青森のクマ事件
慌ただしく旅行の準備を終えた末那たちは、昼過ぎの東北新幹線「はやぶさ」に飛び乗り、その日の内に青森県黒石市のホテルに入った。
翌日、彼らは黒石市内の警察署を訪問し、署長立会いの下、改めて事件の詳細を聞いた後、数台のパトカーに分乗して事件現場へと向かった。
30分ほど走ると街並が途絶え、緑の田や畑へと景色が変わっていく。道沿いに流れる小川を左に見ながら更に行くと、両側から山が迫って来た。そんな山間の道を、少し行ったところで車は止まった。近くに人家は無く、寂し気な村道ではある。
「この数百メートル先に十数軒の村落がありますので、この道は、まるっきり人通りが無いわけではありません。被害者は中村錦一さん69歳で、その村落の住人です。単車で帰宅途中に襲われたようです。クマの足跡や体毛なども発見されていますから、殺人の線はあり得ないと思うんですが……」
案内してくれた黒石署の山城警部が、被害者が倒れていたという場所に立ちながら、説明してくれた。
この事件を、クマの襲撃事件として処理した彼らにとっては、今回の再捜査は納得いかないものだったが、警視庁からの指示とあっては、従わぬ訳にはいかなかった。
「ここなら、助けを呼んでも誰にも届かないですね。しかし、襲われた時間は午後三時でしょう。クマの仕業に見せかけた犯行なら、かなり用意周到な計画を立てているはずです。現に、何の証拠も出ていないし、目撃者もいませんからね。そんな奴が、真昼間を犯行時間に選びますかねえ……」
六根警部が、顎に手を添えて首をひねる。
「とりあえず、ここで、被害者の残思念を探ってみます」
末那が遺体があった場所に向くと、渡世は皆を下がらせ、天良は彼女に寄り添った。
彼女は、俯き加減になって目を閉じると、精神を集中して一気に鬼眼を開いた。
懸命に何かを念じるように微動だにしない末那の後姿を、彼女の能力を詳しく知らない黒石署の面々は、怪訝な顔をするばかりである。
鬼眼で開かれた末那の強力な思念が、時間の経過で希薄になった死者の残思念を捉えると、彼女の頭に映像が浮かんで来た。それは、単車に乗って帰宅している被害者視点の映像だった。映像は、やや、ぼやけてはいるが、状況が分からないほどでは無い。
被害者が事件現場に差し掛かった所で、ツキノワグマが飛び出して来て、彼は単車もろとも転倒する。被害者が起き上がろうとしたところへ、クマが襲い掛かる。だが、本物のクマにしては動きに違和感があった。
クマに直接触れた事で、偽物と気付いた被害者が、「お前は誰だ!」と叫び、手を伸ばした瞬間、血飛沫が飛んだ。クマの爪が被害者の首を切り裂いたのだ。彼の意識が薄れ、視界が暗くなっていく。そんな中、クマは二本足で走り去って行った。
鬼眼を閉じた末那が、フーッと大きく息を吐いて皆に向き直ると、少し疲れたような顔で、隣にいる天良の手を握った。
「能力を使うと、体力を消耗するんです。話は、署に戻ってからでいいですか」
天良が言うと、末那の言葉を期待していた彼らは、拍子抜けした顔をしながらも、車へと導いてくれた。
末那たちは途中レストランに寄り、軽い昼食を済ましてから署の会議室に戻った。
「お疲れさまでした。それで、現場を見て何か分かりましたか?」
山城警部が、コーヒーを進めながら末那に訊いた。
「信じられないと思いますが、私には、ご遺体があれば、死者の生前の記憶を見ることが出来ます。今回のように、時間も経った殺害現場だけでは精度は落ちますが、被害者の後悔や驚きの念は感じられましたし、殺害時の状況も、粗方見ることが出来ました。
今回の犯人は、クマのはく製を被った人間に間違いありません。これは、人による殺人事件です」
末那が真剣な目で言い切ると、山城警部は何とも言えない顔で「そうなんですか……」と、言ったきり黙り込んでしまった。能力者の存在すら知らなかった彼らにとって、その反応は無理のないことだった。
「捜査の仕方が通常ではないので、驚かれたと思いますが、いつもこんな感じです。本件が殺人事件と断定されても、特異な案件ですから、黒石署や青森県警に迷惑が掛かることはありませんのでご安心ください。ただ、事件の捜査は出来るだけ隠密裏にしたいので、そこのところ宜しくお願いします」
六根警部が補足して頭を下げると、山城警部は戸惑いながらも、「分かりました」と応じた。
異能力特別捜査室の活動は始まったばかりである。今後、全国を舞台に活躍すれば、末那の能力は皆の知るところとなるだろう。宿敵、月神子との遭遇も、意外と早くなるかもしれなかった。
その時、六根警部のスマホが鳴った。彼は小声で話していたが、
「東京の星見室長から電話が入っていますので、モニターに映します」
と、スマホをモニターに接続した。
「皆さんご苦労様です。早速ですが、こちらでの捜査状況を報告します。投稿された手紙については、雑誌の切り抜きを貼り付けたものでしたので、差出人の特定には至りませんでした。
類似事件の洗い出しについては、過去一年間で合計三件見つかりました。いずれも、クマによる殺傷事件で、被害者は全員死亡しており、目撃者もいません。事件の場所等の詳細は各自のスマホに転送しておきます――。そちらの捜査状況はどうですか?」
「末那さんの能力で殺人現場を見てもらったところ、間違いなく、人による殺人事件であることが判明しました。後の三件も末那さんに見てもらう必要があると思います」
六根警部が末那に視線を送ると、彼女はコクリと頷いた。
「では、末那さん、今後の動きの整理をお願いします」
星見室長が末那に話を振った。
「そうですね。犯人の動機ですが、被害者への怨恨の線も念のため探ってみましょう。
それと、犯人の移動手段としては、車が使われた可能性が高いですから、不審車両やレンタカーの確認なども必要でしょう。三件の殺人現場の確認と共に、それらも調べながら帰ろうと思います。
後は、クマのはく製の購入者の洗い出しも必要でしょうね。ああ、それから、クマの遺留物があれば、同じクマのものか鑑定する必要がありますから、警視庁の科捜研に送ってもらいます」
「分かりました。残りの三件の捜査については、こちらから、岩手県警、北海道警にその旨伝えておきます。大川、里見、高橋の三名もそちらに合流してもらいます」
「よろしくお願いします」
要点の確認をすると、電話会議は終わった。
「類似事件の三件は、岩手県盛岡市と北海道の苫小牧と知床ですか、予定の三日ではとても終わりそうもないですね」
室員の松方が、やれやれといった顔で言う。彼は新婚で、本音を言えば早く家に帰りたかったのだが、異能力特別捜査室が全国を相手にする以上、出張は日常茶飯事となることを、覚悟しなければならなかった。
「一旦帰ると二度手間になりますから、この際、一気に回った方が効率的です。取りあえず、私と天良さんと渡世さんは、三件の現場を回ります。六根警部と松方さん市川さんは、こちらと盛岡市の被害者の怨恨と不審車両を探ってください。
期間は、一件につき二日としましょう。もしも調べ残しがあるようなら、現地の警察に依頼してください。東京の、大川さんと里見さん、高橋さんには北海道の二件を担当してもらいます」
「分かりました。では、早速動きましょう!」
六根警部の掛け声で、末那たちは一斉に椅子から立ち上がった。




