ヂュウロク、もしくは、インスタント・ラブと呼べる代物
バンシー・バンシーとの出会いはキーンにとって1つの“影”のような存在であった、その圧倒的な魔法を前にまだハイスクールに通う身でありながら自己の目標に制限をもたらされた、キーンの1級魔道士の夢は潰えた、それほどまでにバンシー・バンシーの魔法というものはすこぶると凄まじいものだった、15歳その日まで神童と呼ばれた若き日のキーンの人生に確実な変化を及ぼした、またこの世界における四大宗教の中でも最も複雑な戒律を持つ自点院を信仰する自分や両親に対する疑問が微かに、しかし、また確実に芽生えたのもこの頃だった、キーンは代々と自点院の戒律の中でひかれた身分でもかなり裕福な位にあった、その分だけ社会的影響力も強い一族の生まれだった、しかし、キーンは疑問に思った、宗教における信仰心に身分や家系は関係無く、また自点院のような複雑な戒律は神への疑心でしかないのではと、宗教と魔法が深く結び付き、またそういった魔法が社会全体の流れの仕組みにまで強く関係する世界を変えようと理想に燃えて大学時代には社会運動にまで加わったが、そこで出会ったカリスマ的な男の正体が単なるペテン師だったことからキーンの社会への関心は萎えて枯れた、そこのコミューンで知り合った当時のシーンズの薦めもあり、社会的影響力は弱いがより信仰に重きを置いた古の宗教である聖竜信仰教へ改宗し、大学卒業と同時に今のような生活をサヴァロの街で始めたのだった。
「聖竜信仰教で崇めている聖竜なんてものが本当にいるとは思えないけれども混頓のためにその存在を信じている“ふり”をしているのさ、もしかすると僕もシーンズも混頓を崇めているだけなのかもしれないね」
そう話すキーンの瞳は実に虚ろだったし、その虚ろさは表情にまで伸びていた、キーンの中にある孤独の正体であるバンシー・バンシーの影は色濃く強大にキーンの心を覆っているようだった、すると突然キーンは気持ちを切り替えるように言い出した。
「なぁ、ジョニサン、1つ俺のお気に入りの“ボール”を試してみないか、“インスタント・ラブ”だ、レシピなら俺が心得ている」
私はウイスキーを飲み干して「YES」とだけ言った、私は混頓の経験を積みたかったし、何と言っても“スクリュー・アップ”のような興奮と快感を求めてもいたのだ、そして、混頓に誘うキーンの表情が幾分柔らかいものになっていたことを見逃さなかった、我々にとって混頓とはやはり“生涯唯一の友”なのだ、それは人間同士の繋がりを超えたものなのだ。
キーンはリビングのテーブルの上に小皿1枚とポーションと薬の入った小瓶を2つ並べた、小瓶の中身は盲目を治す“開目丹”と魔物からの毒攻撃を治癒するこの世界では実に一般的な“解毒剤”を煎じたものだ、キーンはそれに眠気を及ぼす魔法を振り掛けるように唱え、2つの小瓶の中身を小皿の上で混ぜた、更に先程までウイスキーを注いでいた2つのグラスにポーションを注いでから小皿の上の混ざりあった薬を2つのグラスに分けた、最後にキーンは火属性の最も初歩的な魔法を唱えてグラスをフランベするように火を着けた、するとグラス中身には僅かに薄紫色の粉末状のものが残っていた。
「これが“インスタント・ラブ”だ、一気に鼻から吸引するんだ、こうやってね」
と、キーンは言ってグラスの中の薄紫色の粉末を吸引してみせた、私もまた彼に続いてそれらを吸引してみせた、アイテムと魔法だけで生成されたものとは思えない清涼感のあるスプレーマムの香りが脳の奥まで心地よく広がるのが分かった、次の瞬間にイメージだけが強烈に私を支配した、それは“インスタント・ラブ”が頭の中で更に細かい粉末となり脳の皺の1本1本まで染み込むイメージだった、途端に私の精神は高揚した、それは胸の奥からやって来たような高揚感だった、まるで私の精神が今まで隠し持っていたような“取って置きの高揚感”とでも言うような特別なものだった、“スクリュー・アップ”とはまた違った種類の興奮と快楽の降臨に思わず恍惚の笑みがこぼれてしまった、背中に生えた翼の羽毛の細部の感覚までが胸の奥に伝わるのが分かるほど私は軽やかに舞ってみせた、それらは精神の飛翔である、幸福な離人感である、そして、他の人々が生涯を通して掴みかけてはその手を離してしまう輝きが見える、今の私ならばそれを掴むことができるだろう、指の隙間から洩れる輝き、私はそれに目を細めたりまでした、それ程の実像が今の眼前にある、そして、私はそれを今や掴もうとしている、イメージと現実の境目が崩れて無限に解放されて行くのを眼下に感じる、これが“インスタント・ラブ”である。




