忘れる為の物語 四枚目 巨蟹月の幻 六日
巨蟹月 六日
翡翠眼と半淫魔と聖騎士は、川沿いに森の方を辿っていた。依頼があったわけではないが、広大な森の奥地へと直接行ける経路を探索する事にしたのだ。
出不精な翡翠眼が重い腰を上げた理由はウィルだった。先日の巨猪騒ぎを目撃しなかったウィルは、ルーチェの貴重な戦闘現場を見損ねたと涙目で悔しがった。さらに、鼠臭鬼退治の英雄とはいえ、ユビ村では新参者のメアリーが同じ宿に寄宿し、常に一緒にいるように見え、あからさまな嫉妬を見せたのだった。
ウィルに対しても、鼠臭鬼の件は明かしていなかった。ウィルは本人は意識していないのだが、好奇心が讐になるタイプで、なんでも知りたがる。故に多くのトラブルを起こす、とスターナが言っていたのだ。メアリーに関しても、言えない事が多過ぎた。
教会で治療を受けていた男が、忽然と姿を消した事も、ウィルの詮索が強まる原因だった。その事については翡翠眼も半淫魔も知らない。ただ、聖騎士が何かをやった事は明白だった。
宿「花の咲く場所」に残る古い手紙にある、大雑把すぎる宝の地図。それをダシに使い、とにかく出掛けよう。出かければ昼間中ウィルの詰問に答える必要は無くなる。そう思ったルーチェは、当初一人で出掛ける筈だった。だが、それに対してウィル自身が反対した。一人でなんて危険過ぎる、と。
そして半淫魔と聖騎士を伴って、今森の深部に繋がる川原にいるのである。
「…で、あの怪我した男、どうしたの? ジル」
黒ずんだマントのせいで、とても聖騎士には見えないジル。一瞬だけ足を止めた。
「…まるでオレが奴を殺ったみたいな言い草だな」
「…違うの?」
「殺るつもりなら先にやっている」
「あ、そうか」
「オレは仮にも聖騎士だ。怪我を癒すくらいは出来る」
「おぉおお!」
翡翠眼と半淫魔は、感嘆の声をあげてパチパチと拍手する。
「そうだったんだ、初めて知ったよ」
「え?」
「ジルが治療魔法が使えるなんて」
「…待て、結構何度か見てるはずだがな」
「えー? 見た事ないよ私」
ジルがううむと唸った。
「…なるほど」
「え?」
「…メアリーに使う時は、大体、気絶しているからか」
「おぉお」
「え、私もしかして、結構助けられてる?」
「…何度かな」
「そ、そうなんだ…、なんか、お世話になってます…」
「これは、宿に帰ったら夜のご奉仕しないとね」
「よるのごほ…? え?」
翡翠眼の言葉の意味が一瞬わからず、間抜けな顔を一同に披露した半淫魔は、わかりやすいほど耳まで真っ赤になった。ジルは無神経な翡翠眼を睨みつけた。
「…余計な事を言うな翡翠眼」
「おお…怖い怖い」
ニヤニヤとするルーチェにあからさまに呆れ顔のジル。
この二人、本気でヤッテナイのかナ…
半分とはいえ淫魔の身体は通常の食料では維持できない。必ず精を補う必要があるはず。聖騎士の魔法は、法術士の治療魔法とは異なる性質であると聞いた事がある。もしかすると性情を抑制する事で奇跡の力を手にしている「自傷解放」なのか。とすると、半淫魔の側にいての対価率はさぞ高いだろう。
そうか、聖騎士の起こす奇跡は、淫魔との相性が良いのか。性情を禁じる事による圧迫を奇跡に変換できるなら、その引き起こされる奇跡はまさに、抑え込まれた精そのものだ。本来なら淫魔と聖騎士という全くの対極存在との関係が、メアリーの性格故に維持されていて、それがジルの聖騎士としての優位性に直結していると言う事だろう。メアリーはいざ知らず、ジルの方がメアリーを必要としているのか。
宿での泊まる部屋は、ジルとメアリーは同室。客が少ないあの宿では別室をとっても問題無い。英雄扱いのユビの村だから、数日宿の代金など気にせずとも良い。それなのに同室に泊まっている、と言う事は、普段からそうしているのだろう。
メアリーは夜は早く寝る。食事から取れる魔力は限界があるから、起きていられないのだろう。覚醒魔法でも使わない限り夜通し起きている事はできないはず。なのにこうして次の日は朝から活動出来る、と言う事は、「寝ている間に魔法による回復をしている」のだ。
ん?
聖騎士の奇跡って、魔力とかじゃなく「性情対価」だとすると、一緒にいる仲間に対しての性欲が湧けば湧くほど力が強くなるって事だよね。
異性がいようがお構いなしに魔力切れを起こして爆睡する半淫魔は、さぞかしヒトの性欲を刺激するだろう。その性情を「メアリー自身の魔力補給」に使ってるのか。
ジルが持っている性情が、メアリーの命を繋いでいる、ってこと?
長い時間を生きてきたけど、そういう話を聞い事無いなぁ…。
「…どうした? 翡翠眼」
「え?」
「気分でも悪いの?」
「え? 考え事してだだけだよ」
「…そろそろ『狼の木』とやらが見えてくるはずだが」
宿「花の咲く場所」の主人スターナがくれた森の全体地図、ーといっても大雑把過ぎて地図とは言えないがー、には川原を登った先にある大岩から森側に入りしばらく歩くと狼の木と呼ばれる古木があると描かれていた。
獣道、にしては随分と幅広い道があり、大型の獣がいる事がわかる。森の中は禍々しさが無く、生気に満ちている。しばらく歩くと奇妙な巨樹が見えた。
横這いに伸び、枝から伸びた気根が地面に到達し「脚」のように見える。前屈みで、今にも飛びかかりそうな姿の狼に見える巨樹。わかりやすかった。
「狼の木」から北に向かって山脈の麓に向かえば「三日月岩」、北西に向かえば湖と湿地帯、西には遺棄された集落の跡がある、と地図にはある。三日月岩の近くに印が付いていて、そこに何があるのかは不明だ。宿主人スターナによれば、ユビの村は元々翡翠眼の村だった、というが、以前は二つ集落があったらしい。遺棄された集落とはその名残らしいが、森に沈んで狼が来るようになってからは、ヒトは立ち入れなくなった。冒険者が存在そのものは確認しているが、目ぼしいものは何も無いという。
「目ぼしいものは何も無い、って、冒険者って必ず言うよね」
「…そりゃね、そう言っとかないと、全部奪われちゃうしね」
実際に、冒険者が夢見るような獲得物は滅多には無い。しかし翡翠眼集落跡には所謂「お宝」がある可能性は高い。翡翠眼は長い時間を生きる為、ヒトの文明ではすっかり失われた技術、装飾などを日常生活に取り入れている場合が多いのだ。それらはとても高価で取引される。特に「古代魔導器」は、常識が揺らぐ程の奇跡を起こせるものも稀に出土する。
大事なものは隠す。翡翠眼もそれらを巧みに隠している。同族にしかわからない『章紋機構』や魔道士掲示構なども多く使われ、何百年経ってもまだ機能している場合がある。それらの多くは、冒険者達に見落とされる。翡翠眼にしかわからないものだから。
そういうものは、そっとしておくのに限るのだが…
最近はヒトの数が増え、戦争などが起こった直後…ーといっても四十年経ったが…故に世知辛い。僻地にある遺棄された翡翠眼集落跡。冒険者には魅力的なのだ。無論、半淫魔と聖騎士にとっても同じ。ルーチェにとっては、本来然程興味があるわけでもないが、この数週間、すっかり宿に甘えている。冒険者らしい稼業をしないと、ただの居候になってしまう。
運良く古代魔導器の一つでも見つければ、隣町で売却すればそれなりのお金は手に入る。無ければないで、森で狩りをすればいい。
「え? 地図の印のところに向かうんじゃないの?」
ルーチェが行こうとする方向は翡翠眼集落跡の方で、地図の示す印とは異なる。メアリーは目的地は印の場所だと思っていたのだ。
「あ、まず、こっちからにしようと思って」
「あ、そうなの?」
地図の印も場所は、明らかに森の奥地だ。冒険慣れしている者たちでも、野営を覚悟しなければならない。野営自体は然程苦ではないが、それこそ半淫魔の事が心配だ。
メアリーの身体は、魔法を使うことによる魔力消費とは無関係だ。命を削るほどの魔力消費でない限り、魔法を使ってその身体が痩せ細る事はない。寝れば人並みには魔力は回復する筈だから、二、三日の野営はどうという事はない。しかし、眠さが襲うようになり、魔法の精度が極端に下がる。威力が高い分、失敗すると暴走し自分を傷つける。
こと魔力に関して言えば、翡翠眼の方が安定しているのだ。
日帰りできた方がいい。そもそも、ウィルからの詮索を避けるためだけの気まぐれな冒険だ。
狼の木、から西にのびる道。すっかり森に飲み込まれているが、うっすらと道らしき痕跡がある。しばらく歩くと肥大化した樹木とそれに群がる巨大なマイマイと遭遇した。先日の猪と変わらぬほどの巨体。ルーチェたちを襲う様子はない。
小型の猿の群れも現れた。全身が黒い毛で覆われていて、腕に紫色の斑点がある。何が気に入らなかったのか、ジルに対して猛烈な威嚇をしたが、一度剣を抜くとあっさりと逃げていった。
ルーチェが視線に気付き、注意深く進むと森猫と遭遇した。森猫は素早く危険な獣だ。さらに爪には毒がある。森で遭遇する中でも一、二を争う危険な『魔物』と言って良い。交戦的でよくヒトを襲う。枝を伝って移動し、頭上から攻撃してくる。森に適応した翡翠眼でも厄介な相手だ。ジルやメアリーでは、森の木々全てが間合いとなる森猫には対処できない。ただ森猫は奇襲が全てであり、気付かれた、と悟り静かに後退していった。しかし森猫は獲物の行動を先回りし、頭上から奇襲をかける習性がある。一度目をつけたら執拗に追い掛けてくるのだ。気配は完全に近い状態で消している。
ルーチェは、その場所に座り込んだ。休憩しよう、と。他二人は噂に聞く森猫に緊張しているようだったが、ルーチェは平然と木にもたれかかった。
木を背にしていれば、森猫は少なくともその木の上か、もしくは見える範囲の上からしか攻撃できない。ジルはその様子に気付き、同じように大きな木にもたれ掛かる。メアリーも同様にして、暫く無言で座っていた。
状況が動くまでには然程時間はかからなかった。メアリーを狙って頭上から飛びかかろうとする姿が、ルーチェから丸見えだったのだ。
「電撃障壁』
森猫がメアリーに飛び掛かったが、空中でバリっと音がして、変な姿で静止し、そのまま地面に倒れ込んだ。驚いたのはメアリーで、何が起きたのか分からなかった。
「今の…魔法物理防壁?」
「そう、電撃付きのね」
魔道士なら誰でも知っているが、魔法による物理衝撃に対する防御は、質量に対して相手を上回らなければならない。大きい森猫の上からの攻撃に対して防壁を張り、尚且つ対象者を完璧に守るには、高密度かつ精度の高い魔力制御が必要となる。しかも電撃を与える、など、魔法理論上は可能だが、理論連結を予め準備しておく必要がある。
「…なんでお得意の光針魔法じゃないの?」
「『森猫』はね、豊かな森の頂点に近い位置にいる『獣』なんだ。恐らく狼も狩って食べてる」
「…?」
「調停者、なんだ。だから…」
「え? 死んでないの?」
倒れ込んだ森猫に不用意に近づいたメアリーが、青ざめて飛びのいた。
「大丈夫、暫くは動けないと思うよ」
「なんで殺さないのよっ!」
「殺すとねー、バランスが崩れる事があるからねー」
気絶している森猫は大きい。ヒト程度の大きさがある。これ程大きな森猫を、侵入者たる冒険者が殺してしまうと、変な魔物が増殖したり、木々が食い尽くされたりと、広い範囲で森の環境が変わってしまう可能性がある。
ほんのわずかな時間気絶していた森猫は、ゆっくりと起き上がり、ふらふらしながらルーチェを見上げた。しばらくじっと睨み合った後、ゆっくりと森の奥に消えた。一部始終を離れてみていたメアリーとジルは、森との共存を重視する翡翠眼の行動に困惑気味だった。
三人は森を進んだ。早朝に村を出て歩き通しだが、音を上げる者はいない。陽が高くなり虫が多くなったので、ルーチェは「虫除け魔法」を使う。メアリーが、絶対教えてとあまりに頼むので後で教える約束をした。
森を歩いていて、ふと、石畳がある事に気付いた。周囲を見ると街道跡らしいものがある。木々に埋もれた石柱などがあり、村の痕跡が見え始めていた。
「森に沈んだ…村か…」
翡翠眼を始めとする亜人種が森を放棄する理由は幾つかある。
最もわかりやすい理由が食糧難だ。水源が枯れたりすれば移住を余儀なくされるから。現在、森は豊かに見える。食糧事情などが理由ではなさそうだ。長寿命族は「飽きた」という理由で突然移動したりする。翡翠眼の集落が珍しいのは、寿命の割には村が長続きしないのだ。
「なんか…不思議。戦火に遭ったわけでも無さそうだし、どうして村を捨てたんだろう…」
メアリーも同じようなことを考えていた。
「…リーダー格の翡翠眼が、旅に出る、と言い出した時点で散り散りになる、とか結構あるらしいよ」
「そういうもんなの? 翡翠眼ってイマイチわかんないよね…。大きく発展させる、とかいう発想がないって言うしね…」
「…増えないからだよ」
「増え…? え?」
「繁殖しないからだよ。あまりそっちに興味無い翡翠眼も多いからね」
自分は、まぁ並程度には興味があるかな、と思うルーチェだが、確かに翡翠眼は繁殖という点においてヒトとは全く異なる。ヒトは実に熱心に繁殖する。短命なのだから当たり前なのだが、その分世代交代も早く、文明速度が翡翠眼の尺度とは明らかに異なる、別次元の速度を持っている。
はて、魔族の場合どうなんだろうか? 翡翠眼は一つ大きな倒木を乗り越えながら考えた。魔族も長寿であまり種としての繁栄思想など聞いた事が無い。性欲はヒト並にはあるだろうが、そういえば何処でどう増えているのか考えた事も無かった。
「…ちょ、ちょっと、ルーチェ…」
メアリーみたいに、ヒトとの間にデキる、みたいな話は逆に良く聞く。半翡翠眼の話も良く耳にする。でもそれは多分、ヒト側の性欲が旺盛だから、だよね。エルフの男がヒトの女を口説くなんて話、聞いた事無いし…
「ルーチェ! ルーチェってば聞こえてる?」
「え?」
「え?じゃないよ、それ、それ見てなんとも思わないの?」
「へ?」
翡翠眼が今乗り越えた倒木。それをよく見ると、明らかにヒトの形をしている木だった。今走り出したその瞬間に木になったような、そんな姿をしている。顔の造形まではっきりと出来ていて、指先から新たな枝が伸び、それらがまた枝分かれし枯れている。足がボキリと折れて倒れているが、近くにその足らしき株があった。
「…!」
「…何…なんなのこれ…どう見ても…」
自然の造形では無い。木の魔物といえば「トレント」だが、彼等はヒトの姿はしているが、顔までは擬態しない。それにトレントの成れの果てであればすぐに見分けがつく。
三人は狼狽しつつ周囲を見渡してみた。魔物の気配は無いが、所々にヒトの形を成している木がある。しかも、石畳の脇に転々と。
「の、呪いか何かっ? 此処にいて大丈夫なのっ?」
「いや、伝播結界系呪術ならすぐ分かる。此処からは何も感じない」
翡翠眼は青ざめるメアリーを制した。そもそも、魔術師であるメアリーにも分かるはずなのだが、あまりの光景に冷静さを保てていない。
「落ち受けメアリー」
「…わかった、ごめん…」
メアリーは肩で息をしていた。鼠臭鬼は怖くなくても、この光景は動揺するには十分な光景だ。一体や二体ではない。よく見ればあれもこれも、ヒトが木になっている。
「落ち着け、ってのも酷な話だよ。こんなの、初めて見た」
「…魔法か?」
「【ヒトを木にする魔法】か…、長老樹の精霊が使う魔法だと言われてるけど」
「…、要するに、実在しないんだな?」
「今じゃ笑い話にしかならないよ」
「古い古いお話にだけ出てくる魔法、って事?」
「二千年くらい前はね、自然界の魔力の濃度が高かったらしいんだ。生体転換、しかも動物から植物へ、なんて、そんな膨大な魔力と術式連結が必要な魔法、魔力を間借りするにしたって、一気に枯渇して奈落化しちゃうよ」
しかもひとつやふたつじゃ無い…
この集落跡の規模は大きい。建物らしき跡もあるようだがすっかり森に飲み込まれている。ヒト型の木もかなりの数が点在している。
「夜じゃなくて良かったね。怖くて失禁しちゃうよ」
「これ……、まさか動き出したりしないよね…」
「ヒトの尺度での動きはしないと思う」
「これ、ここに来た冒険者が…、って事?」
神級の呪いか、果ては新種の病か、解明されていない魔法か。あるいは新種の植物か。
「冒険者が、では無いと思うな」
「なぜそう言える?」
「もし、仮にこれが急激な樹化を起こす魔法だったとして、装備まで樹化する?見る限りみんな全裸で木になってるみたいに見える」
「…はい、木になりますから脱ぎましょう、って事にはならないか」
「布みたいなものは風化するとしても、金属はどうかなぁ。それらが見当たらない事を考えると、これは、冒険者じゃ無いと思うな」
陽が傾く。陽が暮れた森の中の未知の遺物は危険過ぎる。伝染病などの可能性も否定できない。三人は一度村に戻る、という意見で一致した。