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仕事のできるクールな美人後輩に懐かれた

作者: 藤和希




「白濱先輩、今月の売上どんなですか?」


 俺が営業として働いているのは、越前ホールディングス。

 全国展開する日用品メーカーである。

 主に洗剤やトイレタリー用品、ヘアケア用品などを取り扱っている。

 基本的にメーカー営業はBtoC向けである消費財をスーパーや卸問屋といった法人向けに販売するBtoBと呼ばれる営業をしている。

 そこで入社六年目を迎える俺はパソコンと睨めっこをしていたのだが。


「……まあぼちぼちかな」


 適当に答えると「本当っすか?」と疑いの眼差しを向けられる。


「緑川は?」

「俺は今月も目標比100%越えです!」


 Vサインを作って白い歯を覗かせるのは三年後輩の緑川すぐる。

 彼は入社して営業へと出ると類まれなるプレゼン能力とコミュニケーション能力を発揮し、営業成績は常に上位を走っているエリートだ。話し上手であり聞き上手、良くも悪くも図太く、懐に入るスキルは見事なもので、上司にも気に入られている。


「すごいな」

「今年こそは営業所個人売上トップを目指しているんで」


 爽やかな笑顔でさらりとそんなことを口にできるのは本当にすごい。


「それに他の営業所にも負けたくないんで、白濱先輩も頑張ってくださいよ」

「え、ああ」

「なんすかそれ。そんなんだから売上伸びないんですよ」


 やる気のない返事をすると後輩から呆れたように言われる。


「今月は足引っ張んないでくださいよ」

「頑張るよ」

「だったらいつまでも営業所で事務仕事しているんじゃなくて営業行きましょうよ」


 すでに出る準備のできていた緑川はそれだけ言い捨てると「行ってきます」と大きな声で営業所を出て営業へと向かった。


 さすがはできる後輩。売上があるということは仕事が早い証拠。俺なんかよりも事務処理が早く、それだけ営業にも時間をかけられている。うーん、恥ずかしい限りである。


「白濱さん」


 続いて声を掛けてきたのは鈴家すずね。

 彼女は入社二年目の事務である。

 つまり俺の後輩に当たる。

 そして彼女もまた優秀な社員のひとり。

 見積もりや資料作成は早く、商品知識もベテラン並みにあるとか。

 とにかく仕事を覚えるのが早いらしく、お客さんからの評判もいい。

 そして社内でも一番の美人とくれば、まあ文句のつけようもない。

 欠点らしいものは見当たらないが、強いて挙げるとするならば。


「…………」


 この表情があまり変わらないところだろう。

 喜怒哀楽を見せず、社内で楽しそうに会話をしているところを見たことがない。

 社内ではクール、なんて言われている。


「どうかした?」

「頼まれていた資料です」


 言って手渡される。

 お願いしたのは昨日の夜だ。彼女が帰宅した後にメールでお願いしていたのだ。

 出社してすぐにしてくれたのだろう。そこまで早くしてもらうつもりはなかったんだけど、彼女にとっては朝飯前なのかもしれない。


「早いね。ありがとう、見ておくよ」

「はい。お願いします」


 理知的な瞳に吸い寄せられそうになる。

 綺麗な子である。そんな彼女に見つめられれば、ドギマギしてしまう。


「えっと、まだなにか?」

「どうして……」


 鈴家さんの小さな桜色の唇が動く。


「……どうして言い返さないんですか」


 静かに問われる。

 なにを言わんとしているのかはすぐにわかった。

 先ほどの緑川とのやり取りのことだ。

 俺に資料を渡そうと近くにいた彼女は俺と緑川の会話を聞いていたのだろう。


「あんなふうに言われて悔しくないんですか?」


 憤りが含まれた声音だった。

 表情は一切変わっていないがそんなふうに感じられた。

 頼りのない男だと思われたのかもしれない。

 仕事のできる彼女は仕事ができず、後輩にも言われっぱなしの俺を見て呆れているのかもしれない。事実、そうなのだから仕方のないことだけど。


「ごめん」

「どうして謝るんですか……?」

「いや、鈴家さんを不快な気持ちにさせたかと思って」

「不快って……、べつにそんなことは」


 ――ブーブー。


「ごめん、電話だ」


 携帯電話が鳴り、鈴家さんに断りを入れて電話に出る。

 すると彼女はぺこりと一礼して自席へと戻っていった。



――



 営業から戻ると鈴家さんと緑川の姿を見つけた。

 どうやらふたりで話をしているようだ。

 一年違いの先輩後輩である彼らは仕事もでき、美男美女ときているため、お似合いであると社内ではよく耳にする。いつクールな彼女が表情を崩すか見物だとか。


「白濱先輩、お疲れ様でーす」

「お疲れ様」


 すぐにこちらに気づいた緑川から先に挨拶される。


「お疲れ様です」


 続いて鈴家さんが労いの言葉を口にする。

 ふたりに対して言っていたので彼女に対しては手を挙げて応える。

 邪魔するつもりのなかった俺は二階の事務所へ向かう。

 これから事務作業がある。優秀な社員と違って、また残業になるのは確定的だった。


「白濱さん」


 自席について仕事を始めようとすると鈴家さんが俺の名を呼んだ。

 先ほどまで緑川と一緒にいたはずだったけど、えらい早く戻ってきたんだな。


「緑川は?」

「帰ったと思います」


 時刻を見るとすでに定時を回っていた。


「ああ、うん、そうなんだろうけど、いやさっきまで一緒にいたから」

「いたから?」

「てっきり一緒に帰って夕飯でも食べるものだと」

「どうして私と緑川さんが?」

「どうしてって言われても仲良いんじゃないのか?」

「なにをもって仲が良いと言うのかはわかりませんけど」


 首を捻られる。

 ただただ本気で疑問に思っているようだ。


「話していたから思っただけだよ。もう緑川との話は済んだの?」

「私は話すことは特になかったので」


 さすがは鈴家すずね、クールと言われるだけあって冷めている。

 若手のホープと名高い緑川でも他の人と同じ対応のようだ。


「そうなんだね……えっと、ごめん、俺は仕事があるから」


 お客さんからのメールや商談内容をまとめるなどやることは山ほどある。

 正直言うと、こうして話している時間がもったいないのだ。


「邪魔してすみません。私に手伝えることはありますか?」

「いや、手伝ってもらおうと思って言ったわけじゃないよ?」

「そもそも私はそのつもりで来たのですが」

「あ、そうだったの」

「はい」


 わざわざ仕事をもらいに来てくれたらしい。

 え、なんで?

 いままでそういったことはされたことがなかったし、彼女がそのようなことを他の人にしている姿を見たことがない。どうしたというのだろうか。

 彼女に限ってなにかを企んでいるとは考えにくい。


「いや大丈夫だよ」


 数秒悩むも俺の答えは決まっていた。


「まだ仕事なさるんですよね?」

「するけど、鈴家さんは自分の仕事は終わったんだよね?」

「はい、一応」

「なら残ってやる必要はないよ。定時は過ぎたから」

「白濱さんは残業するつもりですか?」

「まあ」

「だったら私にも――」

「ごめん、ありがたいけどそれはできないよ」


 ちらりと上司のほうを見やる。

 まだこの時間は残っている人のほうが多い。

 けれどあと数分、30分と過ぎていけば多くの人が退社する。

 残って作業している人はもちろんいるし、俺はその筆頭でもある。


「優秀な鈴家さんに仕事を押しつけて残業させたら上司になにを言われるかわからないからね」


 それらしい理由を取り付ける。

 鈴家さんが残っていることはほとんどない。

 一年目の頃は遅くまでやっている姿を見たことがそれなりにあった。

 けれど二年目になった現在では優先順位をつけ、明日に回せる仕事は残して定時で上がっている。たぶん、そういうふうに上手いこと仕事を終わらせていると思う。


「だからごめん。今日は本当に大丈夫だから。それにそこまで仕事も残ってないから」


 最後に見栄を張って仕事を再開させた。

 鈴家さんは反論の言を持っていなかったらしく、小さく「わかりました」と言って帰宅の準備に入っていった。

 今日は少し変な鈴家さんだった。

 特別、彼女になにかをした覚えはないのに。

 なにを考えているかいまいちわかりづらい彼女はなにを思っているのだろうか。

 仕事のできない俺に喝を入れたいとかそんなところか?

 ……はあ、怒られたらとんでもなく怖そうだからしばらく彼女に仕事は頼まないことにしよう。



――



「私、白濱さんになにか気に障るようなことしましたか?」


 数日後のことだった。

 昼休憩の時間に入るとパラパラと事務所内の人間がいなくなっていく中、鈴家さんが休憩前に俺のところに立ち寄ってきた。


「え、なんで?」

「最近、白濱さんから仕事を頼まれていないような気がして」

「あーそうだったっけ?」


 すっとぼける。

 あれから、振れる仕事はべつの事務に任せていた。

 仕事ができるし、俺のお客さんの特徴を知っている鈴家さんに仕事を頼むことが多かったのだがそれがなくなり、なにか粗相をしてしまったのかと感じているのだろう。


「頼む仕事がなかっただけだよ」

「本当ですか?」


 疑うような眼差しを向けられる。

 鈴家さんとて俺の仕事内容をすべて把握しているわけではないし、他の人の仕事だって同様だ。なので推察の域に過ぎないと自分でも考えていると思う。

 少し露骨過ぎたかもしれない。


「本当だよ。あ、ちょうどよかった。これ、見積もりお願いできる?」


 さも頼もうと思っていたと言わんばかりに仕事を振る。

 当然ながら鈴家さんに頼もうとは思っていなかったのだが、本当にちょうどよかった。

 見るとそれを握りしめ、どこかほっとしている表情となっていた。


「はい、これくらいならすぐにでも」

「納期は一週間後だから急がなくてもいいから」

「いえ、今日中に作ります」

「あ、ああそう。それは助かる」

「はい」


 力強く言われてしまえば任せるしかない。

 まあ鈴家さんなら他の仕事の状況にもよるけれどそれくらい朝飯前なのだろう。

 それだけ彼女が優秀なのを俺は知っている。


「どうかした?」


 なにか言いたげな鈴家さん。

 見積もりでわからない点でもあっただろうかと俺は思って聞く。


「白濱さん、今日お昼は?」

「出先でとろうと思っていたけど」

「そう、ですか」


 食堂はあるがその場で食事を提供してくれるわけではない。

 持参した弁当などを持ってくる人や会社で契約している弁当屋さんに頼んでいる人が利用している。俺は料理もできなければ出れる時間もわからないので弁当を頼むこともしていない。必然的に外に出てコンビニか外食で済ませることになる。


「鈴家さんは?」

「私は自分で作ってきたお弁当を」

「そう、すごいね。自炊なんだ?」

「はい。ひとり暮らしなので。それに料理は学生の頃からやっていましたから」


 仕事もできれば料理もできる。うーむ、ますます非の打ち所がない。


「料理したりとかは?」

「いや全然」

「そ、そうなんですね……、あ、あの! よかったら――」


「なんの話しているんですか?」


 割って入ってきたのは緑川だった。

 午前中にすでに出ていたので営業帰りなのだろう。

 お昼に一度事務所に戻って休憩をしに来たのかもしれない。


「鈴家さんが自炊もできて、自分でお弁当作ってきているって」

「あー、鈴家ちゃん家事も万能らしいもんね」


 どうやらその情報は彼の中で新規ではないらしい。

 俺とは違い、普段から社内でもコミュニケーションを取っているのだから当たり前か。


「今度、俺にお手製お弁当作ってきてくれるんですって」

「言っていません」

「そうだっけ?」

「どうして私が緑川さんの分も作るんですか」

「俺が食べたいから」

「自分で作ればいいでしょう」

「鈴家ちゃんのがいいの」

「はあ、ですから無理なものは無理です」

「えー」


 積極的に懐に入ってこようとする緑川を軽く流す鈴家さん。

 なんだか若いふたりが微笑ましくも思う。……いや俺、おっさんみたいだな、おい。


「白濱先輩はお昼外ですよね?」

「ああ」

「じゃあ鈴家ちゃん、一緒に食堂行こっか」

「なんでですか」

「だって先輩は出るだろうし、鈴家ちゃんはお昼食堂でしょ?」

「そうですけど」


 一緒に行くのを渋るような様子の鈴家さん。

 俺に気を遣っているのかもしれない。早いところ外に出よう。


「じゃあ俺はもう出るわ」

「お疲れでーす」

「……行ってらっしゃい」


 お邪魔虫はさっさと退散しなければならない。

 ふたりに別れを告げ、俺は営業に出た。



――



 営業から戻るとどこか社内がざわついていた。

 だれかなにかをやらかした、というような雰囲気ではないのはわかった。


「おお、戻ったか」

「真田さん」


 ふたつ上の先輩である隣席の真田さんがひらひらと手を振って迎えてくれる。

 隣ということもあって営業部の中では一番親しくしてもらっている。


「緑川のやつ、ついにやったらしいぞ」

「やった?」

「鈴家を落としたらしい」

「――え?」


 部署は違うので少し席は遠いが、鈴家は常と変わらない表情で黙々と仕事をしている。

 周りの様子にも特に気にした素振りは見せない。


「驚くよなあ、オレもマジかと思ったからな」

「付き合ったってことですか?」

「いいや、食事の約束を取り付けたらしい」

「なるほど」


 あのあと、どういうやり取りをしたのかはわからない。

 緑川の頑張りが実ったということだろう。


「あの鈴家がプライベートで社内の人間と食事なんて驚きしかないわ」

「そう、ですね」


 イメージのなかった俺も同意する。


「あ、けど条件付きだけどな」

「条件?」

「今月も含めて緑川が三か月連続営業所で個人売上トップを取ったら、らしい」


 それでようやく鈴家さんを落とした、という意味を理解する。

 今月はもう残り少ない、このまま順調にいけば緑川が売上トップだ。

 しかもあの調子でいったら残り二か月も十分トップ成績を収められるはず。

 それはもうほぼ確実で彼女との食事を手にしたと言ってもいい。


「そういうことですか」

「ああ。あいつ大口の契約が続いているから狙ったんだろ」

「会議でも見込み数字読めているって言っていましたもんね」

「それは鈴家も承知の上だろ。つまりはそういうことさ」


 売上トップになれる十分な見込みを鈴家さんも知っている。

 ということは緑川との食事は承諾したと言っているようなもの。


「緑川が浮かれるのもわかる」


 電話をする彼の声がいつもより元気のいい明るいものであった。

 表情もそれを物語っている。

 たぶんこの社内の雰囲気は彼が自慢げに話したと見ていい。

 鈴家さんが自ら喋るようなタイプではないことはわかっている。

 お喋りな緑川がここぞとばかりに話しているのは容易に想像できる。


「白濱、お前今月どのくらい?」

「目標にも届きそうにないっすね」

「その後は?」

「読めていると思います?」

「……こりゃあ対抗馬には期待できそうにないな」


 笑って互いに仕事に戻った。



――



 今月も目標数字にあと少しで届かなかった。

 これが俺の実力だ。

 営業は成績が数字となって如実に表れる。

 高ければ高いほどいい――だからいくらこだわりを持っていたとしてもそれが反映されなければただの成績の悪い営業として映し出される。上手に溶け込めるのが一番いい。


「白濱さん、見積もり終わりました」

「おお、ありがとう」


 鈴家さんから手渡された見積もりをチェックする。間違いはなさそうだ。


「あの、白濱さん」

「ん?」


 顔を上げる。


「ここまで細かく指示を書かなくてもわかりますよ」

「え?」

「ですから、こんなにびっしり見積もり指示しなくても私はわかります」


 その手に持つ俺の見積依頼書には見て欲しい商品の名称から色、数字、仕切り金額、作成の仕方など諸々指示を事細かく記載されていた。俺がいつもだれに対してもやっているやり方だ。彼女が特別というわけではなく、間違いがないようにしっかりと丁寧に書いている。


「もう白濱さんの見積もりのやり方も覚えました。特別なことがなければ私ならできます」

「そっか、でもそれ癖になっちゃってるところもあってさ」

「――こういうところに時間をかけているのがもったいないって言っているんです」


 後輩からダメ出しをされる。

 俺もわからないわけではない。ここまでする営業はあまりいない。真田さんも言っていた。

 こんなことをするから残業も増えるし、営業にも時間をかけられない。


「ごめん」

「謝って欲しいわけではありません。ただもっと信頼して欲しいだけです」

「信頼していないわけじゃないよ」

「……そうは思えません」


 目を伏せられる。

 鈴家さんの仕事の出来は俺もよくわかっている。

 それを見て、信頼していない――なんてあるわけがない。

 ただ彼女としては、いつまでも指示を細かくもらわないとできないと思われていると感じてしまっているのだろう。


「俺はもともと営業で入ったわけじゃなくて、鈴家さんと同じ事務だったんだ」

「……え?」

「一年くらいして、営業が足りないってことで部署異動して営業になったんだよ」


 営業なんて俺には向いていない。

 それは一番自分でわかっていたからそれを排除して就活していたのに結局営業をするハメになっていた。


「営業から振られる仕事って人によるじゃん? なにをどうすればいいのかわからないものからしっかり拾ってくれているものまで。その中でもちゃんとわかるものを書かれた仕事ってやりやすくてさ、だから俺も同じようにしようと思ってやっているだけ。それがイコールで信頼していないってわけじゃないから。そもそも信頼していなければ仕事頼まないよ」


 その営業が俺を信頼していなかったってのもあるかもしれない。

 けれど、あの時の俺にとってはすごいやりやすかったし、すごく助かった。


「まあそれがやりにくいって言うんだったらごめん。やり方変えるけど」

「やりにくいわけないじゃないですか。いつも助かっています」

「そうか。それならよかったよ」


 安堵の息を吐く。

 これで非効率的だと罵られたら立ち直れなかったかもしれない。


「私が入社一年目の時から、ずっといつだって白濱さんの仕事はやりやすいです」

「え、ああ、そう?」

「はい」


 なんだか褒め慣れていないから照れてしまう。


「けどそれで営業に時間をかけられず、売上が伸びていかないんじゃ……?」

「それもあるけど、単純に俺が営業にあまり向いていないってことだよ」

「そんなことは――」

「あはは、それは自分がわかっているからフォローしなくても平気だよ」


 自虐的に笑みをこぼす。


「営業は真田さんや緑川みたいなのが向いているから」


 あのだれにでも好かれる人間性。

 可愛がられる積極性。

 物怖じしない性格。

 いろいろと挙げればキリがない――俺には持っていないモノだ。


「今月も緑川が調子いいみたいだし、売上トップになるんじゃないかな」

「まだわからないじゃないですか」

「まあそうだけど、鈴家さん的には緑川が売上トップのほうがいいんじゃないのか?」


 あの約束のことを思い出し、俺は明確な言葉を出さずとも暗にその約束を知っていることを告げる。

 すると鈴家さんは唇をぎゅっと噛む。


「……それは困るので」

「え?」

「白濱さん……頑張ってください」

「もちろん頑張るけど」


 激励をすると鈴家さんは仕事へと戻っていった。

 頑張ることは頑張るけど。

 聞き間違いだろうか……、困るって。


「じゃあどうしてそんな約束したんだよ」


 パソコンを閉じて営業に出た。





 ――でしたら三か月くらい連続で売上トップになってみてください。


 しつこかったから。

 面倒くさかったから。

 諦めるだろうと思ったから。

 そういう気持ちはもちろんあったし、それも含めての言葉であったけれど。


 ――あの人仕事できないし、営業向いてないよなあ。でも俺は仕事できるし、上司からも気に入られているし、鈴家ちゃんを絶対後悔させないから。


 尊敬する白濱のことを悪く言われて、頭にきた。

 それが一番の理由だろう。

 百歩譲って自慢話なら聞くだけで済む。

 しかし、白濱を馬鹿にするような発言をされれば、すずねは黙っていられなかった。


 営業成績があまり良くないことも知っている。

 後輩に馬鹿にされても怒らずに受け入れて流す優しい性格も知っている。

 社員やお客さんに対する態度や姿勢といった数字で表せないところが優れていることを知っている。


 わかっている人はわかっていると思う。

 売上重視の社員や売ることしか考えていない社員にはわからない。

 きっと事務員である他の人は彼の良さに気づいている。


 入社一年目の時に口下手なすずねが営業から仕事を任されてわからずに困っていた時にすかさず助けてくれたのは白濱だった。

 そうして仕事をする中で彼の目に見えない些細な気遣いを知っていった。


「今月の売上トップは……、白濱。ん、白濱か?」


 社内が騒がしくなる。

 それはそうだろう――あの、営業成績のよくなかった白濱がトップときた。

 だれもが想像だにしていなかった事態だ。


「驚いた?」


 騒がしい社内を縫ってすずねのもとにやってきたのは真田だ。

 白濱の隣席にいて、よく彼と会話をしているのを目にする。


「失礼ながら少し」

「はは、だろうな」


 正直に答えると真田はおかしそうに笑った。

 あの約束を緑川と交わした時、やってしまったと思った。

 たぶん彼のあの勢いはだれにも止められない。

 願ってはいたけれど、尊敬する先輩はきっと無理だろうと思っていた。


「あいつってさ、営業向いてないんだよね」


 そんなふうに語り始めた。


「いいものはもちろん売り込むけど、他社に良い商品があったらそっちを推しちゃうんだよ。メーカーとしてあるまじき行為だよ。前にいつも使ってもらっていたものが他社にひっくり返った時はヤバかったよ。いつも大量に買ってもらっていたからなにがあったんだって。上司の前では言わなかったけどオレが聞いたらポロっと言ったよ、他社のやつ勧めちゃいましたって。けどその代わり違う商材をうちの商品にしてもらったみたいだけど売上は減ったね」


 笑いながら話す内容ではない気がする。

 けれどそれは白濱らしいと言えば白濱らしいとも思った。

 いつだってだれかに気遣える。

 それは商売をやっていく人間としては少し不利な性格だ。


「だからあいつってたまーに爆発的に売上伸ばす時あんのよ。新商品が出てそれが白濱の中でいいと思った時な。めっちゃ売るんだよ。さすがに売上トップにはなったことなかったけど」


 可愛がる後輩が成果を上げた姿を見つめる先輩は誇らしげだった。


「残念だった?」

「え?」

「だってこれで緑川とご飯行けなくなっただろ」


 言われて思い出す。

 二か月連続で売上トップだった緑川は三か月目にしてそれを阻まれた。

 約束は破られたことになる。


「いえ、特には」

「ふーん、そっか」


 こちらの心情を見透かしたかのようにニヤニヤと笑みを刻まれる。


「緑川には悪いけど、オレは白濱がトップになって嬉しいな」


 沈む緑川と気恥ずかしそうに称えられる白濱を見て真田は言った。


「けどわかんねえんだよな」


 彼は最後に言う。


「今回べつに新商品も出てないし、白濱が推す商品があったとは思えないんだよな。あいつどうやって売上伸ばしたんだ? てかどうしてあんな頑張ったんだろうな、あいつ」


 首を傾げるもどうでもよさげに「ま、いいか」と言って白濱のもとへ向かった。


(もしかして私のため――?)


 すずねは火照る顔を見られないように事務所内から姿を消した。





 先月は先月、今月もまた営業には目標がある。

 運よく売上トップにはなれたけど、今月は至って平常運転だ。

 あれから緑川に変に絡まれることはなくなった。俺にトップを阻まれたのが悔しいのかもしれない。

 それとひとつ変わったことがあるとすれば――


「鈴家さん、これ今週までに頼める?」

「はい、大丈夫です」


 微笑まれる。

 そう――、あの鈴家さんが表情を崩して接してくれるようになった。

 そのこと自体はものすごく嬉しい。

 ただあんまりそういうことをされると勘違いしてしまうからやめて欲しい。

 あんな美人な子からとびきりの笑顔が飛んで来たらとんでもない破壊力だ。


 べつの意味で頼みづらくなっている。


「そうだ、白濱さん」

「うん?」

「今度、お弁当作ってきていいですか?」

「え、俺の?」

「はい……、だめ、ですかね?」

「いや、全然嬉しいけど」

「ありがとうございます。好みのものとかありますか?」


 そしてなんだか鈴家さんは積極的になり。

 俺のことを好きなんじゃないかと思わせるくらいに、懐いた。





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