第6話「重いのに、軽かった理由」
第6話「重いのに、軽かった理由」
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「神原、今日中に3階の設備配管、全部移動しとけよ。明日、墨出し屋が入るからな」
朝イチ、丸山課長がふらっと来て、書類の山を机に置きながら、軽〜く言い放った。
「は!? 3階、まだ届いてないですよ!?」
「さっき運送から連絡あった。午前中ギリになるってよ。あと、フォーク(フォークリフト)も午後からしか使えねえってさ」
課長はそう言うと、缶コーヒーを片手に隣の詰所へ引っ込んだ。
神原はしばらく天井を見つめた後、スマホを手に取る。
「エル。今日は“やばい”ぞ」
《拝見しました。かなりタイトな工程ですね》
「そういうレベルじゃねぇ……」
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設備配管──具体的には鋼製の給水管、排水管、ダクト用スパイラル管など。いずれも1本数十キロ、2人でようやく運べるレベルだ。
しかも、3階への搬入は人力。階段経由での手運びしかない。
「市川、辰巳さんと段取り組んどけ。高槻、導線整理とタイムスケジュール見てくれ」
「了解ッス!」
「わかりました。……が、これは無茶です」
「だろ?」
神原は自分でも無理を言っているのを承知で、笑った。
「でもな。現場ってのは、今日終わらせなきゃ意味ねぇ日があるんだよ」
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11時。資材到着。
全員が持ち場へ散って作業開始。
だが、明らかにペースが重い。材料はデカい、通路は狭い、作業員の足取りも鈍い。
「これ……終わんねえぞ……」
神原は誰にも聞こえないよう、ヘルメットの中でつぶやいた。
「エル、バフって……今の俺でも、使えるか?」
《試してみる価値はあります。あなたの魔力は、既に“他者”に届く域に達しつつあります》
「よし。やってみる」
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神原は目を閉じ、深く息を吐く。
「この現場の力を、引き出してくれ──」
胸の奥が熱くなる感覚。
次の瞬間、空気が変わった。
ふわりと現場を包むように、熱と風が流れ込んだ。
市川が叫ぶ。
「……あれ? なんか、軽くないっすかコレ!?」
「ほんとだ。腕が回る。体が動く」
「段取りが妙にしっくりくるな……」
全員の士気が上がる。
口数は少ないが、明らかに動きが速い。
フォークリフトなしで、3階への運搬がスムーズに進んでいく。
神原はその光景を見ながら、ヘルメットの下でにやりと笑った。
「……バフ、すげぇな」
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16時。予定より30分前倒しで全搬入が完了。
辰巳がヘルメットを脱ぎながらつぶやいた。
「なんかよ、今日……誰も弱音吐かなかったな」
「ふふ、たまには奇跡ってやつもあるんですよ」
神原はそう言いながら、汗をぬぐう。
そのとき、背後から声がした。
「……神原さん」
高槻だ。
「今日の現場、何かしましたか?」
「何かって?」
「明らかに、みんな動きが良すぎました。身体の負荷も、気力の波も。……まるで、誰かに“動かされてる”ように見えました」
「さあな」
神原は軽く肩をすくめる。
「現場がうまく回るなら、それでいいんじゃねえか?」
高槻はしばらく神原を見つめたが、それ以上は何も言わず、戻っていった。
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事務所の片隅で、神原はスマホを取り出した。
「なあエル、バフってのは……ただの“やる気ブースト”じゃねえんだな」
《ええ。あなたが“こう動いてほしい”と強く願うことで、相手の“心”と“体”のバランスが整い、最大限の力が発揮されるのです》
「つまり、現場を本気で回したいって願えば、俺は……」
《“みんなを動かす力”を持てるということです》
神原はスマホを見つめたまま、しばらく動かなかった。
「……そろそろ、“現場監督”って役職も、次の段階に行けそうだな」
その瞳には、確かな決意が宿っていた。