事件――愛ゆえに③
「あなたは何なの?」
どう見ても刑事らしからぬ若い女の登場に、東形恵子が怪訝な顔を向けた。
「六根警部の要請で、あなたとおしゃべりしに来ました。日神摩那と申します」
物怖じする様子もなく、摩那が頭を下げる。
「何のつもりか知らないけど、用がないなら帰らせてもらうわ」
東形恵子が摩那の横にいる六根警部を睨み、椅子を後方にずらして席を立とうとした時だった。
「私、あなたの心が見えるんです。あなたが御主人を殺したことも知っています」
摩那の言葉に、東形恵子の動きが止まった。
「ふん、鎌をかけようとしたってその手には乗らないわ。人の心が見えるものが居れば、それは化け物よ!」
彼女が、摩那を睨んで吐き捨てるように言った。
「……かも知れませんね。では証明して見せましょう」
落ち着き払った摩那が、吸い込まれるような黒い瞳を東形恵子に向けた。
「貴女からは、ご主人への深い愛情が感じられます。でも、貴女が彼の事を思って世話を焼けば焼くほど、彼は貴女を重荷に感じるようになり、心は離れていったようですね。
恐らく今回の事件は、御主人から酷い事を言われたことに腹を立てた、突発的な事件だったのだと思います。我に返った時、貴女は深く後悔し嘆き悲しんだはずです」
無表情で聞いていた恵子の顔が、驚きに変わっていく。
「そして、せめて愛する人を、二人の思い出の地である奥多摩に葬ろうと考えた。御主人の顔や指紋を消して時間稼ぎしたのは、もう少し、彼との幸せだった思い出に浸る時間が欲しかったからではないですか。
あなたは、彼を背負って思い出の場所まで運んだ。女の身で、夜の山を御主人を運ぶのは大変な労力がいったと思いますが、あなたはそれを難なくやってのけた。あなたの御主人に対する愛が、そうさせたのだと思います。そして、あの沢まで運び、彼の衣服を整え、思い出を語り合って別れを告げた……」
そこまで話すと、顔を伏せていた彼女から嗚咽が漏れ始めた。
「ううっ、何故そんなことまで……知っているの?……あなたは何なの!? ああーーーーッ!!!」
彼女は顔を上げ、摩那を恐怖の眼で見た後、両手で頭を抱えて絶叫しだした。
「あれから、彼女は全てを自供したらしいですね。
ひとつ気になっているんですが、女性が遺体を背負いながら、夜の険しい山道を登るなど、ほとんど不可能だと思うんですが、彼女も貴女のように鬼眼を開くことが出来たのではないのでしょうか」
警察からの帰りの車の中で、天良が自分の疑問を摩那にぶつけていた。
「私のような能力者は殆ど居ないはずですし、居たとしても会えば分かります。彼女の場合、愛の力が途轍もない力を発揮させたと言うほかありませんね」
「そうなんですか……。あと一つ、取調室で言った事は、どの時点で分かってたんです?」
「それは、あなたが怪我をした現場で、私が鬼眼を開いた時に、遺体の情報が入ったんだと思います。あの時は、あなたを助ける事に必死で忘れていたのを、彼女と最初に会った時に思い出したのです」
「そうでしたか……。あなたに掛かっては、どんな犯罪者も嘘は通じませんね」
「たとえ真実が分かったとしても、私の言葉だけでは証拠にはなりません。最後は、犯人の自供を引き出すしかないんですが、私は、自供を引き出すというよりは、相手の心をいかに救うかということに心を砕いているつもりです」
「なるほど。だから、彼女の心に寄り添ったんですね。摩那さんの言葉には、相手を思いやる心に満ち溢れていたように思いました」
「私は取調官でも、裁判官でもありませんから、人間として、苦悩する相手に寄り添うことしか出来ないのです」
「凄い事です。……話は変わりますが、事件も解決した事ですし、よろしければ、また何処かに遊びに行きませんか? 行きたい所があれば言ってください」
「嬉しいわ。また考えてお電話しますね」
彼女の屈託のない微笑みに、ホッとする天良だった。
「本当に山が好きなんですね」
天良が前を行く摩那に声をかける。次の日曜日、二人は再び大岳山に登っていたのだ。
「この間は、せっかくの初めてのお出かけだったのに、あんなことになってしまったでしょう。この山の頂上からの素晴らしい眺めを、あなたにも見てもらいたいんです」
「それは楽しみです。今日は天気もいいし、紅葉も綺麗で心が洗われますね」
「自然は、心を癒してくれるから好きなんです」
「殺人事件などはストレスのたまる仕事ですもんね。息抜きは必要です」
「でも、私はあなたが傍に居てくれるだけで、心が休まっているんです。あ、こんなこと言い続けると、あなたに嫌われてしまいますね」
「いや、そんなことはありません。傍にいるだけで良かったら、いつでも付き合いますよ。私にはなんの力もありませんが、あなたのお役に立ちたいという気持ちはありますから」
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」
暫く登り、二人が頂上に着くと、そこには、見事な眺望が広がっていた。
「いやあ、これは凄い。苦労して登って来た甲斐がありますね。疲れも吹っ飛びます」
目を見張る天良に、摩那が微笑んだ。
「ほら、遠くに富士山も見えるでしょう」
彼女の指さす彼方には、頭にうっすらと雪化粧をした秀峰富士が見えた。天良は「写真、写真」と、スマホを取り出し、頻りにシャッターを押した。そして、二人で写真に納まった。
「少し下りたところに広場がありますから、お昼にしましょう」
「待ってました。お腹が空いていたんです」
二人は、手頃な場所を見つけ、敷物を敷いて、摩那が用意してくれたお握りやサンドイッチを頬張った。
「うまい、うまい」
美味しそうに食べる天良を、摩那は母親のように目を細めて見ていた。
食事も終わり、二人は、自然に抱かれた開放感の中で話し合った。
「この際ですから聞いていいですか。質問ばかりですみません。あなたの事をもっと知りたいんです」
「何なりと」
「私を運命の人だと言い、結婚したいとまで言いましたが、それは、鬼眼で何か見えたのでしょうか。まさか前世が見えるとかもあるんですか?」
「……他人の前世を見るまでの力は私にはありません。ただ、自分の過去が、夢に出てくるのです。過去世の私だったり、夫であったあなたのことだったり。あなたの顔は、夢に出て来る夫に瓜二つなのです。だから、あなたを運命の人と言いました。夢ですから、真実かどうかは分かりませんが、私は本当の事だと思っています」
「私達が、はるか昔の過去世でも夫婦だったというのですか?」
「その通りです。と言っても信じられないでしょうけど」
「そうですね。でも、あなたのような能力者なら、それが真実でも不思議ではないと思うのですが、あなたの想いに応えられる自信は、まだありません」
「それは、仕方ありませんわ。時が解決してくれると信じています……、
いけない、いつの間にか話し込んでしまいましたね。そろそろ下山しましょうか」
気付けば、日が傾き始めていた。二人は早々に後片付けをして、帰路に就いた。
事件1完結です。