62話 ふたりの出陣
ロンとリンのふたりだけで、剣聖ムヒドと戦うことが決まったが、ロンはすぐに出発はしなかった。
2日間は、賢者バスラの本陣で、準備に奔走した。
ムヒド戦に向けての準備もあったが、一番は襲撃のあるかもしれないゴデル国からの増援に対する対策である。
ティラたちがこのゴデル軍の本陣で、牽制をしてくれたとしても、結局それがいつまでも続けられるわけではない。
足止めにも限界がある。
最悪の場合、10万の兵が攻めてくるのだ。
その対策が必要だった。
10万という数の前では、500という戦力は無力すぎる。
ティラやジルとレムがどれほど優秀でも、10万の兵の前では意味をなさない。
それはリンでも同じだった。10万のいう大軍は、個々の能力でどうにかなるレベルのものではないのだ。
ロンはこの2日間、睡眠すらほとんどとることができなかった。
やるべきことが多すぎた。
誰かに任せられるようなことでもない。
それにティラたちも忙しかった。
第4大隊、全兵士が連日慌ただしく作業に追われていた。
余裕のある者などいなかった。
いや、いるにはいた。
リンである。
リンのみが、暇そうに、風に揺れるタンポポに似た花が揺れるのを眺めて時間を過ごした。
シューティングゲームの中に、ファミコンRPGのキャラクターが紛れ込んでしまったかのように、リンはそこにいた。
リンも自分にも手伝うことはないかと、ロンに申し出た。
たしかに何もやらないというのは、それはそれで可哀想だと思い、リンに仕事を与えた。
料理の手伝いである。
本来、リンには力仕事があっているのだが、これからふたりで3,500の兵と戦うのである。
リンには少しでも体を休め、体力を温存しておいて欲しかった。
しかし、リンに料理をやらせる、
その判断は大きな過ちであった。
リンが作った料理を見て、それがなんであるかわからなかった。
ロンはリンに直接聞いてみたが、本人もわからないとのことだった。
リンのオリジナル料理だそうだ。
リンは剣の修行ばかりしてきたので、料理の仕方を習わなかったそうだ。
使用人にしては、実に珍しい。
それは四角い物体に、ジェル状の液体がかけられていた。
ジェル状の液体は、黄ばんではいたが透明であった。
下の四角い物体を透かして見せていた。
四角い物体は白く、豆腐のようにも見えたが、豆腐ではけっしてない。
それは恐ろしく硬かった。
奥歯で力を込めないと、噛むことができなかった。
砕けると、砂利のように破片が口に広がる。
味はない。
それは無味だった。
硬く、ザラザラとした白い物体の歯ざわりと、ジェルのヌメッとした感触が、口内をたまらなく不快にさせる。
その食感のみが、この料理の味わいであった。
つまり、それはものすごく不味かったのだ。
ロンはすぐに吐き出して、ゴミ箱へそれを捨てた。
幸いなことに、リンが作ったのはおかずの一品のみである。
その他にも料理はたくさんある。
一品おかずが減っただけで、大した問題ではなかった。
しかし、事態はそれほど楽観視できなかったのだ。
リンは美少女である。
しかも、驚異的に強い。
最強の剣士である。
第4大隊の兵士は、全員がリンに敬意を持って接していた。
そのリンが作った料理である。
兵士たちはそのリンの手作りの料理に大きな期待をした。
そして、絶望をする。
すぐにでも吐いて捨ててしまいたかったが、しかし、それができなかったのだ。
何しろ、この食堂にはリンがいるのだ。
リンに見られているのだ。
美少女で最強の剣士。尊敬と憧れの少女の料理を、目の前で捨てるなどできるはずがなかった。
第4大隊の兵士たちは、必死にそれを食べた。
多くの者が自分はこのまま、これを完食したら、病気になるのではないかと不安になった。
実際、数名が医務室に運びこまれた。
それでも食後には、リンに「美味しかったです」と青ざめた顔で言っていく。
リンは兵士たちの顔色には気づかずに、嬉しそうに笑顔をふりまいていた。
兵士たちにとっては、それはさぞかしく可愛らしく、恐ろしく見えただろう。
ロンはリンをすぐさま料理担当から外した。
リンは兵士としては優秀だったが、労働力としてみた時には、致命的に使いものにならなかった。
なにしろ、リンは指示を出されても、その指示通りに動くことができないという、どうしようもない欠点があった。
カレーを作れと言われれば、巨大な激辛大福が出てくる。
本人はそれをカレーだと言いはる。
カレーとは何かという議論になる。
カレーにもいろいろある。
日本式カレーとインドのカレーは大きく違う。
スープカレーなんてものもある。
カレーパンがあり、カレーうどんがある。
カレーの定義は非常に難しい。
そして、リンの定義では辛くないカレーはカレーではないそうだ。
甘口カレーは邪道などいう。
その意見は何となくわかる。
ロンもリンゴの入った甘いカレーは嫌いだ。
しかしリンは、辛いものはカレーとなる、と主張をつづける。
ましてや、甘いはずの大福が辛いのである。
これほど立派なカレーがあるだろうか、と。
しかも、巨大なのである。
直径50センチくらいある。
ここまで大きくなると、もちのような柔らかいものでは、その形状を維持できない。
つまり、球体でなく、重力に負けて薄べったく伸びてしまうのだ。
丸くない大福は大福でない。これがリンの大福の定義のようだ。
リンは大福の餅を固くする。
あの謎の四角い物体の再来である。
その白い硬い物体を突き破って噛み砕くと、そこには激辛のあんこが待っている。
真っ黒な、なぜか納豆のように糸を引いている、小豆の塊が大量に待っている。
おそらく、この料理を完食したものは死亡するだろう。
リンの労働の結果とは、そういうものだった。
ロンはリンに仕事を与えるのをやめた。
リンは抗議をしたが、ロンは受け付けなかった。
リンはふてくされて、ただタンポポに似た花が揺れるのを眺めるだけの時間が過ぎていったのだ。
こうして2日が経過した。
第4大隊は忙しく、ロンは地獄のように忙しく、リンが暇だった48時間が過ぎた。
ロンとリンは、ほとんど荷物を持たずに、基地を出発する。
剣聖ムヒドのいる、ハルス家の本陣であった場所へと向かう。
明日も午前7時15分ごろ投稿予定です。




