下にも既に報告済みだ。貴様は今後、王宮への出入りを禁ずる!」
それは、事実上の追放宣告だった。
視界がぐらりと揺れる。立っているのがやっとだった。
背中に冷たい汗が流れる。父や母は、このことをどう思うだろう。厳格な父のことだ、家の名誉に傷をつけたと、勘当されるかもしれない。
もう、私の未来には何もない。
光り輝くはずだった道は、今、この瞬間、音を立てて閉ざされた。
絶望が、冷たい霧のように全身を包み込んでいく。
パーティーの喧騒が、ひどく遠くに聞こえる。
誰も、私を助けてはくれない。誰も、私を信じてはくれない。
この華やかな牢獄で、私はたった一人、断罪される。
唇を噛みしめ、必死に涙をこらえた。
ここで泣けば、罪を認めたことになる。ヴァインベルク公爵令嬢としてのプライドが、それだけは許さなかった。
背筋を伸ばし、震える足で踏ん張る。
「……殿下のお言葉、承りました」
声を振り絞り、最後の力を込めて、私はそう告げた。




