無効化
クリフ様の呪いを吸収して無効化しようと決めてから、私は着々と準備を進めていた。
と言っても、大したことはない。
無効化自体は、クリフ様が寝ている隙にこっそりやってしまえばいいだけ。
気がかりだったのは、私の治癒を心待ちにしている公城のみんなや神殿に来る人たちだ。
聖力が使えなくなった後は何もしてあげられなくなってしまう。
呪いを無効化したら、私はすぐにこの公城から出ていくつもりでいた。
もう私という存在が必要なくなってしまうという事実が、みんなから必要ないと言われてしまうことが、ただ怖かったのだ。
何よりも、リエナと一夜を共にしたクリフ様と一緒にいることが……クリフ様のその口から必要ないと告げられてしまうことが一番辛いのかもしれないが……。
とにかく、そうとなれば私がいなくなった後、治癒を必要としている人はショックを受けてしまうかもしれない。
そう考えて私は、聖力を保っているうちに、治癒のパワーを転写した聖水を作っておくことを閃いた。
図書館で魔法書を読み漁っている時に、治癒力を持つ聖水の作り方を見つけていたのだ。
それならみんな気兼ねなく治癒の恩恵を受けられる。
もう呪いについて調べる必要もなくなったので、神殿に出向く以外はひたすら部屋にこもって聖水を作り続けた。
かなりの数が出来上がったのを見計らって、私は今日の夜、とうとう呪いの無効化を決行することにした。
朝、神殿に向かうための馬車を待っていると、ザフリーが通りかかった。
もしかしたら、話せるのは最後かもしれない。
私は衝動的に話しかける。
「ザフリー、この前の話覚えてる?」
「え??」
突然の問いかけにびっくりした様子だ。
「ほら、恋の話」
「ああ、本気で人を好きになるってあれか?」
「うん。その時にはきっとクリフ様がアメリア様のためにしたいと思ったことを心から理解できるようになるから。今の苦しさから解放されるはずよ」
だから、主君を信頼できない、なんて自分を責めないで。
私はそんな願いを込めてザフリーに言った。
ザフリーは何か遠くにあるものを見るように私を見つめている。
「君、」
ザフリーが言いかけたとき、迎えの馬車が到着したという知らせがやってきた。
私はすぐさまザフリーに笑顔で言う。
「じゃあ行ってきます! 今日はいつもより戻りが少し遅いかも」
「お、おう」
ザフリーは気を取り直して私を見送ってくれた。
そうして、私はいつも通り、でもいつもよりもさらに心を込めて神殿での奉仕に励んだ。
今日でここに来れるのは最後だから、一人でも多くの治癒をしよう。いつもよりも遅くまで残って頑張った。
帰り際には、眠り効果のある薬草を神殿から分けてもらう。
これは不眠症の人のために神殿が作っているものだ。
これを燻せば一晩はぐっすり眠ることができるため、クリフ様に気づかれることなく呪いの無効化を決行できるだろう。
神殿から帰宅後に、疲れを取るためのハーブだと言って、今日の夜クリフ様が眠る前に焚いてあげてほしいとユーリにお願いしておいた。
神殿の物なので、怪しまれずに済んだのが幸いだ。
――――――
深夜1時を過ぎた頃、私はお茶の用意をして部屋の扉を開けた。
そこにはいつものように護衛をしてくれているカイルが立っている。
驚いたカイルの顔を見て私は少し笑って言う。
「なんだか眠れなくて。少しだけ付き合ってくれない?」
私は部屋にカイルを招き入れて、ソファを促してお茶を勧めた。
カイルの紅茶にも眠り効果の薬草のエキスを入れておいたのだ。
これまでも何度かお茶に付き合ってもらったことがあり、特に疑うこともなくカイルはお茶を口にする。
……――――。
これでしばらくの間は眠っているだろう。
テーブルにみんなへの感謝と聖水のしまってある場所を書いた手紙を置いたので、起きたらそれを伝えてくれるはず。
ごめんね、カイル。
私はソファで眠っているカイルに謝ってから部屋を出て、ひっそりとクリフ様の寝室へと向かった。
そーっと寝室の扉を開けて、慎重に部屋の中へ入ると、ユーリはちゃんと薬草を焚いてくれたようで、クリフ様はすやすやと眠っている。
窓から入る月明かりが彼の美しい寝顔を照らしていて、その姿を見ると私は胸がツンとした。
もうこれで最後なんだ。
いや、だめだ、余計なことを考えてたら悲しくなっちゃう……!
私は湧いて来る様々な感情を振り切って、手早く終わらせようとベッドの傍に立ちクリフ様に手をかざした。
神殿の奉仕活動に鍛えられて、聖力の扱いはもう完璧だった。
今回は、治癒ではなく、呪いの無効化。
全力をかけてクリフ様の中に存在する呪いを自分の中に吸収する。
焦る気持ちを抑えて、ゆっくりと、確実に、魔力切れを起こさないギリギリのラインまで全力を注ぐ。
冷や汗をかきながら長い時間そうしていると、重く感じる何かがズーンと私の中に入ったことが分かった。
コレだ!!!
私は“それ”をしっかりと自分の中に格納して聖力で包んだ。
その瞬間。
ズキン!!!!
と、心臓に痛みが走る。
同時に身体中に熱が駆け巡った。
慌てて自分の右肩を確認してみると、呪いの刻印がしっかりと刻まれている。
私はそっとクリフ様のシャツの袖をまくり、右肩を確認してみる。そこにあった刻印は綺麗に消えていた。
成功したんだ!!
思わず安堵の気持ちが込み上げて、座り込みそうになったがなんとか耐えた。
早く行かなくちゃ。
私は急いで庭園に出て、前にメイドの一人から聞いていた公城の隠し通路に向かった。
使用人のみんなが、街へお遣いに出るときに使用している近道のようなものだ。
そこから街に出るのに、そう時間はかからない。
誰かに気づかれる前に早くここから去らなくては。
私は必死に通路に向かった。
呪いの方は完璧に無効化できるにはまだ時間がかかるようで、身体は熱を持ち、心臓が燃えるように熱い。
少しでも気を抜くと、倒れそうになる。
私は徐々にぼーっとしてくる頭を振って、意識を保ち必死に歩いた。
なんとか通路の扉が前方に見えてきた瞬間、心臓がさらにカーッと熱くなり、立ち止まる。
居ても立ってもいられず、私は思わずその場で膝をついてしまった。
うう、苦しい。
こんな辛さをクリフ様はずーっと一人で抱えていたんだ。
自然と涙が溢れて止まらない。
早く立ち上がってあの扉を出なくちゃ。
頭では分かっているものの、身体が思うように動かない。
痛みと熱に耐えながら、重くなった身体を動かそうと気持ちを奮い立たせているとき、背後から突如低い声が響いた。
「ラン……」
私は反射的にビクッと震え、声の聞こえた方へ恐る恐る振り向くと、そこには悲しそうな顔をしたクリフ様が立っていた。
彼は傍までやってきて目の前に跪き、私の顔を覗き込む。
「どこに行くつもりだ?」
そう聞くクリフ様は、少し怒ったような顔にも見える。
私は答えようとするが、声にならない。
もっとも、声が出たところで上手い言い訳など思いつかないが。
私はどんどん息が上がって来るのが分かった。
そんな私の様子に気づき、クリフ様はその逞しい胸の中に私を引き寄せる。
やっぱりクリフ様の胸の中は温かくて心地いい。
私は薄れゆく意識の中で、そんなことを思っていた。