66話 剣聖 vs 下級魔法使い1
ムヒドがロンとの1対1を決めたのは、ロンに興味がわいたからという理由だけではなかった。
3,500対2という圧倒的な数的優位を手放すのだ。
そんな個人的感情で、自らの優位を放棄したりはしない。
ムヒドをロンとの決闘に向かわせたのは、ロンの隣にいるリンの存在であった。
魔剣を持つ千の部下と戦うロンの姿を見て、ムヒドは感心をした。
そして、その隣で戦うリンの姿を見て、ムヒドは恐怖した。
リンは化け物だった。
人間の動きを超えている。
ムヒドはリンの動きを目で追うことはできた。
しかし、それは目で追えているだけにすぎなかった。
そこには過程がなかった。
暗算の天才がいるとする。
彼はふたつの数字を見た瞬間に、その積を答えることができる。
「489×281=」を137,409と瞬時に答える。
695と337という数字を見た次のタイミングでは、123,005と言っている。
彼の姿を見ている者は、695と337を掛けて、その答えを言っているのだとわかる。
彼が計算する姿は見えている。
しかし、実際に彼がおこなっている計算には、まったくついていけてない。
695や337という数字を読み取ることだけしかできていない。
数字をなんとか把握できた瞬間には彼は答えを言っている。
そして答えを言う口の動きも早い。
答えの123,005をまるで、一音であるかのように、超短時間で発音している。
聞き取れはする。
なんとかその数字を認識することはできる。
しかし、次の瞬間には新たな数字が示され、答えが発せられている。
ムヒドが見ていたリンの戦闘とは、そのようなものだった。
ムヒドにはリンに勝てるイメージが湧かなかった。
どれほどの数的有利があろうと、リンに通用するとは思えなかった。
もしかすると、勝機はあるのかもしれない。
相手も人間だ。
スタミナには限りがあるだろう。
疲労をすれば、動きに精彩を欠くこともある。
集中力もつづかない。
しかし、それよりもロンとの1対1の方が、勝機がずっと高かった。
あのような化け物を相手にしてはいけないと、ムヒドは考えたのだ。
ムヒドがひとり前に進みでる。
ロンは一度、リンに視線をむける。
リンは「がんばってくださいねー」と、声援なのか馬鹿にしているのかわかならい言葉をかけてくる。
ロンは、ますますもってこの決闘が面倒くさくなったが、仕方なく歩を進める。
こういうことは本来、部下で戦闘のスペシャリストであるリンが行うべきなのだ。
司令官である自分がしゃしゃりでるべきことではない。
自分のたてる計画では、いつも自分自身を酷使してしまっている。
知略には自信のあったロンであったが、その自信がすこし懐疑的になってきた。
ロンがムヒドの前まで進む。
歩みをとめて、ふたりは対峙する。
ロンはため息をひとつつく。
けど、これで計画どおりだ。
このムヒドとの決闘は、ロンの思い描いたシナリオでもあった。
決闘に持ち込めたことで、実はロンにも大きなメリットがあった。
この状況はロンも望むところだったのである。
それに、意外とロンは戦いを楽しんでいるところもあった。
強者と戦い、それをうち負かすことが、好きであるようだった。
それは散々弱者として虐げられてきた、反動なのかもしれない。
ロンが魔法で水の渦を剣にまとわせる。
竜巻のように剣を包んだかと思うと、その水は、熱せられた鉄板の上に落とされた水滴のように、すぐに蒸発して消え去る。
刀身についていた、血糊が拭われた。
「ロン、お前はそのリンとかいう少女に、強化魔法を使っているな」と、ムヒドが言う。
「ああ」とロンはうなずく。
「お前は、もしもその少女と私が戦うとなった時に、その強化魔法を解除したか?」
「もちろん。解除すたよ」
「嘘だな。
お前は解除するつもりはなかった。
魔法使いの身体強化魔法のような支援魔法は、魔道具と同じようなものだ。
私の使っているこのラディングも魔道具であり、効果はほとんど支援魔法と同じだ。
支援魔法を禁止することは、魔道具を禁止することと同じだ。
ロン、お前は魔道具の天才と聞く。
お前だって、この決闘に魔道具を使いたいだろう。
この決闘では、魔剣はもちろん、他者からの支援魔法も可能にしてもらう」
ロンはしばらく、沈黙した。
深く物事を考えているような、まったく何も考えていないような、その両方に受け止められる表情を浮かべている。
しかし、最終的には「いいよ」と答えた。
「開始の合図はどうする。
これはお前が決めていいぞ」ムヒドが言う。
「そこに蝶がいるでしょう。
なぜだかはわからないけど、地面にこの蝶はとまっている」
ロンとムヒドのちょうど真ん中あたりに、黄色い小さな蝶がとまっている。
「地面に蝶がとまっているなんて珍しい」ロンが言葉をつづける。
「たいていは、花か草にとまる。
飛ぶのに疲れたから、休憩中なのかもしれない。
けど、地面に直接とまっているのは、結構退屈だと思う。
花のように蜜はないし、地べたは危険が多くて落ち着かないだろう。
あと少しすれば飛びたつ。
蝶が飛びたった瞬間。
それを開始の合図としよう」ロンが言う。
「わかった」とムヒドは深くうなずく。
ムヒドは魔剣を持つ両手を握りなおす。
一度、遠方にいる部下の魔法使いたちを見る。
そして、すぐにロンに視線を戻す。
ロンは動かずに、ただじっと蝶を見つめていた。
緩やかな風が吹いた。
ロンの前髪がかすかに揺れる。
蝶がなんの前触れもなく、飛びたつ。
ムヒドは大きな誤解をしていたことに気がつく。
化け物はリンひとりではなかった。
ムヒドの口から、大量の血が吐きだされる。
ロンの剣が、深々とムヒドの胸に突き刺さっていた。
このロンも化け物だ。
薄れゆく意識の中で、ムヒドは思った。
明日も午前7時15分ごろ投稿予定です。




