ロク
背後から声のようなものがする、声のようなもの、耳をすませばそれは銅鑼の音のようにも聞こえた、やがてその音は近付いてきて大きくなる、そう、私を包み込もうとしているのだ、しかし、その場から逃げようだとか、その音に耳を塞ごうだとか思わない、そして、凄まじいまでの衝撃が全身を打ち付ける、私は既に立ってはいられなかった。更に心地の良い痺れが全身を駆け巡ると私の身体は墓石のように硬直した。しかし、そんな身体とは裏腹に意識だけが無限に冴え渡って行くのが分かる、やがて身体の硬直と意識の冴え渡りが臨界点で交わったような感覚がした時に強烈なスパークが私を襲った。
その時に私が最後に見た幻想は凄まじいスピードで回転する時計の針、気付けば一時間は過ぎていた、私は全身に脂汗をかいたままその場に倒れ混んでいた。
「ジョニサン、気分はどうだい?」
シーンズはそう言って私に清潔なタオルを渡し、スコッチウイスキーを一杯差し出した。
「"突き抜けた"よ……」
私は率直な感想を述べた、"突き抜けた"、今の私にはその言葉だけが自然と出てきたものだった。感覚がそういった状態にあった。差し出されたスコッチを飲み干し、タオルで汗を拭うと私はよろけながらも立ち上がった、時計が夜の七時過ぎを指しているのに気付いた辺りから意識の輪郭のようなものが途端にはっきりとし、肉体全身に活力と勇気が漲るのを感じた。私は私の役割を勤めなくてはならないと強く感じた。シーンズはそんな私を見るなり「そろそろクラッカー狩りの時間だ」と言って私の肩に手を置いた、私はジャケットの襟を正して深く呼吸をした後にシーンズの輝ける眼を確りと見つめて言った「ありがとう、勇気が沸いたよ、必ず依頼を遂行してみせるよ」私は借りた部屋へ一旦戻り、仕事の準備にかかった、ブローニングハイパワーと銀弾の準備を、ブロードソードの準備を行った、そして、屋敷の廊下を早歩きで行くと入り口にはランプを持ったとメイドとシーンズがいた、私はそのランプを借りて屋敷の外に出た、シーンズは私に一言ばかり「気をつけてくれよ」とだけ言った、村は既に静まり返って、元から夜な夜な出歩く人間がいるような村ではないにせよ、クラッカーの驚異が村人をより静まり返らせていた、クラッカーは魔王の"眷属種"と呼ばれる魔物で、属性ならば獣でありながら闇に属する存在らしい、故にギルドから支給された銃弾は銀の弾丸なのだ、これを二、三発喰らわせれば、いかに"クラッカー"であろうとも絶命は免れないはずなのだが、それ以前に毎夜神出鬼没のクラッカーを何処で待ち伏せするかがポイントとなる、私には秘策と呼べるようなものは無かった、ただ先ほど吸引した"スクリュー・アップ"が私に活力と興奮の伴った勇気をもたらしていた、俄然と意識は鋭く、村の隅々の音が手に取るように分かる気さえした、その状態自体が私にとっては素晴らしい経験でもあった、覚醒状態にある意識と感覚を心地良いスリルが支配していた、異様な大きさの満月が夜空に張り付いており、その月明かりがスナジ村全体を照らしてもいた、静寂の中で風だけが音もなく吹き抜けて行った、村の南側にある平原からの風か、花の香りが夜風にくるまれて鼻腔をかすめた、何せ小さな村なのだから一周するのに一時間と時間を有することはなかった、私は村の外れにあるりんご農園に向かって歩き始め、舗装もされていない歪な砂利道を静かに用心深く歩いた、喉の渇きを覚えりんご酒を一口飲むと、やがて口の中と同じ果実の甘い香りが立ち込めてきた、その中に凄まじい獣の臭いが混じっていることに気付いた、あからさまに異質な存在がいることに私の神経は再び冴え渡った、左手にあるりんご農園の奥にあるりんごの木々の隙間から音がする、獣の臭いもそこから辿ることができる、確実に"ヤツ"いる、クラッカーがいる、しかし、どうすればいいのか私は幾分の思案を余儀無くされた、無闇に飛び込めば確実にヤツの餌食になる、どうにか月明かりの真下にヤツを誘き寄せてブローニングハイパワーの銀弾を喰らわせなくてはいけない、そこで私は閃いた。
「りんご酒だ…」
先ほど屋敷でシーンズから渡されたタオルにりんご酒を浸し、農園の外の砂利道に置いた、りんごよりも濃厚でかつアルコールの成分も含まれているりんご酒の香りならクラッカーを誘き寄せることができる筈だ、尚且つクラッカーは視覚でなく嗅覚に頼る魔物モンスターだ、上手くいけば倒すチャンスがあるだろう、私はりんご農園とは反対側にある草薮に身を潜めてクラッカーが現れるのを待つことにした、月明かりの届かぬ草薮の闇の中で静かな興奮に包まれていた、そして、全身の血液の流動を感じている、私は今、ここにいる、という事実だけで私の興奮状態はピークに達しようとしていた、その時だった、りんご農園の木々が揺れてその奥から現れたのだ。
「あれがクラッカー…」




