月
晩ご飯を食べ終わって部屋に戻ろうとしたら電話が鳴った。あ、たぶん……と思って出ようと手を伸ばす。
「はい、上田でございます」
「……」
負けた……。母が先に受話器を手にしてしまう。むむむ、という顔をしている俺をちらりと見る母に、やっぱりそうだ、と思う。一言二言挨拶をして、母は俺に受話器を差し出す。
「河合くん」
「……そう」
「わかってたんじゃないの?」
「別に?」
わかっていたけどさ。母は俺に受話器を渡したらすぐにリビングに戻るかと思ったのに、なぜか横でにこにこして見ている。
「……なに?」
送話口を手で押さえながら聞くと、母は首を横に振ってまだにこにこしている。
「なんでもないなら、あっち行っててよ」
「はいはい。いつも電話かかってくるから、仲いいなと思って」
「……別に」
「そうなんだ」
電話のボタンを操作して、子機に切り替える。
「部屋で話す」
「長電話しちゃだめよ」
「わかってる」
これじゃ話を盗み聞きされる可能性がある。子機を持って部屋に駆け込んだ。
「ごめん尚人、お待たせ」
『ううん。大丈夫』
「母さんがそばで聞いてて……」
今あったことを話すと、尚人は電話の向こうで笑った。なんでそばにいないんだろう。その笑顔を隣で見たい。
尚人はクラスメイトで恋人。一週間前に初めてキスをして、すごく幸せだった。だから余計に離れていることが寂しい。
高一のときから友達として仲が良かったけれど、尚人の優しさにどんどん惹かれていった。気持ちを抑えることができなくなって苦しくて……泣き出したいくらい好きになってしまい、当たって砕ける覚悟で告白した。告白され慣れている尚人なら、すぐに忘れてくれるだろうと思ったのもある。そして、告白して逃げるつもりだったのにきつく抱き締められて俺はなにが起こったのかとびっくりして……。
「飛鳥馬に会いたいなぁ……」
「さっき会ったばっかじゃん」
電車で俺が最寄り駅で降りるまで一緒だったのに……。でもこういうの、くすぐったいし嬉しい。
『それでも会いたいんだよ』
「会いたいね」
『写真はあるけど……顔を見ながら話せたらいいのに』
「そんなことできないよ。でも、できたらいいね」
机の引き出しにしまってある尚人の写真を取り出してみる。ふたりで撮った写真だけれど、ふたりともすごく優しい笑顔をしていてお気に入りだ。写真の尚人の頬をなぞると、そばにいないと実感して少し切なくなる。今すぐ飛んで行ってその頬に触れたい。
「晩ご飯、なんだった?」
なんだか胸がきゅっとなってきたから、写真を引き出しに戻して話題を変える。
『ハンバーグだった。飛鳥馬は?』
「とんかつ」
『肉、一緒だね』
「全然違うじゃん」
思わず笑ってしまう。ハンバーグととんかつは確かにどちらも肉料理だけど全然違う。電話の向こうでも笑っている声が聞こえた。
『うん。だけど、なんでも飛鳥馬と共通点を見つけたいんだ』
「……っ」
なにそれ……嬉しすぎる。頬が熱くなって、それを冷ますように窓を開けて風に当たった。月が出ていて綺麗だ。
「月が綺麗だよ」
『月?』
「うん。空」
『見てみる』
カタカタと物音がするので部屋の中を移動しているんだろう。カラカラと音がして、「わ」と声が聞こえてきた。
『綺麗だね』
「でしょ」
『飛鳥馬、窓から落ちちゃだめだよ』
「落ちないよ」
心配性なんだから、と言うと、尚人がまた笑った。
『……不思議だね』
「なにが?」
静かな尚人の声に、問いかける。なんだか隣に尚人がいるように感じる。
『離れてるのに同じ月見てるんだもん、すごい不思議。隣にいても離れていても、見る月は同じなんてロマンチックじゃない?』
「そうだね……」
肩を抱かれているような感覚に瞼を下ろす。そのまま唇を重ねられそうなくらい、尚人の吐息を感じそうなくらいに尚人が近い。本当に不思議。
『今、すごく飛鳥馬を隣に感じるよ』
優しい声に目を開けてまた月を見たら、涙で少し月が滲んで見えた。同じことを感じてくれたことがとても嬉しい。
『飛鳥馬?』
「あっ、うん……。俺も同じこと考えてたから」
呼びかけられて慌てて返事をする。まずい、ひたってしまっていた。
「……今すぐ尚人に会いたいな」
本音がそのまま口から出てしまい、はっとする。
「ち、違う! そうじゃなくて……いや、そうなんだけど、でも……いや!」
『飛鳥馬』
「は、はい……」
優しく優しく名前を呼ばれてどきりとする。なんでか背筋を伸ばして返事をしてしまった。
『俺も会いたいよ。飛鳥馬が好きだから、いつでも会いたい』
「……」
尚人みたいに素直に言えばいいんじゃん。そうしたら可愛かったのに、と思うとちょっと悲しくなる。まあ、「可愛い」なんて俺には絶対似合わないんだけど。
「うん。俺も尚人が――」
「兄ちゃん! いつまで電話してんだよ!」
部屋のドアをドンドンドンと叩かれてびくっとする。
「俺だって電話使いたいんだから、早くしてよ!」
少しドアを開けて顔を覗かせた弟が俺を睨んで、すぐにドアを閉める。受話口から小さな笑い声が聞こえてくる。
『泰士くん?』
「そう。ごめん、泰士も電話使いたいみたいだから」
『長電話になっちゃったからね、俺もごめん』
「ううん、嬉しかった」
言いそびれてしまった言葉を言いたい。でも、どのタイミングで言えばいいんだろう。タイミングを逃すと言いづらい。
『泰士くんにも謝っておいて』
「泰士はいいよ」
『そういうこと言わないの』
また笑ってる……。泰士にまで優しいんだから。ちょっともやもやしてしまう俺は心が狭いんだろう。
『じゃあね、飛鳥馬。また明日』
「うん。また明日」
電話を切る。結局言いそびれた言葉は言えなかった。
部屋を出て隣の部屋のドアをノックして顔を出した泰士に子機を渡すとまた睨まれた。
「兄ちゃん、電話ばっかしてるな」
「いいじゃん」
「尚人さんだろ?」
「うん」
泰士が俺の顔をじっと見つめてくるので、なんだろうとちょっと身構える。じろじろと俺を見た泰士は、少し思案するような顔をした後にひとつ頷く。
「ふーん?」
「なに?」
「別に?」
パタン、とドアが閉められる。本当になんだろう?
部屋に戻って、もう一度窓の外を見る。
月が綺麗だ。
END




