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第三話

伯爵の告げた言葉に、ゴルティ侯爵の顔色が一段と悪くなった。

 広間の誰もが息を詰め、これからの推移を見守る。

 これは私的な揉め事ではない。 貴族社会の秩序そのものに関わる問題――その認識が一斉に共有された瞬間だった。


 女侯爵は涼やかに微笑み手を2度たたいた。


「これから貴族学院を卒業し帝国の支柱となる公達は特によく聞いてください」


 と、女侯爵が話し始めた。

 先ほどまでの甘さがにじむ貴婦人としての声音ではなく、華やかな中に司法院に入局した新人に教える教官のような厳しさを声音に滲ませていた。


 その物言いに、ゴルティ侯爵の肩が小さく震えた。

 

 「昨今、市井で流行の”真実の愛”のために幼少時からの婚約者に対して”婚約破棄”を行うという小説が下位貴族にまで広がり始めています。」

 

 会場内のすべての人々が女侯爵の話に、息をのむ音すら立てられないような緊張の中、耳を傾けている。


 「物語として楽しむだけならばよいが、すでに今日のような衆目監視の中での婚約破棄が数件認められます。先ほど目にした婚約破棄は個人間で終わる簡単な案件と思っての蛮行に見えました」


 女侯爵は貴族学院の教鞭をとるように息もつかずに話を続けた。


 「貴族の婚約は、何の担保もない空虚な”愛”などというものではなく明確な目的のために協力しあう関係になる契約です。」


 「空虚ってなんですか?!愛はもっと崇高なものです!!それを理解しないなんて……!」


 激高する男爵令嬢やその取り巻きの子息達が女侯爵に身を乗り出すように食って掛かった。


 す……っと優雅に女侯爵が右手を上げる。


 「あなた方の振る舞いは貴族社会への反抗に留まらず、この帝国の根幹を揺るがす行いだとの自覚はありますか?」


 その麗しい顔に冷たさの色を乗せたまま静かに断言した。


 「こ……高位貴族といってもた……たかが田舎の伯爵家じゃないか!ゴルティ侯爵家よりも下位の家の者が賢しらに!我が家のような中央の下位貴族が皇帝陛下の下この国を運営しているのだ!ただ威張り散らしているお前たちじゃない!」


 「そ……そうよ!この国を支えているのは大勢の帝国民たちだわ!一部の高位貴族じゃない!帝国民たちの愛国心で支えられているの!契約や義務じゃなくて愛が国を導いているのよ!」


 男爵令嬢の取り巻きの下位貴族たちが鼻息も荒く顔を赤くして叫び始めた。


 会場内は知らぬうちに若者たちの叫び声だけになっていた。


 招待客たちの囁きさえも音ではなくなっていた。


 ある者は訝し気に騒ぎの元凶を見て、またある者は扇の奥に感情を隠していた。



 「……では貴方方、貴族の結婚の手順を詳しくご存じ?」


 若者たちの激高した声に怯むことも、嘲ることもなく、声の調子も表情すらも変えずに女侯爵は問うた。


 「え?……………………そ……そんなの貴族学院で習ってないわ!」


 「今の話にそんなの関係ないだろ!話をはぐらかすなよ!」


 「……まったく困ったものね。貴族の結婚は婚約申請書を議会に提出することから始まり皇帝が臨席する御前議会で決定を受けなければ認められません」


 貴族法に記載がある事項だから貴族学院で習うはずなのだけれど……と、女侯爵は話し始めた。


 

 「皇帝と議会の許可がなければ結婚できないのですから、それは皇命と同じ重さがあるのです。その婚約や婚姻を一方的に破棄することは皇命に反逆することと同意と見なされます」



 「皇命?!」


 悲鳴のような叫び声があがった。


 「そ……そんな反逆なんて……」


 何とか奮い立たせていた気概が一気に崩れ落ちる。


 「わ……私たちは国の歯車じゃないわ!貴族も平民も同じ人間よ!」


 男爵令嬢は震える体を何とか支えようと声を上げた。


 「……あなたには帝国を支える貴族としての義務も気概も心構えも持っていないのね」


 「そんなの持ってないわ!まだ私たちは未成年だし、私……は平民上がりのなんの力のない男爵令嬢だし……だれかに守ってもらわないと……」


 愛を高らかに掲げていたはずだった男爵令嬢だが徐々に目線を彷徨わせ自信のなさが声に出ていた。


 「……マチルダ嬢、貴方ならどう答えるのかしら?」

 

 女侯爵がマチルダに扇を向けた。


 「ほえ?」


 まったく注意を向けていませんでした。と授業で教師に質問を向けられた生徒のような気の抜けた声を出してしまった。


 「え?え?私ですかぁ?」


 ほほを両手で包み込むようにあててえーとえーとと呟きながら焦っていた。


 「貴方、完全に蚊帳の外にいた気になっていたのね」


 女侯爵は扇でため息を隠した。隠したかったのはため息だけでなく少し上がった口角だったのかも。


 「だってぇ~、私関係なくないですかぁ?気になる事をちょ~と言っただけですものぉ」


 それに……とマチルダは遠慮なく続けた。


 「お父様から高位貴族の方や大人たちのお話し合いに口を出してはいけませんって言われてますぅ」


 婚約者のセルジュの後ろから半身を出したままでの物言いに、女侯爵は今度はため息だけを隠した。


 高位貴族への敬意は、マチルダの笑顔のどこを探しても見当たらない。


 気が緩むと眉間を指で押さえてしまいそうなほどに慇懃無礼な態度をこの場で指摘するべきだろうか?それとも……。


 「ヴァルメイル侯爵閣下、遅ればせながらご挨拶申し上げます」


 マチルダがずっと盾にしていた彼女の婚約者であるハートレイ伯爵令息セルジュが女侯爵に礼をとった。


 「お久しぶりね、ハートレイ伯爵令息セルジュ様。今日はお父様はおいでなの?」


 「本日は我ら兄弟に招待状が届いたものですから、兄が保護者として参加させていただいております」


 「あら?ダルエン男爵がいらしてるの?彼、今はノードセプオン辺境伯様の辺境軍に所属しているのではなくて?」


 「はい、そうなんです。今の生活拠点は北辺境領ですが、今回はゴルティ侯爵令嬢と貴族学院の同窓という縁で兄に招待状が来まして」


 ちらりと後ろを振り返ったセルジュは、マチルダの背中を押して自身の前に軽く押し出した。


 「ご挨拶させていただきます、婚約者のローダンヌ子爵家のマチルダ嬢です。マチルダこちらは皇帝陛下の法律顧問官ヴァルメイル侯爵閣下だ、ご挨拶を」


 「先ほどは失礼いたしました、ハートレイ伯爵家セルジュ様とこの度婚約いたしましたローダンヌ子爵アーノルド・マクシミリアンの次女マチルダでございます。」


 数年前まで平民として市井で暮らしていたとは思えないほどのカーテシーを披露したのだった。


 今日これまでの事を思い返してみてもやはり、納得のできる所作だった。


 「子爵令嬢としては及第点をはるかに超える所作だわ、教師の教えをよく吸収しているわね。流石はローダンヌ子爵のご令嬢といったところかしら」


 「恐れ入ります。侯爵様からお褒めいただいたと知ると父も大喜びします」


 にこにこと邪気のない笑い顔をして女侯爵への返事をした。


 ローダンヌ子爵は、ノードセプオン辺境伯のお気に入りの側近で貴族学院では皇帝陛下の同窓、皇太子時代の陛下が側近に加えようとしていた人物。

 庶子とはいえその娘であるマチルダ嬢も付け焼刃と見えないほどの美しい所作を披露した、なんて……学院を卒業するころにはもっと恐ろしくなっているわね。


 女侯爵は瞳の奥に焦りを隠した……誰にも気取らせずに。




 「……さて、では先ほどの質問に答えをくれるかしら?」

 

 「ほえ?質問ですか?……えっ……と、もう一度教えてくださいますか?」


 先ほどまでの市井で育った貴族もどき令嬢に戻ったようだ。あまりにも変わり身の早さに眩暈がしそうだ。


 「……自身の愚かな考えによる一方的な婚約破棄は帝国の社会制度への反逆になる。貴方の意見は?」


 マチルダはんー……と、小首をかしげ唇の下に指を当ててかわいらしく考える。

 他者から見て自身が一番かわいく見える仕草――しかし貴族の所作から外れない――を調べつくしているかのようだ。


 「私たち領地持ちの田舎貴族は領民たちと共に生きています。この帝国を領民たちと共に支え共に富み、そして国と民を守る。ただ貴族というだけで贅沢と権威を享受する存在ではありません。我ら辺境貴族は有事の際には国と民を守るために武器を手に取る覚悟は常に持っていますから」


 「ですから辺境の田舎貴族が平民だとか下位貴族だとか身分が低いからと虐げたりはしません。アルシーヌ伯爵家も我ら北辺境地の貴族ですから」


 「なっ!!」


 驚き声を上げる男爵令嬢とその取り巻き達をみて、あれ?とマチルダは首を傾げた。


 ん?あの反応もしかしてアルシーヌ伯爵家がどこの派閥貴族かも知らなかった?


 まさかそんなわけないよね~、でももしかして……。と、マチルダは恐る恐る聞いてみた。


 「え……っと、まさかとは思いますがアルシーヌ伯爵が北辺境軍の重鎮のお一人だとは知らなかった……と?」


 

 「……北辺境軍の……重鎮……?」


 意図せずぼそりと落とされた声音は、本人以外の誰にも拾われないとゴルティ侯爵は思っていた。


 「あら?まさかゴルティ侯爵も知らなかったの?」


 しかし、貴族議会でことごとくやりあった強敵は、扇を広げたがいつものように口元を隠すことはなかった。

 今まで崩れなかった優雅な貴族の微笑が驚愕の表情に変わったのを人前で見せつけるように。

 少し……いやかなり作為的な驚愕の色。貴族議会で針孔ほどの綻びを見つけて論説で切り込んでくる時と同じ鋭さで。

 

 「ゴルティ侯爵もご存じの通り、皇宮の文官貴族は、元々辺境の名門貴族から継ぐ爵位のない子息が多いわ。しかし、本家と分家のままではどれほど優れた法案も通らない。名門貴族たちの意向が優先されてしまい法治国家として運営もままならなくなる。そのために当時の皇帝陛下は家門から独立させ新たな貴族家を興させたのよ」


 この会場にいる皇都の文官貴族家の者たちが固唾を呑んだ。


 「当初の目論みはうまくいったわね。優秀な文官貴族達が次々と法案を通し帝国を発展させていき、辺境貴族達も隣国との戦争にも勝利を挙げ帝国領土の拡大に力を合わせた。しかし……侵略戦争もなくなり隣国とも平穏に交易で交流が行われるようになってから両者間の軋轢が目に見えて大きくなってきました。文官貴族家は辺境貴族達に負けまいと殊更尊大な態度で見下すようになり、辺境貴族達とはますます溝ができていったわ。その溝を解消することを目的とした政策が辺境貴族家と文官貴族家との婚姻だったわね」


 貴方もご存じのはずよね……。


 ことさら驚いて見せた女侯爵はゴルティ侯爵に視線を向けたまま、笑みに含ませた感情ごと扇で隠した。


 







 

今回もお読みいただきありがとうございます。

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