69話 皇帝 vs 下級魔法使い
レムが魔道具を使えるようにするために走った距離は、だいたい42キロであった。
レムはその距離を、この世界のマラソン記録を大きく更新して走りきった。
口から心臓が飛びだしそうだった。荒れ狂う呼吸がおさまらない。
足に力が入らず、立っていることすらできない。
硬い地面に、仰向けに寝転んでいる。
これでロンに連絡がとれた。
瞬間移動の魔道具で、すぐにでもロンはかけつけてくるだろう。
レムは安堵した。
ようやく落ち着いてきた息で、ふーと空気を吐く。
しかし安堵している自分を認識して、レムはなんだかおかしくなった。
どうして安堵できるのだろう。
20万の敵が攻めてきているのである。
そこにひとりが助けに来たからといって、どうこうなる問題ではないのだ。
ただ、死傷者がひとり増えるだけだ。
こんなに必死になって走って、ロンを呼び寄せていたが、その無意味さが理解できてきた。
ただ、不思議なことに安堵の感情は消えなかった。
きっとどうにかなるのだろうと、レムは自分でも意識するとはなしに、そう確信をしているようだった。
いつの間にか、ロンに絶対的な信頼をよせている自分に気がついた。
レムは上体を起こす。
第4大隊とゴデル軍のいる方角を見る。
そこには巨大な光のうねりが見えた。
それは大量の虫の蠢きのように、禍々しかった。
レムの表情が一瞬曇ったが、すぐに元の表情に戻る。
レムは立ち上がり、また、第4大隊のもとへと歩きはじめた。
ゴデル国の皇帝ゴデル3世が、ロンの姿を認める。
どこかから瞬間移動してきたようだ。
ゴデル3世は賢者バスラの敗北の知らせを受けたとき、大声を出しておどろいてしまった。
何しろ下級魔法使いに、賢者バスラが敗れたというのだ。
そんなことありえない。
たとえ魔法封じの魔道具を使われたとしても、賢者バスラ自身はその対策ができていた。
魔法はちゃんと使えたはずだ。
それなのに、賢者は負けた。
ゴデル3世は、ロンという名前をこれまで何度かは聞いたことがあった。
剣聖の不肖の息子だという話であった。
下級魔法使いであり、本当に無能であるらしいと噂されていた。
ところが、その無能が賢者を倒してしまったのだ。
ロンという男の詳細を聞くと、ゴデル3世はますます驚愕する。
もはやその報告を信じろというほうがおかしかった。
ロンは魔道具を扱わせても天才らしく、魔法封じの魔法具の鈴を完璧に鳴らしたらしい。
瞬間移動の魔道具や、防衛のために使われていた索敵魔道具なども超高性能であり、ゴデル軍の魔法使いでも扱える者は数名程度しかいないような代物だった。
ありとあらゆる属性の魔法を同時に使い、ゴデル国よりも優れた術式を組むことができるらしい。
そのうえ、剣聖の息子として恥じない剣術の腕も備えているとのことだ。
一体、どこでどう間違って無能などという噂が流れてきたのか。
ゴデル3世はロンという存在に恐怖を覚えた。
このまま生かしておいては、間違いなくゴデル国の最悪の脅威となる。
こうしてゴデル3世は、国の全兵力を持って攻めこんできたのだ。
目的はただひとつ、ロンの殺害である。
今回の戦争の目的は、魔法封じの魔道具でなく、いつの間にかロンの殺害となっていた。
ロンは今、第4大隊という少人数の部隊で孤立して行動している。
500名しかおらず、賢者との戦闘でその半数は負傷をしているらしい。
これはチャンスだった。
この状態だったら、たとえロンがどれほどの力を持っていようと、数の力でねじ伏せることができる。
魔法封じの魔道具にも限界がある。
遠距離からの魔法は防げないし、20万という人数では、下級魔法使いの魔力量では対応できないのだ。
その標的であるロンが、姿をあらわした。
ゴデル3世の口元が緩む。
獲物をちゃんと捕らえることができた。
あとは慎重に、とどめを刺すだけだ。
ロンがポケットから一本の棒を取りだすのが見えた。
その棒が姿を見せると、キーンという高音が空間に小さく鳴り響いた。
音はとても小さかったが、聞こえる範囲は広く、その音はゴデル軍にまで届いた。
棒には模様が刻まれ、無数の宝石が埋め込まれていた。
「極真具パドス」とゴデル3世がつぶやく。
ロンが取りだしたのは、賢者戦でも見せた大量破壊兵器の魔道具パドスであった。
「そんなものを持ちだしてどうしようというのだ」
パドスの破壊力は国をも滅ぼすと言われている。
しかし、その発動には大量の魔力を必要とした。
あの賢者の魔力量をもってしても発動できないものだった。
下級魔法使いであるロンでは到底発動は不可能だった。
ここで何故そんなものを見せてくるのか、ゴデル3世は訝った。
ロンの次の行動を注視する。
ロンはパドスを持つ手とは反対の手をポケットに入れる。
そして、飴を取りだす。
片手で器用に包装紙をはずして、飴を手でつまむ。
ポンと口の中に放りこむ。
飴をなめる。
ロンの口元に笑みが浮かぶ。
それを見たゴデル3世の顔色が真っ青になる。
まるで一瞬で凍死したかのように、肌が青白い。
ロンの飴を見てゴデル3世はすべてを悟る。
「早く、早く魔法を放て」ゴデル3世は怒鳴る。
ゴデル軍20万の兵士は、まだ途中であるのに急に発射を命令されて、一瞬戸惑う。
しかし国の元首の命令である、すぐさま攻撃にかかる。
ゴデル3世自身もロンへ向けて、毒霧を放つ。
その毒霧は龍を形作り、口を大きく開き、第4大隊に迫りくる。
第4大隊の兵士たちは、その禍々しい龍の姿に体を硬直させる。
死を覚悟し、走馬灯が走る。
しかし、ロンのみは悠然としていた。
ゆっくりとパドスを胸の前にかざす。
「ロンは一言、詠唱する。
次の瞬間、ゴデル軍20万の兵が光に包まれる。
大地から巨大な光の柱が立ちあがる。
光の柱は上空にまで届く。
光はゴデル軍の攻撃魔法もすべて包みこむ。
龍の姿もその光の中に溶け込む。
前面の風景すべてが、光に包まれる。
輝きが空間を満たす。
数秒間、光の柱が世界を照らしつけた後、光は遥か上空へ登っていった。
光でくらんでいた視界が戻る。
大地には何も残されていなかった。
砂の地面のみがそこには広がっていた。
20万の兵は消え、万の魔法も消え、皇帝ゴデル3世の姿も消えていた。
ゴデル軍は全滅していた。
明日も午前7時15分ごろに投稿予定です。




