16話 ジルとレム3
「さて、逃げるかな」とジルが言う。
ジルとレムは今、自身に割り当てられたテントにいる。
戦闘を終え、勝利の喜びも落ち着いたこの時間、あたりは寝静まっていた。
最低限の兵士が、ところどころにいるのみだ。
あのような事件を起こしながら、ジルとレムは囚われることもなく、自由に行動できている。
見張りもついていない。
寛容というか、バカというか。
「逃げるかな」とレムも繰り返し言う。
しかし、レムは寝袋の上に座った腰を上げようとはしなかった。
テントの地面を歩く一匹の蟻を目で追っているのみだった。
「レム、まさかここに残りたいのか」
ジルは大きくなりそうになる声を、口に自身の手をあてながらおさえる。
「あいつの言うことも間違ってはいないと、俺は思っている。
俺たちはゴデル国に亡命したからといって、望んでいるような生活ができるかといえば、そんなことはないだろう。
あいつの言うようにスミル国に亡命するのが本来ベストなんだ」
ジルは下を見つめる。
先ほどレムが見ていた一匹の蟻を、今度はジルが眺める。
蟻は迷子なのか、どこへ行くでもなく、テント内を行ったり来たりしている。
「たしかにスミル国に行けたらいいと思う。
でもこのアステル国にいるくらいなら、ゴデル国のほうが数段マシだろう」
レムは上を向く。
天幕を見る。
白いテントが、ランプの光でオレンジ色に見える。
「あのロンという男は信用していいように思う」とレムがつぶやく。
「追放されたとはいえ、あいつもハルス家の人間だぞ。
あのくそ野郎に俺たちの家族や仲間が何をされたか。
あいつらだけは絶対に許しちゃいけないんだ」
レムが首を戻し、ジルのほうを向く。
ジルとレムはトド隊長の奴隷として生きてきた。
彼らは生まれた瞬間から奴隷だった。
奴隷は大罪を犯したもののみが落とされる処遇である。
強制労働や人身売買の合法対象となる。
奴隷にはほとんど人権はなく、食べ物さえ与えていればほとんどの行為が正当な処遇とみなされた。
たとえ奴隷が死にいたったとしても。
これは犯罪者の死刑宣告のようなものであり、この国ではそのことに文句を言うものはいなかった。
罪の対価として支払われる罰としては、対等だと考えられていた。
なので、ジルとレムのように生後間もないうちから奴隷になるなど本来ありえないことだった。
赤ん坊に犯罪はおこなえない。
しかし制度には綻びがあるものだ。
無垢な赤ん坊を奴隷にしてしまう方法があった。
奴隷同士の子供である。
奴隷には子供を育てることができない。
時間もないし、経済力もない。
かといって赤ん坊をそのままにするわけにもいかない。
そこで志願して、子供を奴隷にさせる。
奴隷になれば食事だけはなんとかなる。
トド隊長は奴隷の男女を買い、子供を産ませたのだ。
幾人もの奴隷に子供を次々とつくらせた。
そしてその子供たちを使い、実験を行った。
幼少期のころより、毎日のように毒を飲ませ、毒耐性が生まれるか試した。
24時間、痛みを与えつづければ痛みを感じない体になるのか試した。
脳に弱い電流を流しつづけることで、頭脳の発達が促進されるかを試した。
これらの実験に生き残ることのできた子供たちは、次に強制訓練を受けさせられた。
訓練は24時間行われ、壊れることが前提の課題が課せられた。
彼らは96時間走りつづけた。
12の言語を交互に使い会話するように強制された。
実の両親の殺害を笑顔で行うように命令された。
ほとんどのものが死んでいった。
しかしごく少人数だけ生き残り、年齢を重ね成長をしていった。
その生き残りが、ジルとレムだった。
「わかっている。
あの豚は絶対に許さない。
だが、あのロンという男は特別のような気がする。
ジルもそのことは気がついているだろう。
あいつは俺たちと戦っている時に手加減していた。
あいつは俺たちを傷つけないようにしていた。
俺の腕を掴んでも魔法で破壊しなかったし、ジルが俺の危機に油断した瞬間にも攻撃をしかけたりしなかった。
反対に俺たちは全力であいつを殺しにかかっていた。
それでも敵わなかった。
一進一退の攻防のように見えていたが、終わってみれば俺たちの完敗だ。
あいつはまだまだ力を隠している。
底が見えない。
俺はね、あいつの本当の実力、強さを見てみたいと思ってしまっているんだ。
この絶体絶命の戦場をどう乗り切るのか見てみたいと思ってしまっている。
ひょっとすると、俺は今、歴史的英雄が誕生する瞬間を目の当たりにしているのかもしれない。
そんなことまで考えてしまっている」
レムが言う。
馬鹿げた考えを振り払おうと思ったのか、首を振る。
しかし振り払われることはなかったのか、レムはそのまま黙った。
変化のない天幕をまた見つめつづける。
「たしかにロンという男は特別なものを感じる。
あいつの周りで面白そうなことが起こりそうだとは、俺も感じている」
レムが追っていた蟻はいつの間にか、姿が消えていた。
どこかに巣穴を見つけたのだろうか。
それとも別の場所に、甘いものでもあったのだろうか。
「少なくともあいつは、俺たちに今こうしていられる自由を与えてくれている。
奴隷のころよりは、ずっといい待遇だ。
少しぐらい協力してやってもいいかもしれないな。
しばらく、あのロンとかいうやつの言いなりになってみるか。
戦場で逆転勝利を経験するのも悪くない」ジルが言う。
レムはうなずく。
「ここにいれば、もしかしたらあの豚隊長を殺すチャンスもできるかもしれないしな」
ふたりがにっこりと笑う。
明日も15時15分ごろ投稿予定です。




