互いの秘密
話が一段落した所へ、当主である日神阿頼耶が現れた。中肉中背の彼の顔には、数々の苦難を勝ち越えて来た勝者の風格があった。
一代でここまで会社を大きくして来た陰には、どれだけの苦労があったろうかと天良は彼を見ながら思った。
「九条君、この度は娘を助けて頂き有難う。この通りです」
阿頼耶が深々と頭を下げると、天良も立って応じた。
「それで、話はどうなったんだ?」
摩那の隣に座りながら、阿頼耶が優しい眼差しを彼女に向けた。
「取りあえず、お友達になっていただきました」
はにかみながら、摩那が答えた。
「天良君、娘が無理をお願いしてすまないね。これも何かの縁だと思って、暫く付き合ってやってもらえまいか」
「私を知れば知るほど幻滅すると言ったのですが、それでもと仰いますので、仕方ありません」
「はっはっは、君は正直だね。少し聞きたいんだが、君には夢はあるのか。あと一つ、私の全財産をやると言ったらどうする?」
阿頼耶の顔は笑っていたが、目は真剣だった。
「夢は特にありません。ご存知のように私は無学な一工員で、その日その日を生きているだけです。お金は欲しいですが、分不相応の金は身を亡ぼすように思いますのでいりません。私には猫に小判です」
「なるほど、夢も野心も無しか……。分かった、ゆっくりしていきなさい。この家には自由に出入りできるようにしておくから、いつでもいらっしゃい」
阿頼耶はそう言うと、急ぎ足で部屋を出ていった。
「お父様ったら不躾な質問でごめんなさい。気を悪くしないでくださいね」
「どうやら、私はお父様の御眼鏡には、かなわなかったようですね。当然ですけど」
「そうでもありませんわ。お父様は正直な人は信用しますから」
「そうなんですか……。ところで摩那さん、今日の予定はありますか、私は暇ですので、昼飯でも食べながら話しませんか。本当の私が分かれば、あなたも諦めると思いますので」
天良が積極的になったのは、ありのままの詰まらない自分を見せつければ、彼女の考えも変わるだろうと思ったからである。
「ええ、是非お願いしたいわ。我が家でも、レストランでもよろしいですよ」
「できれば、肩が凝らない、人に煩わされない所があればいいのですが、何処かありませんか? 私はそう言うのはよく分からないのでお任せします」
「分かりました。ちょっと探してみますね」
彼女は、いそいそと部屋を出ていった。
彼女に連れていかれたのは都内のレストランで、広めの部屋は当然のように貸し切られていた。天良は、さすが財閥と驚くばかりである。
二人は食事をしながら、互いの身の上話で盛り上がった。
彼女が幼い頃、母親は病気で亡くなったそうで、それからは、父親の秘書をしていた小百合さんが家に入り、彼女を育ててくれたそうだ。
「辛かったでしょうね」
「まだ幼かったですから……、でも、小百合さんが居なかったら今の私は無かったと思います。私にとっては、育ての母のような存在ですわ。今も家の全てを取り仕切ってくれています。
今日も、私の大事なお客さんだと言うと、給仕を買って出てくれたんです」
「そうだったんですか。大事にされているんですね」
「ええ、だから私もお父様も、あの人には頭が上がらないんです」
「分かるような気がします。先ほどお会いした時、知的で優しさがにじみ出ているような人だと感じました」
天良は、日神邸で優しい笑顔で挨拶してくれた、小百合の事を思い出していた。暫しの沈黙の後、天良が話題を変えた。
「話は変わりますが、私を初めて見た時運命を感じたと言いましたが、あんなに離れていて、どうして私を認識できたんですか? 私にはどうしても納得いかないんですが」
「……それは」
天良の問いに、摩那は笑顔を消して口籠った。
「私には、人の見えないものが見えると言ったら信じますか?」
「見えないもの? 霊のようなものですか?」
「霊ではありませんが、私は幼い頃から、相手の心が分かったり、過去が見えたりするのです。あの時も、あなたを遠くから見ただけで、この人だと直感しました」
「本当にそんなことが……、いやいや、私にはとても信じられませんよ」
天良が笑いながら手を振って否定すると、彼女は笑顔を消した。
「では、今、あなたから感じる事を言っていいですか? 触れたくない過去がありますよね?」
「……探偵でも雇って調べたんですか。お金はいっぱいありますからね」
面白がっていた天良が、真顔になって彼女を睨んだ。
「そんなことはしていません。私には分かるのです」
摩那も真剣な目を向ける。
「じゃあ言ってみて下さい」
「あなたは無気力な性格を装っていますが、本当は気性が激しいんだと思います。気持ちが爆発して、自分を制御できなかった事が過去にありませんでしたか? それも尋常じゃないほどに。そんな自分が怖くて、積極的に生きようとしていない気がします」
摩那は、全てを見透すような瞳で、天良を見つめながら淡々と言った。すると、そんなことは分かるはずがないと、高を括っていた天良の顔色が変わった。
彼には、学生時代、喧嘩をして相手に大怪我を負わせてしまった事があった。それからは、切れると何をするか分からない自分が怖かった。だから、波風の立たない人生を選んでいるのだ。
「……参ったな、その通りです」
天良の張りつめていた表情が緩んだ。
「私が怖くなりましたか?」
「怖いというより驚いています。ずっと心に秘めていた人生の大事ですから……」
「この力のお陰で、私には友と呼べる人は居ません。誰だって、隠したいことの一つや二つはありますから、わざわざ、丸裸にされに近づいてくる人なんか居ませんもの。初対面で私の秘密を曝け出したのは、あなたが運命の人だと私が感じた事が、単なる思い込みではない事を証明するためです」
彼女はそう言って目を伏せた。天良は、彼女の真実味のあるとんでもない身の上話を聞かされて、自分が、胸の奥にしまっていた激しい性格のことなど、大したことでは無いような気持ちになっていた。
「……こんな私なんて、あなたの友達にはなれないですよね」
彼女が、ぽつんと言った。
「そうでもないです。あなたに全てを知ってもらって、何だか気持ちが楽になりました。次は、何処かに遊びに行きましょう」
「えっ、本当にいいんですか! 嬉しい!」
彼女は弾けるような笑顔になって、天良の手を取った。