第3話「風が、命を救った日」
「神原、屋根工事の進捗確認、午前中で頼むぞ。施主が見に来るってさ」
朝イチ、課長の丸山がコーヒー片手に詰め所で言い放った。
「了解しました」
その一言で、今日も一日が始まる。
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――屋根ふき工事とは、建物の頂部に屋根材(ルーフィングや金属板など)を敷き、雨風から建物を守る工程だ。
高所作業であるため、常に墜落のリスクがつきまとう。足場や安全帯、作業手順の徹底が重要となる。
特に今日のような天気が良くても風が強い日には、職人の安全意識と現場監督の判断力が問われる。
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午前9時。神原は屋上での作業確認に向かった。
屋根の端では、熟練の職人が鋼板を敷き込みながらリベットを打っていた。
「おつかれさまです、進捗どうですか」
「神原さん、順調ですよ。午前中で2スパンは終わりそうっす」
そのときだった。
ビュオッ!!
一瞬、強い風が吹いた。
「おっと!」
作業中の若手職人がよろけ、体が屋根の端へ傾く。
足が、外れる。
「おいっ、危ないっ――」
神原は反射的に手を突き出した。
心の中で、ただひとつ願った。
(止まれ!)
風が渦を巻くように発生し、職人の身体を押し戻した。
ふわりと空気が壁のようになり、落下を食い止めたのだ。
「あ……あぶねぇ……」
職人はしゃがみ込んだまま、顔面蒼白。
周囲が一瞬静まり返った。
高所の足場で、誰かが「……今、風が……?」とつぶやいた。
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「大丈夫か!」
神原は駆け寄り、職人の肩に手を置いた。
「なんとか……落ちるとこでした」
「今日はもう無理すんな。下で休んでろ」
その後、神原は全職人にヘルメットと安全帯の再確認を指示。作業を一時中断させた。
事務所に戻る途中、高槻がポツリとつぶやいた。
「……あの風、やっぱ神原さんの……」
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
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事務所の片隅。神原はこっそりスマホを取り出した。
「……あれ、俺が……?」
《ええ。風の魔力が、あなたの“反射的な意志”に応えたのです》
画面の中、紫色の小さなマスコット姿のエルが頷いた。
《魔法は感情に呼応します。あの一瞬、あなたは“命を救いたい”と強く願った》
「……あのままだったら、絶対に落ちてた」
《それを防いだのは、あなたの魔力です。まだ未熟ですが……確実に力は成長しています》
神原は深く息をついた。
「ありがとう、エル」
《それと……もうひとつ》
「ん?」
エルの身体が、ふわりと淡い赤に染まる。
《あなたの魔力に、“火”の反応が現れ始めています》
「火……?」
《属性は、心の状態と深く結びついています。あなたの内にある“熱”が、新たな扉を開こうとしているのかもしれません》
神原はスマホを見つめた。
現場監督として守るべきものは、作業効率だけじゃない。
命を守ることも、現場を預かる者の責任だ。
その風は、ひとつの命を救った。そしてその熱は、新しい力の兆しとなった。