水の夢
夢を見た。
夢とわかってる夢だ。
水の上に立つのに疲れて、水の上に横たわったところから始まった。
ひんやりと気持ちいい。
目を開けると、目線の先に小さな女の子がいる。
もっとボロボロの、布を巻き付けてるだけ、という格好なら知ってる娘だが、そっくりだけど別人らしい。
装飾は少ないけどフワフワした生地のワンピースを着ていて、歩く度に風を含んで揺れる。
表情は明るく豊かで、微笑みを浮かべながら、あちこち花をつんだり木に話しかけたり、小さな虹を見せる噴水に歓声をあげたり、水の上を歩き回る。
世界はキラキラと、喜びにあふれている。
ふと彼女の影を見る。
水の下で、影だと思ったあの娘の姿は、上とは別の動きをする。
刺繍なのかリボンかで縁取られている、薄い色のワンピース。
髪には飾りがついているけど、彼女は本当はつけるのが好きじゃない。
髪飾りもワンピースも、かわいくて良く似合うから、と用意されたのだけど、本当は濃い青が着たい。
まだ子供の彼女は、自分が着た姿は想像できないけれど、真っ青な空の色が好きなのだ。
本当の本当は、それが海の色だと、昔遠い誰かに教わったから。
それがいつからなのか、自身で覚えていないが、彼女はずっと海に憧れている。
大人は危ないから、というが、彼女は水のある場所がキラキラとして好きだ。
海は、もっともっと水が集まっているという。
水の生まれるところ。
水のかえるところ。
いつか。
いつか、自分も海に行きたい。
海を教えた誰かに聞いたのか、星が六つ回るくらい歩いたら、たどり着けるのだ。
もっと大人になったら。
もっと自分がぐんぐん、ぐんぐん歩けるようになったら。
いつか。
いつか。
お皿を運びながら、困った顔で探しものをしながら。
彼女はずっと夢想する。
いつかどこかで、困ることも悲しいことも何一つなかったように。
またどこかで楽しくて幸せで安心して暮らせるように。
もっとずっと小さな頃、とても温かな何も困ったことのない、素敵な、素敵なところにいた。
海に行ったら、その場所はすぐ近くにあるだろうか?
そこにいる人は、自分のことを何でも知ってるように、抱き上げてお菓子を分け合ってくれるだろうか?
今、かわいい弟とお水を分け合って飲むように。
弟。
彼女がたった一つ失わなかったもの。
彼女に残されたもの。
あとは遠い遠いどこかに置いてきてしまった。
決して本意ではなかったけれど。
弟のことが思い浮かぶと、彼女の姿は一つになる。
うずくまり、水面を撫でているようだが、よく見ると、眠る弟の額を撫でていた。
虫を見つけると、真っ先に小さな指でつまんで自分に見せに来てくれる、かわいい弟。
(彼女は虫は実は好きではないのだが)
『おてつだい』の間はじーっとしているのに、お手洗いに行くときはどこまでもついてくる、かわいい弟。
まわりの大人たちは優しいのだけれど、自分には弟しかいない。
ある時、騒々しい出来事があり、気付いたら誰もいなくなっていた。
ずっと風が吹いている、砂の世界。
誰にも食べるものをもらえなくなって、水もとても遠くなったけど、まだ弟がいる。
眠る弟の撫でながら、彼女は祈る。
かわいい、かわいい弟が痛いことも、悲しいこともないように。
自分のように水を見つけるのがまだ出来ないから。
自分のように水を飲めないから。
自分の分が、良いことが、どうか全部かわいい弟にいくように。
冷たさを感じて、自分が泣いてるのを知る。
白服は寿命を譲られたと言うが、間違ってもいないんじゃないだろうか。
村が襲撃されたとき、加護持ちであるからか、彼女は安全な樽の中に弟と逃げ込んだ。
それは刃物を突き立てられることも破壊されることもなく、燃やされもせず村を脱出したが、逃げる人々は、速さを優先して樽を途中で置いていった。
中に子供が入っているとも知らずに。
砂漠の中で子供が二人きり。
過酷な環境でも、あるいは彼女だけなら生き延びられたかもしれない。
加護があるからか、水の魔力があるからか。
年が二つ上で、弟よりも歩けるからか。
自身でもそれがわかっているからか、彼女は弟の心配をする。
水も、かじると甘い茎の草も、拾った固いパンのような物も。
全部、弟に。
自分は『幸せ』だから。
自分は恵まれているから。
だから、弟に。
風が吹く度ささやきかけ教えるように。
繰り返し繰り返し、伝えられ知ること。
『特別な子。幸福な子。望まれて愛されているからね。忘れないで。息の止まるその瞬間まで』
ずっと、当たり前に知ることだが、周囲の大人は、誰も言わない。
最初から知っていたつもりだったけれど、遠いどこか、遠い誰かにそう教わったのだろうか。
お腹が空いても、困ったことが起きても。
自分は望まれていて、いつかどこかで誰かが深く、自分を愛しく強く思っているから。
弟も。
自分の分全部あげるように、ずっとずっと幸せでありますように。
あの娘は最後まで幸福だったかもしれない。
一度も心は濁らない。
でも守られた子供のままだったら、もっと彼女の得られた幸福は多かったのだ。
全く!
誰だ、これを見せてるヤツは!
そう考えると、焦りを感じた。
この焦りは私じゃない。
そうか。
見せられてるんじゃなく、見せるつもりのなかったものに、私がふれたのか。
……あの魔王め。
気にしてないフリして、気に病んでるじゃん。




