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読後良しの掌編、もしくは短編集

急須の天使(掌編)

 5月のよく晴れた日だった。

 郵便配達で届いた段ボールを開け、僕はそれを手に取った。

 やや小さめな横手型の急須は、黒くて艶があって丸いフォルムをしている。さりげなく白猫の絵が描かれていて、優しくこちらを見つめていた。

(おばあちゃんの急須か)

 この急須は祖母が亡くなって二年が過ぎ、手元へやってきた。

母によると、遺品整理を終えた頃押し入れから見たのことのない箱がひょっこり出てきたという。その箱には祖母の字で「隆信へ」と、僕の名前が書いてあったらしい。

 見つけた母にいるかどうか訊かれ、僕は引き取ることにしたのだ。

 手紙も何もない。箱に直接、「隆信へ」とだけ書かれている。


(何で僕にこれを?)


 急須を取り出して僕はしげしげと眺めた。


(二年か)


 祖母のお葬式から二年が経ち、高校生だった僕は就職して一人暮らしをしている。 


 小さい頃、祖母はよく僕の家に来て、働いている母の代わりにご飯を作ってくれた。大きくなったらこちらから遊びに行って、やっぱりご馳走になった。

 コツコツとパートをし、ためたお金で旅行をしたり、庭で自分が食べる分の野菜を育てたりするのが好きだった祖母。

 就職したら働いたお金でプレゼントをすると約束していたのに、それは叶わなかったのだ。

 急須を見ると、猫の慰めるのような目と目が合う。


(急須、使ってみようかな)


 そう思い立って、僕は台所の洗い場へ猫の絵の急須を持っていくと、洗うために蓋を開けた。

 その時だった。白い煙が勢いよくモクモクと立ち上った。


「ヤッホー!」


 その白い煙の中には見知らぬ女が立っていた。しかも背中には大きな白い翼を背負っている。驚いた僕は腰を抜かしてしまった。


「ご機嫌いかが?」


 狭いシンクの上でやたらと大きくて暢気な声が響く。


「誰ですか?」


 隆信は何とか気を落ち着かせて訊ねる。シンクから降り立った翼の生えた女は、明るい笑顔で遠慮も警戒もなく僕に近づいた。


「私はあなたの願いを叶えに来ました」


「願い?」


「ええ。この急須の蓋を開けた人の願いを叶えるのが私の仕事です」


「つまり、ランプの魔人みたいなもの?」


「魔人じゃないよ。急須の天使ですよ」


 女はニコニコと僕に笑いかける。そして、急に背伸びをしたり、屈伸をしたり、その場で足踏みしたりし始めた。それから、台所の小さな窓を覗き込む。


「ああ、空が青いね。長い間急須の中だったから懐かしいよ!」


 まるで友だちに話すような口振りだ。ようやく外に出られてものすごく嬉しいのかもしれない。


「ああ、ごめんなさい。お仕事しますね」


 ふと我に返った天使は改まって僕に向き直った。


「あなたのお祖母様に頼まれました。孫のために願い事叶えてあげてほしいんですって」


「お祖母様って、僕の祖母ですか?」


「そうです。ご旅行中にたまたま寄った骨董市で私と出会いました。お祖母様は引きが強い」


「祖母は願いを言わなかったんですか?」


「孫の願いを叶えてという願いでした」


「でも、僕なんかでいいのかな」


「あなたじゃないとダメなのですよ」


 女は間髪入れずに言った。


「いいから。願い事を教えて」


 僕は少し考えてから、いいことを思いついた。


「それなら、あなたの願いを叶えましょう」


「えっ? 私の?」


 天使は目をまん丸にして驚く。


「どういうこと?」


「だって、あなたは長いこと急須に閉じ込められていたんだよね。祖母の願いを叶えるために」


「そうだけど。それが仕事ですし。あなたの願い事はどうするんですか?」


「僕はいいよ」


 お金持ちになりたいというのも考えたけど、出どころの分からないお金はちょっと怖いからやめた。

 僕は今仕事もあって、家もあって、母と父も健在で。彼女でもできたら嬉しいのかもしれないけれど。

 

「あなたは、今まで沢山の人の願いを叶えてきたんだろうから、もうそろそろ自分の願いを叶えてもいいんじゃない?」


「ーーそんなこと、初めて言われました」


 女は目を見開いて僕を見た。


「なるほどね」


 天使らしく柔らかく、そして、ちょっと意味ありげに微笑んだ。


「それなら、私は故郷へ帰りたい」


 女の言葉に、僕はうなずく。


「あなたの故郷はどこですか?」


「ここより南の、暖かくて美しい海のあるところ」


 天使はうっとりして答えた。懐かしい故郷の海が脳裏に広がっているのかもしれない。


「そうか。じゃあ、燕になるといいよ。僕の願いは、あなたが燕になってあなたの無事に故郷へ戻り、幸せに暮らすことです」


 そう言った途端、女はにわかに白い光に包まれ、燕に姿を変えていった。


「いってらっしゃい」


 僕は窓を開けた。すると、燕になった女は部屋の中を何度か旋回した。ありがとうと言うように。それから、勢いよく窓から飛び出ていった。


 なんだろう。僕は不思議といい気分になって、爽やかな気持ちのまま急須を洗い始めた。



 急須の猫がこちらをずっと見ていたことに隆信はついに気づかなかった。

 猫は、天使が煙の中から現れた時も、燕になったところも、ちゃんと見ていた。


「素敵な青年に育った孫をもう一度だけ見たい。驚かせたくないから、できればこっそりと」


 それが、祖母が急須の天使に叶えてほしい願い事だった。

 猫の姿はもうない。急須の猫になった祖母の願いは叶えられたから、すでに立ち去っている。

 天使も猫のいない急須はその役目を終え、ただの急須に戻っていた。


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