森の異変
◆事件の兆し
あれから数日が経った。
俺はというと、すっかり元気になっていた。
というか、元気になるしかなかった。
食いたきゃ、働かないと――
この村のルールはそれだけだ。
「……よいしょっと……畑仕事とか、人生初なんだけど……腰が……」
鍬を握りながら、泥にまみれて雑草と格闘する毎日。
もちろん、最初はまともに動けなかった。村の人に笑われ、子どもに馬鹿にされ、
それでもスープ一杯とパンのために、俺は土を掘る。
そんな俺の脳内には、例のジジイが常駐している。
「お前さん、金(神貨)を持ってるんだから、それを使えと言うておろうに……」
「うるせーよ、バール」
泥を払いつつ、苛立ちまじりに言い返す。
「ていうか女騎士の話、聞いてたろ? 王都と周辺都市でしかその“貨幣”は通じねーの!
それに俺の身体で徒歩旅とかムリだろ? 『悪いことは言わない、キャラバンか移民の定期便を待て』って言われたの忘れたのか?さてはバール、ボケたな?」
「……そんなことも、言ってた気がするのう……ふぉっふぉ……」
「働かないと飯が食えないの! 飯食わないと死んじゃうの!王都目指して行き倒れるのは、もう勘弁なんだよ!」
「はいはい……わかった、わかった。せっかく良い“目”をくれてやったというのに……勿体ない、勿体ない……ぶつぶつ……」
脳内に響くブツブツがうざい。でも、どこか“心地良さ”さえ感じてきている自分が怖い。
⸻
そんなある日――事件は起こった。
狩猟を担当していた村のハンターたち、二組(4人×2チーム)がいつものように森へ向かった。
しかし、夕方になって戻ってきたのは一組だけだった。
緊迫した表情で帰還した男たちを、アメリアと数名の衛兵がすぐに囲む。
「報告します。……今日は、様子が違いました」
狩猟班のリーダー格が、息を整えて語る。
「狙っていた鳥や鹿、猪などが、まったく見当たらなかったんです。足跡も少なく、音もない。まるで――森全体が息を潜めているようでした」
アメリアの眉が動く。
「それで……?」
「痕跡を求めて、いつもより深くに入りました。……そこで、明らかに――」
彼は言葉を一度切り、唾を飲む。
「大型の魔獣らしき痕跡を発見しました。木は裂け、地面には巨大な足跡。……しかも、帰路で咆哮も聞きました。明らかに“気が立って”いました」
その場の空気が、一気に緊張に染まった。
そして、森の奥に消えたままのもう一組のハンターたちの顔が、誰の脳裏にも浮かぶ。
沈黙が落ちる。
俺は、スコップを握りしめながら――
心の奥で、うっすらと「何かの始まり」を感じていた。
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村の集会所――夜、篝火の中で
アメリア・グレイスハルトは、重厚な木の机の前に立ち、集まった部下たちと村人たちを見回していた。
「……結論として、このままでは村の食糧供給に支障が出る。加えて、魔獣が村の近くに常駐し、人の味を覚えた場合――最悪の事態になる」
篝火が揺れ、皆の顔に陰影を落とす。空気は重く、全員が真剣だった。
「つまり、やるしかないってことだな……」
ハンターリーダーのガルドが低く唸る。
「はい。討伐を決行します」
アメリアは、迷いのない声で告げた。
部下たちが頷く中、ガルドが言いにくそうに口を開く。
「……だが、問題がある。痕跡を見つけたのは確かに“祠の辺り”だったが……正直、道順が曖昧だ。森の中で、気配を感じて――パニックになって、俺たちは一目散に逃げた。場所の詳細は……もう、ぼやけてる」
沈黙が落ちる。
誰もが、言い出せない空気の中――
「んじゃ、俺が地図でも書いてやろうか?」
唐突に、会議の隅っこで床に座っていたジョーが顔を上げた。
全員の視線が、彼に集まる。
「場所、判るのか?」
ガルドが眉をひそめる。
「うん。祠の位置、確かに通ったんだ。俺、覚えてるよ。……たぶん、地図も描ける」
アメリアが数秒、じっとジョーを見つめ――首を横に振った。
「時間が惜しい。地図を描くより、直接案内してもらう方が早い。……ジョー、同行してくれ」
「……えっ、俺が!? いやいやいやいや、無理だって! 俺、戦いとかムリだし、何より怖えぇよ!」
「お前は祠までの道順を覚えているんだろ?……頼む。これは命に関わる任務だ」
アメリアの視線には、強い意思が宿っていた。
ジョーはしばし口を開けたまま、何か言おうとして――
「……はぁ~~……わかったよ。どうせ断れねーんだろ。俺の人生、何でこんな理不尽なんだ……」
頭の中で、バールがくっくっくと笑った。
「ふぉっふぉ、ええのう、ええのう! “運命”という奴は、待っておらん。引きずられてでも歩かされるものよ!」
⸻
◆森の入口――夜明け前
討伐隊は6人編成で結成された。
・アメリア・グレイスハルト(指揮官)
・アメリアの部下2名(盾・弓)
・ハンターリーダーのガルド(弓)
・後衛支援の魔術士
・そして案内役――ジョー(+脳内ジジイ)
空はまだ暗く、森の奥には霧が流れている。
アメリアは鞘から剣を軽く抜いて確認し、静かに鞘に戻す。
「全員、準備はいいな? 目標は二つ。行方不明のハンターの捜索、および魔獣の確認と討伐。ジョー、案内を頼む」
「……おっけ……じゃあ行こうか……」
バールが口笛を吹くように笑った。
「ふぉっふぉっふぉ。いざ往かん、迷いと死の森へ――」
こうして、討伐隊は朝露の中、静かに森の奥へと進発した。