事件――多重殺人①
天良と末那が友達付き合いを始めて、三か月が経っていた。この頃には、天良は中古のバイクを買って、アパートから日神家に通う交通手段としていた。休みの度に末那と行動を共にしていた彼が、高級車での送り迎えを嫌ったからである。
又、彼らが付き合うようになって、二人とも雰囲気が明るくなったと、周りの者から言われるようになっていた。特に、切れると暴走しかねない性格ゆえに、無気力を装っていた天良の変化には、職場の同僚たちから色々と詮索されたが、末那との交際の事を打ち明けることはしなかった。
そんな二人の元に、久しぶりに六根警部が顔を見せた。
「やあ、末那さん天良君、ご無沙汰しています」
声は元気だが、笑みを消したあとの表情は暗い。彼が現れるのは、難事件が起きたという事だ。
「六根警部を悩ましている今度の事件は、どんな事件なんですか?」
気を利かした末那が話を前に進める。
「話が早くてありがたい。実はですね、ニュースで聞いたと思いますが、年が明けてからの一月足らずで、都内で五人が殺害され、更に五人が青酸カリで集団自殺するという事件が起きたんです」
日神家の一室で、六根警部が二人に交互に視線を注ぎながら話しだした。
「正月早々痛ましい事件が続いていますよね。それで、今回の依頼と言うのは?」
末那に寄り添っている天良が、先を急かせる。
「これはあくまで、刑事としての私の勘なんですが、集団自殺と五件の殺人事件は、何か関連があるのではないかと思うのです。理由は、五件の殺人事件は、未だに一人の犯人の影すら見えていません。それがかえって不自然に感じるんです。それから、五人と五件と言う数の一致も気になっています」
「確かに違和感を感じますね。普通、殺人事件が起きれば、容疑者の一人や二人は浮き上がってくるものです。それが何も無いということは、犯人の計画性や用意周到さが感じられます。
六根警部、その五人の中に韓国で殺害された方は居ませんでしたか?」
末那の問いに、警部が訝しげに答えた。
「ええ、韓国で殺された彼も東京在住ですから、五人の中に入っていますが……」
「警部、その事件の時、私達は韓国に旅行に行ってたんです」
「旅行? あなた達はもうそんな関係になったんですか!?」
警部が、驚いたように二人を見た。
「そんなんじゃありません。父の仕事の手伝いで、三人で韓国に行ったのですが、その時に偶然、事件現場に遭遇したんです。集団自殺した場所や、五人の写真はありますか?」
「お待ちください……、写真はこれです」
警部が、茶封筒から十数枚の写真を取り出して末那に渡すと、彼女はそれを机に広げ、一枚一枚を食い入るような目で見ていった。そして、
「この人が、韓国で殺された事件の犯人です」
末那が指差したのは、集団自殺を図った五人の中の一人だった。
「えっ、どういうことですか?」
警部は、末那の言う事が呑み込めない。
「あの時、いつもの癖で、一瞬でしたけど鬼眼を開いて被害者を観察したんです。犯人の顔や自殺した現場の風景も、あの時に見たものに間違いありません。父の仕事のことで忙しくしていたので、警部にいうのを忘れていました」
「うーん、今回の事件に、あなた達が旅行先で出くわしていたとは……、偶然とはいえ、こんなこともあるんですねぇ……。そうするとですよ、五件の殺人事件と集団自殺事件は、同じ事件の可能性が出てきたということですね!」
六根警部が色めき立った。
「警部の勘が当たりましたね。真犯人は、闇サイトなどで自殺志願者を募り、人殺しの駒として使ったのかも知れません」
コーヒーをすすりながら、謎解きが好きな天良が自分の推測を話す。
「その可能性は十分あると思います。もう一度、同じ事件であるとの観点から十人の身辺を洗い直してみます」
席を立とうとした警部に、末那が訊いた。
「その自殺したメンバーのご遺体は、今どうなっているのですか?」
「司法解剖の後、集団自殺事件として決着し、既に遺族に引き渡されているはずです。もう少し早く分かっていれば、末那さんに見てもらいたかったのに残念です」
残念がる警部に、末那が畳みかけるように言った。
「念のため、確認していただけますか?」
「無駄とは思うのですが……、少々お待ちください」
警部は、スマホを取り出し電話を掛け始めた。すると、
「えっ、まだ一体だけ残っているって!」
遺族の都合で、まだ引き取られていないご遺体が、残されていたのである。
末那たちは、遺体が保管されている大学病院へと、渡世が運転する車で急いだ。
大学病院の遺体安置所では、幾つもの遺体を保冷する引き出し型の格納庫があり、末那は、その左端に格納されていた、若い男性のご遺体と対面した。
「天良さん、ちょっと後ろを向いていて下さる」
鬼眼を開くと、鬼とは言わないまでも末那の顔は厳しい形相に変わる。彼女は、そんな顔を天良に見せたくなかったのだ。
「分かりました。そのカーテンの後ろにいますから、終わったら声をかけてください」
天良は、末那が鬼眼を開く所をまだ見た事は無かった。彼は、末那がどんな顔に変貌するのだろうと想像しながら、厚いカーテンの後ろに隠れた。
末那が意識を集中して鬼眼を開くと、死者の残思念が見えて来た。自ら毒を飲んだ死に際の苦しみや後悔の念――そこに満足や安心という思念はどこにも無かった。あるのは地獄の苦しみのみ。現世の苦しみから解放されようと死の世界に逃げた結果は、散々なもののようだ。尊極の命を自ら捨て去る行為は、犬畜生にも劣り大悪であると、仏法では説いている。
次に見えて来たのは、殺人の場面である。人を殺すことが、自殺へのトリガーとなるなどと言葉巧みに操られ、人を殺すことに執念を燃やす。その状況が、死にゆく相手の形相が浮かび上がる。
そして、指示役と目される人間の登場。鬼眼は二三分で閉じられた。一瞬、ふらついた末那の身体を、いつの間にか傍に来ていた天良が支えた。鬼眼を開く行為は、体力を消耗するのだ。
「五人の被害者のご遺体は何処に?」
支える天良の手に自分の手を添えながら、末那が警部に訊いた。
「ここに保管されていましたが、既に火葬されています」
そうですかと言って数歩進んだ末那は、一つの引き出しを指差した。
「ここに格納されていた方の不倫相手が真犯人です」
「えっ! もうそんなことまで分かったんですか?」
警部が驚きの声を上げる。
「先ほど、此処に格納されていた、殺された五人の残思念も微かに残っていましたので、事件のあらましを見ることが出来ました」
「詳しい話を聞かせて下さい。場所を変えましょう」
興奮気味の六根警部が職員を促すと、彼は別室へと皆を案内した。
会議室の一室に移動した彼らは、末那の言葉を待った。
「では、私がご遺体から感じ取った内容をお話します。先ほど、私が指差した所に格納されていたご遺体こそが、犯人が本当に殺したかった人です。至急彼女の不倫相手を突き止めて下さい。その人が犯人です。
犯人は、五人の自殺志願者を巧みに操り、五人を殺させましたが、本命は彼女一人で、あとはカムフラージュだったのです」
「ありがたい。これで事件は一気に解決できます。有難うございました!」
警部は早々に席を立ち、スマホを片手に部屋を出ていった。
「警部は一気に解決と言いましたが、犯人が自白しなければ、また出番ですね」
「仕方ありませんわ。仕事ですから……」
部屋に残された、天良と末那が顔を見合わせている。
「正月早々、初めての海外旅行が出来たと喜んでいたら、この事件でしょう。私達には、事件が付きまとう運命なんですかね」
「嫌になったら、いつでも外れて下さって良いんですよ」
「私と末那さんは、運命で結ばれているんでしょう。それが真実なら、私が貴女から離れる事は無いと、何となく思います。……例えばの話ですが、愛する人に大変な仕事を押し付けて、自分は遊んで暮らすなんてことは、私には出来ませんからね」
「そう言っていただけると嬉しいです」
末那が、天良の手を取って言った。
「さあ、渡世さんも待って居るでしょうから、帰りましょうか」
「はい」
二人が外に出ると、渡世が笑顔で待っていた。