ヂュウシチ、もしくは、その脚は洗礼に向かいし中毒者たちの挽歌
高揚感を伴ったイメージの飛翔は一晩続いた、正確には何時まで続いたのかは分からない、ただ気が付くと私とキーンはソファーの上に座ったままグラスを握り締めたまま硬直して朝を迎えた、“スクリュー・アップ”とはまた違った“インスタント・ラブ”の効能も私を大いに満足させた、実にこれもまた忘れ得ぬ体験となった、また、その効能は変異してしばらく続いた、それは匂いに対して立体的な感覚を有して感じる事ができるというものだ、1つの匂いがあり、それがイメージによって瞬時に映像として鮮明に脳内に広がるのだ、昨晩のウイスキーの残り香、アパートメントそれ自体の匂い、窓を開けた時に香る朝の空気の匂い、ドアを開け外に出て通りの人々とすれ違う度に様々な匂いとそれに伴ったヴィジョンが流れて来るのを感じる、そのヴィジョンのどれもが鮮明かつ立体的感覚を有し、輝きと多幸感に溢れたものである、感受性の血管に享楽を直接打ち込んだように匂いにまつわる全てが輝いて見える、光の屈折に基づいた色彩の理解を絵画や写真に閉じ込めずにリアルタイムで理解していくことができる、自己のイマジネーションの限界を容易く超えて空は閃光の瞬きを脳内に与えてくれた。
やがて私もキーンも空腹と喉の渇きに陶酔感を奪われ素面となっていった、時間ならば既に正午を過ぎていた、私とキーンはアパートメントに一番近いダイナーでグリルドチーズを不味いコーヒーで流し込み、しばらく呆然と過ごしていた、私はダイナーの天井を眺めつつ呟いた。
「いつか、いつの日か“インスタント・ラブ”を吸引してジャクソン・ポロックを見に行きたいな」
キーンは煙草を咥えつつ私と同じように天井を眺めて言った。
「それは素晴らしいアイディアだ、けれどもその前にやるべきことがあるよ」
私は力無く呟くように答えた
「洗礼だ」
その後私たちは一度アパートメントへ戻ると身なりを整え、再び外へと出掛けた、通りでオービットのガムを噛みながらイエロー・キャブに乗り込むとそのまま真っ直ぐハロナイト地区を目指した、北に2区画程度行った所にあるハロナイト地区だが、そこに行くまでにあるクロナイト地区とバーセリン地区の2つはサヴァロの中心地であり人口密集地帯でもある、またその規模も大きく、徒歩での移動は幾分困難と考え、私とキーンはイエロー・キャブを使った。
ハロナイト地区は不思議な場所である、あらゆる宗教の寺院が立ち並ぶ“宗教地帯”とでも呼べるような場所でその異様混沌な佇まいから巡礼者や観光客も多く訪れる場所でもある、このハロナイト地区があるためサヴァロの街は多宗教に対し非常に寛容であり、また“人種のメルティング・ポット”と呼べるような多様な人種と文化が入り交じった街となっている。
クロナイト地区にせよバーセリン地区にせよ常に渋滞が伴う場所で私たちはそれだけで疲弊していた、それでもキャブの中では互いに会話はあった、列なる車の群れを見て私は言った。
「車なんてものがあれば人生また楽しいかもな、郊外へも“ひとっ飛び”だ」
「“ひとっ走り”だろ?」
とキーンは訂正させる、私はそれでも軽く笑いながら言う。
「どっちでも良いさ、40mphでハイウェイをブッ飛ばせる車がいい」
「「怒りの葡萄」かよ」
とキーンは笑う。
「キーン、君ならどんな車に乗りたい?」
煙草を吹かしてキーンは答える。
「グラハム、スピリット・オブ・モーションだね、アヴァンギャルドでクールだ」
「良いね、我々のような生き方をしている人間にはピッタリだ」
私はそんな風に言ってみせた、そうだ、私にせよ、キーンにせよ、そして、シーンズにせよその生き方は“まとも”ではない、こうして何気無い会話をしている仲であってもその孤独を混頓以外で埋めることを知らない人間なのだ、我々の中でできることは徒党を組んで生きることだけなのだ、ある種の敗北者としてのルールーに従い、敗北者としての人生を全うするしかないのだ、それは私の思う敗北者論の範疇を出ないものではあるかもしれない、しかし、だとしても人生におけるこの歪な孤独感を抱えて生きる者が敗北者であることは間違いない筈である、共存共栄という社会における根底にある倫理から爪弾きにされた敗北者なのだ。
キャブがバーセリン地区に入る頃になると私もキーンも疲労感を隠せずにいた、それでも互いに何かしらの下らない話題を話したりしていた、カーステレオからラジオで最近のフットボールの話題となるとベアーズがレッドスキンズを73対0で破った話題になった、「そんな馬鹿な話があるかよ」と私もキーンもキャブの運転手までも大いに笑った、車は相変わらずの渋滞模様だが、洗礼の儀式の時間には十分に間に合うとキーンは言った、私は「まぁ、焦らずに行こう」とだけ言った。




