短所を補うよりも長所を伸ばす方が良い
ごきげんよう、ひだまりのねこです。
小説にしても、お絵描きにしても、新しいことを始めるのって、刺激的で楽しいですよね。
ブックマークが付いた!!
初めて評価ポイントが付いた!!
初めて感想をもらった!!
部屋でごろごろ転がってしまうほど嬉しいものです。
ぬいぐるみを抱きしめたり、話しかけたり……枕に頭突きをかましたり。ええ、あくまでイメージです。私のことだとは言ってません。
そして、思いがけず想定より反応が良かったりすると、もしかして才能あるんじゃないか? なんて思い始めるのもあるあるですよね~。
でも、ある程度続けていくと、だんだんと初めてが減っていき、刺激に慣れてゆくのが人間という生き物。
過去に経験したものを超え続けなければ刺激も快感も得られませんが、そんな右肩上がりの状況を維持することなどまず不可能です。
そうなると、最初は創作するという行為そのものが楽しかったはずなのに、思ったような反応が得られない、結果が残せないなあとモヤモヤするようになってくるのも書き手あるある。
ここで何かが足りないのかもしれないと、原因を作品の内容や質に求めるようになると、出来ないこと、上手くいかないことばかりに目が向くようになってしまうのです。
その精神状態で周囲を見渡せば、他人の良い部分ばかり見えてしまって、周りの人が全員すごい人に思えてくる、自分がみじめで才能が無くて、価値が無いように感じてしまう。
人の良い部分を認めることも、敬意を持つことも悪いことではないですし、むしろ大切なことなのですが、同じ土俵に立っている場合、嫉妬や劣等感に身を焦がしてしまうことになってしまいます。
そして、この厄介な感情に囚われないのはほとんど不可能です。むしろ書き手という繊細な感性を持った人間にとって健全、必要、当然の反応だと思ってください。
問題になるのは、その後の行動や心の持って行き方です。
そんな感情を抱いてしまうのは、自分が弱いからだとか、醜いからだとか、自分を責める方向に行ってしまうケースは結構あるあるなのです。
この自己批判ルートに進むと、最終的に自分には才能が無いんだと筆を折ってしまう未来が高確率で待っています。これは本当にもったいない。
そして自己批判ルートには進まず、自分に足りないものは何か? 冷静に客観的に分析し、課題を見つけて対処していく自己分析向上ルートを選ぶ方。
こちらは一見問題なさそうですが、これって足りない物を補う、云わば短所を補うやり方ですよね?
私の個人的な考えですが、創作や表現の世界においては、短所を補うよりも長所を伸ばす方が良いです。
たとえば、寿司屋に行って、何でラーメンが無いのか? と聞く人はいないですよね?
自分の手札に無いものを無闇に増やすよりも、まずは自分の手札を磨く方がはるかに良い。
ホラーならあの書き手さん、甘々ならあの書き手さんという風に、印象にも残りやすいのです。
何でもできる完璧な人間をわかりやすくイメージするならば、つるつるの丸い球体です。
出っ張っている山の部分、つまり長所もなければ、凹んでいる谷の部分、つまり短所もない。
良く言えば完成されて美しいかもしれませんが、殺風景でなんの印象にも残らない、ひっかかるものが何もないから刺さらない。もっと言えば個性が無い。
つまり、個性とは長所と短所の落差、起伏のギャップによって生み出されるもので、中途半端に短所、つまり谷を埋め立ててしまえば、見所である山、つまり長所が低く目立たなくなるわけで、せっかくのギャップを失いかねないのです。
長所を引き立てているのは短所なのだと理解しましょう。
そうすれば短所を補うという非生産的な行動をしなくなります。
本当にすべきことは、長所である山に、さらに見所を作ることなのです。
山はそれだけでも魅力的ですが、色とりどりの草花、果実、多種多様な生き物、整備された登山道、あるいはロープウェーや展望台があれば、もっと魅力的になるかもしれませんよね。季節ごとに楽しめる見所があれば尚更。
小説やお絵描きも同じです。
たとえば、ホラーばかりで、コメディが書けないという場合、コメディという欠点を補うためにコメディ作品を書くのではなく、コメディ要素を取り入れることによって落差が大きくなりホラーの恐怖が増すようになると考えるのです。
同じコメディに取り組む場合でも、この意識の差は大きいのですよ。
足りないところを探すのではなく、好きなこと、得意なことを磨く、伸ばしてやれば良いのです。あくまでも中心にあるのは常に長所でなければなりません。
人は好きなことは頼まれなくてもやります。努力をしていると自覚した時点でそれは好きなことや得意なことではありません。好きなことのためなら、人はやらなければとか、この苦労は……なんて思いませんからね。
もし自分のやりたいこと、好きなことがわからなかったら?
自分で執筆を封印してみましょう。そして好きな小説やアニメ、マンガがあるなら、なぜ好きなのか考えてみましょう。
そして答えらしきものがみえたとき、それが自分の望むものでなかった、人に言えないような恥ずかしい、醜いものであったとしても、目を背けてはいけません。
笑って抱きしめてあげましょう。
素材が何であれ、人が魂を込めて磨いたものは美しいのです。
磨きあげた泥団子は宝石のように美しく人を魅了します。
日本刀であれ、ナイフであれ、刺繍針であれ、サイズや用途は違えど、刺さることには変わらないのです。
世に出せない物ならば、出せるように包装すれば良いのです。
小説家と言うのは、包装の達人のことだと私は思うのです。人の心に巣食う闇という猛毒を薄めて練り込んで少しずつ吐き出す。そう……まるで弱毒化されたワクチンのように。
それが長所を磨くということに繋がると私は思うのですよ。
谷を見れば自然と視線は下を向き、気持ちも落ちていきます。
上を向くのです。山は上にしかないのですからね。
長所に優劣はありません。
小説は、この世に蔓延る闇に感染し苦しむ人の心を救うワクチン。
ですが、人によってワクチンの効果は違いますから、多種多様な小説が必要なのです。あなたの小説は、必ず誰かを救い、自分自身を救うのです。
だから、どうか書いてください。
出来れば上を見て、楽しみながら書いてください。
小説家は、世を救い闇を照らす素敵な趣味であり、職業なのですよ。