第4話「夜を照らす、監督の火」
「神原、今夜冷えるってよ。夜の打設、大丈夫か?」
午後3時。詰所で書類整理をしていた神原に、課長の丸山が声をかけた。
「今のところ予定通りですけど……今夜の冷え込み、どのくらいです?」
「天気予報だと最低気温マイナス2度。朝方に凍結の可能性あるな」
神原の頭に、コンクリートの加熱養生の段取りが浮かぶ。だが、今夜はタイミング悪く、養生用のジェットヒーターが別現場に回されていた。
「……まいったな」
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――コンクリート打設とは、建物の柱や壁、床などの型枠に生コン(生コンクリート)を流し込む工程である。
特に冬季は、温度管理が最重要だ。生コンが凍ると内部の水分が膨張し、強度が出ない“凍害”という現象が起きる。
そのため、打設後はヒーターや保温材を使って一定の温度を保つ“加熱養生”が必須なのだ。
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夜8時、コンクリート打設は順調に終了した。
が、神原の顔は曇っていた。
風が冷たい。体感温度はどんどん下がっている。温度計は5℃を切っていた。
「……このままじゃ、ヤバい」
搬入口に重ねられたブルーシートを確認し、養生はしてあるが、それだけでは追いつかない寒さだ。
神原は周囲に誰もいないのを確認し、そっとスマホを取り出す。
「エル……頼めるか?」
《はい。火属性の初級魔法、“熱源発生”。加熱範囲は1メートル四方。継続使用には集中力と魔力の消費があります》
「いい。徹夜でやる」
《……無理は禁物ですが、あなたの覚悟は受け取りました》
神原は目を閉じ、深く息を吸った。
(コンクリートを、凍らせない)
掌から、柔らかい赤い光が生まれる。
小さな焚き火のような熱が、コンクリート表面をじんわりと温めた。
「よし……次は風魔法で空気を回す。熱を散らさず、まんべんなく……」
風と火を組み合わせ、熱風の流れを作る。
風で熱を押し、火で温度を保つ。
まるで自分自身が巨大な温風ヒーターになったようだった。
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深夜2時。
指先がしびれる。まぶたが重い。だが神原は動き続けた。
スマホのエルが、やや心配そうに声をかける。
《もう、限界では……?》
「……まだだ。朝までが勝負なんだ」
養生シートの内側は、白く曇っていた。
温度計は3℃を維持している。凍結温度からは、なんとか離れている。
「ふぅ……」
風の調整。熱源の位置。すべてを考えながら、神原はひたすら手を動かした。
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朝5時。
空がうっすらと明るくなりはじめたころ、交代の職人たちが現場にやってきた。
「神原さん!? なにやってるんすか!?」
高槻の声が響く。
「……ちょっと、加熱養生の見張りをな」
「え、まさか徹夜で……?」
「まあな」
そのとき、高槻は目を細めて言った。
「……あったかいですね、この中」
神原は軽く笑った。
「気のせいじゃねえか?」
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現場事務所。
神原はソファにもたれかかりながら、スマホをそっと撫でた。
「エル、ありがとうな」
《いえ。あなたの意志が、現場を守ったのです》
スマホの画面に映る小さなマスコットの頬が、ほんのり赤く染まっていた。