覆る
総代を危険に晒す訳にはいかない。
しかし身内の不始末を放置しても累が及ぶ。
せめてもの対処として自分が使いとなった。
その女は、怪しいとしか言いようがなかった。
日中から歩き回っているのに、外套もなく手足の露出した衣服を着ていた。
この街で白い服は目立つが、輪をかけて目立つ姿だ。
白地に濃い青の模様が入っていて、強い色の対比で人目を引く。
女1人で肌をさらして歩く上、1人なのに何も持ち歩いていない。
幾重にも珍妙だ。
汚れからみて、報告にあった内容を知らなくても色々あったのだろうとの予測はつくが、それにしては薄そうな布地は見た目より丈夫なのか、破れたところもなさそうだ。
何よりも異様なのは、衣服の一部。
常人には感じられないであろう、マナと魔力の固まり。
それはあり得ないモノだ。
衣服に内物入れでもついているのか、それともわざと隠し持っているのか。
女自身からも魔力を感じるが、隠れるモノの異様さに紛れている。
魔力持ち。
ハッキリとわかる。
魔力持ちを避けていたのは、総代が文献から魔力持ちは互いが解る、とあったために指示した事だった。
よもや真実だったとは。
相手にもこちらの魔力を知られたのか、警戒している。
取り押さえる状況になったときのために、何人か潜んでいるが、そちらには気づく様子もない。
表面上は大人しくついてきたが、あの得体の知れないモノを取り出した時には、肝が冷えた。
何をしたのか、後に監視していた者に訊ねてもわからず仕舞いだ。
総代自ら何故か女に物を教える。
茶番のようだが、総代は聞き出したい事でもあるのか、丁重にもてなした。
女は礼儀は知らぬようだが、総代に敬意を払おうという意志は垣間見える。
しかし動きも鈍く、愚かそうな女。
今回の件が済めばこれ以上の関わりは不要。
度肝を抜かれたが耐えた。
そして、また熱当たりになったのか女が倒れかけた時。
間に合いそうだったので、崩れ落ちる前に、体を支えようと触れた。
手首を掴んだ、素肌に触れた時、というべきか。
己から何かがごっそりと抜け落ちて、何かが流れてきた。
体の内側を巡り、またたく間に消えた。
突然、体が軽くなった。
日をおうごとに増してきた頭痛や体の怠さ、痛み。
もはや常となっていたそれが消えた。
信じられずにいるのに、開放された喜びが身体中の隅々から発せられ、浮足立つ。
世界中、どこまででも巡れそうなほどに。
女の揺れる黒髪を見て、ハッとした。
総代とコネンさんを見ると、驚いたような表情。
その顔がくっきりと見えた。
二人の表情、肌の色、瞳の色。
ずっと見ていたはずの、久しく見ていなかった世界。
日々を共に過ごした人達の顔を、新鮮な思いで目に焼き付ける。
昨日も今日も顔を見て話して、数年ぶりに知る顔を。
総代の髪は何故か明るくなった気がする。
コネンさんは目尻にシワが出来ていた。
世界に突然、色がついた。
知らず、視界すら蝕まれていた。
先程までの鉄の鎖で縛り付けられていた重荷は消えた。
あの降り積もった暗い澱のような何かは、もうどこにも感じられない。
世界がひっくり返った。
次々に湧いて出る、木の実、瑞々しい果実。
息を呑むような美しい大きな世界。
一度だけ見た極楽鳥のような鮮やかな光景が、流れるように頭に飛び込んでくる。
籾が風に飛ばされるような早さで、女の頭の中はうつろう。
異世界。
何もかもが、想像を絶する。
まるで楽園。
先程から、驚くほど簡単に心が震える。
これが感動か、と。
まるで今まで何も感じた事がないように。
物に溢れた世界から落ちたらしい女は、絶望もしておらず、苦にも思っていないようだ。
この女には、恵まれた者に対する妬みを僅かに感じる。
食べ物につられそうな単純さは便利ではあるが。
まさか本当に異世界などが存在するとは。
二人の視線を感じてはいる。
心配はさせたくない。
己を冷やそうと、無駄に幼い頃を思い起こすが成功しているとは言い難い。
当時、虹を知っていたはずがないし、そもそもあやふやなのだ。
足掻くほど記憶を作り出してばかりいるようだ。
頭の中が整理出来ずにいる。
それでも、もちろん報告はするが。
主と恩人達に。
女の事。異世界の事。
そうとは知らず魔力を交換して、この女に命を救われた事を。
官吏は、女が大人しそうに見えたのか、言外に金を要求してきた。
会話はこの周辺の国々で公式な場で使われるインサダ語だ。
様々な意味でこの女に理解出来るのかと思ったが、そもそもこの女は一人で悩むという事はしなかった。
「スマ子、今何を言われてるんだ?」
せめて我々に聞けばよいものを、妙な光沢の黒い布袋に話しかける。
あの、異様な魔法具(?)もまた問題だ。
「ハゲチャビンはこう言っています。『オイラっちに賄賂をくれたら、お前悪くない事にしてやんよ?その金でピチピチのギャルとレッツパーリィナイトさ!』と」
総代自ら、わざわざ出向いた事すら最早意味をなさなくなった。
証言を強要したと判断されないよう、こちらから口は出さないが、聞かれれば誘導出来る。
そのために来た。
何故、我々に下手な方便で隠した魔法具に今、話しかける。
「おや、お代官様。新たにお若い花嫁を迎えられるのですか?これは目出度い。景気の良いお話は商売人には何よりです」
カコド周辺の母語での、姿の見えないモノとの会話のせいで、官吏はやや青ざめ、総代は笑顔になった。
お代官様、と呼ばれるほどの位ではないので、当然嫌味である。
カコドでは、新しく妻を迎える場合、一人目の妻と同等の扱いをしなければならない。
同じ程の家、使用人、それとは別に、主人に先立たれた場合の為の財産。
相当な金が動くので、商売人には喜ばれる。
この状況で引き下がる者はいない。
もっともこの男は、本物の代官の婿なので、そんな事が可能だとは思えないが。
言語が不明瞭になった官吏を相手に目的を達し、帰途に就く。
総代は何故か、女を屋敷に招き盛大に饗した。
本当に盛大に。
屋敷で一番大きな広間に、魔法具『オアシスの風』を配し、全ての使用人に参加自由、屋敷内の全ての酒と食べ物を放出した。
資産価値のある物は事前に鍵をかけたが。
当たり前だ。
これだけでも主人の結婚でもなければ、普通あり得ない。
報告の後に広間へ行けば、女は呆れるほど飲み食いしていた。
陽気に仲間達も歌い踊り、一人一人の顔を驚きながら見ていると、矢のように時は過ぎた。
翌日、不穏な話が舞い込んできた。
「2隻出たそうだ」
あれ程の魔力とマナの固まりが、今まで隠されていたというのはあり得ない。
この周辺で一番大きな街はカコドだ。
あの女はどこから来たか。
最も簡単に帰結する答えは海。
如何なる結末に終わろうと、街がそれを海賊と見做さなければ、助けに船など出そうものなら、こちらが海賊になる。
総代が己を見ているのは、判断せよという事か。
この街と敵対するか、否か。
つい昨日、救われた命で、見捨てるべきなのか。
昨日の宴でのたくさんの笑顔が思い浮かんだ。




