魔獣騒動の原因調査
◆ 働きすぎ女騎士問題
森へ続くなだらかな丘陵地帯。
朝露を湛えた草を踏みしめ、三人の影が並ぶ。先頭を歩くのはジョー、その後ろにアメリア、さらに少し離れてジノ。どこか気の抜けた空気を纏うが、森が近づくにつれて空気は徐々に張り詰めていく。
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歩を進めながら、アメリアは小さく息をついた。誰にも聞こえぬほどの吐息。
――彼女の脳裏を次々に過ぎる、未解決の課題たち。
足取りはしっかりしている。けれど、頭の中は渦巻く責務でいっぱいだった。
その渦をさらに濁らせたのは、つい先日の魔獣騒動だった。
(……人材が一気に、5人も。補佐役だった盾兵は重傷。魔術士は…。あの者の中位治癒魔法は、攻撃魔法以上に貴重だったというのに…)
アメリアはちらと、後ろのジノを見る。
彼の傷も完全には癒えていないが、それよりも深刻なのは、盾兵の怪我の方だった。
中位治癒がなければ、アメリアの簡易治癒と自己治癒力では完治に二ヶ月はかかる。
(王都に要請を出したとしても、人員が派遣されるまでには時間がかかる……。その間、村にまたもしも災いが降りかかると……)
さらに厄介なのは、自身の装備。
オルデンベアを討った刃――あの剣が、限界を迎えていた。
(私の剣ももう使い物にならない。見てもらおうにも、村の鍛治師兼大工では手に負えぬときた……)
この村には《《専門職》》がいない。
薬草も底を尽きかけている。
食料備蓄も、このままでは次の冬を越せる保証すらない。
(……どこかに使える人材が、ひとりでもいれば。剣を鍛えられる職人でも、薬草の扱いに詳しい者でも、何でもいい。何処かから、人が“生えて”くれないものか……)
自嘲のような思考が、胸の奥でひとつ渦巻いた。
しかし、口には出さなかった。
ジョーにそれを伝えたところで、何になるというのか。
だが――なぜだろう。
先を歩く、肩幅の狭い背中が、妙に頼もしく見えた。
訳の分からない魔法を使う、異世界から来たという“畑を耕すモノ”の背が。
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しばらく黙って歩いていたアメリアが、ふとジョーに問いかけた。
「……お前、村の暮らしはどうだ?」
「え? 急にどうした」
「いや……どうにもこうにも、上手く回らんのだ」
アメリアは、ため息混じりに肩を落とした。
「人が足りん。剣も壊れかけ。薬草の備蓄もない。食料も足りない。建材も不足している。鍛治師もいないし、農具も修理待ちの山だ。
正直……何から手を付ければ良いのか分からん」
「……すごいな、ひとつも解決しそうな気がしないな」
ジョーが苦笑しながら返すと、アメリアも思わず吹き出した。
「……本当にそうだ」
その瞬間、ジョーの頭の中に、いつものうるさい声が響いた。
「なぁにを深刻ぶっとるんじゃ。薬草なんぞ、その辺に適当に生えておるじゃろがい」
「いや、バール、俺それでこの前、毒草摘んで大変な目に遭ったよね?」
「はあ、お主は何故“目”を使うことを全然覚えんのじゃ。"勘定"のスキル! 宝の持ち腐れとはまさにお主のことよ!」
「いや、目を使えって何に……」
「ほれ、試しにその草を"目"で見てみい」
――ジョーが訝しげに草へ視線を向ける
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【上薬草】
分類:薬草
用途:ポーションの原料。擦り潰して傷口へ塗布、または経口摂取でも効果あり。
商品価値:C+
精製:ハイポーション(価値A)へ加工可能。
付加効果(精製時):体力回復(大)、毒消し(弱)、麻痺軽減、精神安定(弱)
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「……あれ? なにこれ? 草の説明書みたいなの出てきたけど……バールさん?」
「ふぉっふぉっふぉ、今さら驚くでないわ。これが“目”の力じゃ。
まったく……ほんに使えぬ新米じゃのう。ま、伸びしろはあるがな」
「…あー、アメリア?
これ、多分だけど――薬草っぽい。
ていうか、この辺に生えてる草、全部それっぽいぞ?」
「なっ……!? それは本当なのか?」
(ぱっと表情を変え、振り返る)
「ジノ! 来てくれ! お前、薬草の知識はあるか?」
「いや……申し訳ねぇ、騎士様。俺にはさっぱりですけど、村に持って帰れば、年寄り連中が見てくれるかもしれません」
「……よし、採取するぞ!! 片っ端から抜け!! …ジョー! この草は薬草か!?」
「えっ、いや、まだ見てな――」
「判明したら即座に報告しろ!! その間に私は次の群生地を探す!!」
アメリアはそう叫ぶや否や、腰の剣を外して背中に回し、草むらへと飛び込んでいった。普段の冷静沈着な騎士長の姿はどこへやら、完全に“薬草ハンター”と化している。
「ジョー、なんか……騎士様、すげぇ楽しそうだな……」
「たぶんストレス溜まってたんだろ……」
「……けど、ちょっと驚いたよ。あの騎士様も、こんなふうに悩んだり、笑ったりするんだな」
「え?」
「俺たち村人から見りゃ、あの人は“王都から来た偉い人”ってだけでさ。遠い存在だった。でも、今日少しだけ……人間らしいって思った」
ジョーはそれを聞いて、わずかに頬を緩めた。
「……そうかもな」
そんな言葉を交わしつつ、ジョーとジノは黙々と薬草を採取していった。
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薬草を集める手を止めることなく、ジョーはしゃがんだ姿勢のまま、薬草を慎重に選別していた。
その耳元に――案の定、バールの老獪な声が響いてきた。
「それよりもジョー!さっきの女騎士の話。こりゃあ金の匂いがプンプンするぞい。村のインフラ、人材、物流、物資――全部“需要”じゃ! そこに資金と労働力を投じれば……わかるか?」
「はあ…、それはまぁ」
「供給を握った者こそが“王”なんじゃよ。お主、いま正に“金脈”の上を歩いとるんじゃぞ!?」
「薬草の群生地で金脈て……」
「ふっふっふ。村が困っておる。人も、物も、金も、足りておらん。“成長の余地”があるということじゃ! ワシには見える……この村が“利回り最高の未開拓市場”に化ける未来がな!!村に戻ったら村人全員と契約せい! 一人残らずじゃ!」
「いやいやいや、そんなのビットコインめちゃくちゃ減るじゃん! 何百BTC使うつもりだよ!?」
「ふむ、やはり投資というものが分かっとらんようじゃのう……“目利き”出来る者が、目の前の成長株を見逃してどうする! 分析ツールは使ってこそ意味がある!」
「なんか……お前、株の営業マンかなんかだった?」
「違うわい! 賢者じゃ! 神の知を継ぎし、知識と経済の化身じゃ!」
「もうどっちでもいいよ……」
ジョーは頭を押さえながらも、ちらとアメリアを見る。
彼女は少しだけ、肩の力が抜けたような顔で、空を見上げていた。
「……まあ、アメリアのために出来ることなら、ちょっと考えてみるよ」
「……? ジョー、何か言ったか?」
「いや、何でもない」
その後、三人は移動に支障の出ない範囲で、薬草を採取した。
「これくらいなら背負っても問題ないな。…ジノ、袋しっかり持てよ」
「了解です、騎士様!」
簡素なやりとりを交わしつつも、一行は再び森の奥へと足を進める。
夕暮れが近づくまで、魔獣出現の原因を探して森の中を慎重に探索したが――
この日は、特に目立った手がかりを得ることはなかった。