忘れる為の物語 三枚目 異形の者 前編
なるほど
そうやって記憶に襲われないようにしているわけか
お前にそんな才能があったとはな
オレにはとても真似できそうもない
もし
またオレに会う事があったら
今度こそ
優しくしてやってくれよ
「名前を考えなきゃ!」
王都から遠く離れた僻地の小さなユビ村は、長く続く雨の季節を越えて、さわやかな季節を迎えつつあった。主産業の葡萄栽培は病気の懸念期間を超えて、今、翡翠眼と少女が突っついている『カタツムリ』の駆除期間の真っ最中だ。
「名前? え、もう懐妊たの?」
「え? え?」
「え?」
香草と大蒜で味付けされたカタツムリは珍味で、駆除の目的とも相まって村でのちょっとした特産品である。油漬けにされたカタツムリは瓶詰めにされ、昨年から本格的に王都に売り出したがこれが大受けし、今年には間に合わなかったが来年工場も建設する予定だ。
村長の息子バルが運営する葡萄農園には村人の多くが関わっている。カタツムリを挟んで向き合うウィルも、婚約者ルオがその重役を担っている。
ウィルとルオは婚約をしたばかりだ。
「ち、違いますよ、計算が、あ、合わなくなるじゃないですかっ」
ウィルは薄い栗毛色の髪を振り乱し、真っ赤になりながら疑惑を断固否定した。
あれほど大胆な大芝居を打っておきながら、そういう事は初心なのか、と翡翠眼は含笑する。
「ヒトってポコポコ子供を産むイメージが強くて」
「カタツムリみたいに言わないでください。鉱石喰胞ちゃんの事ですよ」
「鉱石喰胞ちゃん…」
「なんですかスータナさん、その可哀そうな人を見るような目は」
他に客がおらず、暇なので水を替えにきた、宿「花の咲く場所」の主人スターナは、ウィルが持つ様々な事情を把握してはいたが、元々彼女は奇人として名高い。呪われた事を差し引いても、醜悪な魔物を平気で食したり、飼おうとしたりする事で村長ら老人たちを困らせる事が多かったのだ。自分が最初から村人から嫌われていることを良いことにやりたい放題やったのだ。
「液胞種は可愛いですよ。飼えば懐きますし、夏は冷たくて気持ち良いし」
「卵は珍味よね」
「…食べた事は無いです…」
「そうなの? まぁ、村に住んでればそうか。乾燥地では高級品よ」
「食べてみたいです!」
スターナがゾッとしてそそくさとテーブルを離れていった。液胞種など、魔物としてしか見れず、気味が悪くて食べるどころの話ではない。ウィルとルーチェは妙な所で話が合う傾向があって、特にウィルは筋金入りの翡翠眼信者。此処数日、頻繁にこの食堂を訪れては、翡翠眼の事、魔法の事、いろいろな話をしているのだった。
つい先日まで、見るのも無残な濃い紫色の呪障が顔半分を覆っていて、とても平然と村を歩けるような状態では無かったが、今は嘘のように消えている。事情を知る者は少ないが、怪我と違い【呪い】は解ければあっという間に治るものだ、という印象を持って村人に迎え入れられたのだろう。
実際【呪い】はそんなに生易しくはない。これは、ウィルが【仮病呪い】を使っていたから、だ。
【仮病呪い】と言えばルオの事である。ルオは二十年以上脚が不自由だった。だが、採掘場で咄嗟に走ったのを見て、ルーチェは気付いた。脚は正常で、引き摺っているのは〝擦り込み〟であると。
なので、態とらしい光術を使い、ルオに〝治療〟を施した。実際にそれは治療ではないそれを治療と呼んでしまったら、王都では魔法検察に罰せられてしまう。
ただ手元が光るだけの魔法。だがルオにはそれが覿面な効果を齎した。
「ルオの脚の調子はどう?」
「はい、なんか、調子が良いみたいで、今日は杖無しで職場に行ってみると言ってました。魔法って凄いですね」
にっこりと笑う少女。
ーこの子は何処まで本気で言っているのかわからないなぁ…
ー嘘の光術を見抜いているかもしれない…
そりゃーよかったねー、と翡翠眼は力無く笑う。
「ルーチェさんは、何でも出来るんですね。もしかしたら、凄く強いとか…」
「…そんなんでもないよ」
「魔泥胎を倒した事があるとか」
「…ルオに聞いたのか…」
「魔鳥フェローロを、睨んだだけで眠らせた、とか」
「魔法使いなら誰でも出来る」
「…私には出来ません……」
魔法は魔力があるだけでは習得できない。師を必要とする。ウィルが学んだ魔法は【仮病呪い】だけ。生まれて初めて覚えた魔法がそれというのも極めて珍しいが、相当の魔力を要する魔法だ。他の簡単な魔法が使えていてもおかしくはない。
大戦後、魔法の教育に関して王都は制限令を布いた。戦闘での優劣を決する魔力保持者の確保と育成に財を投じてきたが、戦争が終結した後もそれらの機関が、防衛費と称して私服を肥したのだ。組織の重役たちの殆どがヒトで運営されていたのだが、つい数年前に、長官としてなんと魔族を採用した。
魔族は翡翠眼と並び長寿で、爆発的な魔力圧を誇る。魔族が組織を束ねる事は、ヒトの魔法界隈の助長を抑制する事へ繋がった。魔法は元々師弟関係によって伝達されるが、今では魔力保持者は登録制で、新規魔法伝授、即ち「弟子をとる」には極めて面倒な手続きが必要となる。
無論、そんな事を無視して、あまり危険視されない微力の魔法は金で伝授されたりしている。ウィルが学んだというこの【仮病呪い】の魔法も、驚くほど安価で伝授された。
「弟子に…してくれたり…しませんよね?」
にっこりと無感情に笑うルーチェに、聞いた本人の背筋がゾワっとする。
「三百年くらい生きるなら」
「…無理です」
「でも、ウィルなら見ただけで真似られるんじゃないかな」
「見る機会もあまりありません」
「そのうち【染み抜きの魔法】くらいは教えてあげる」
「やった!」
そのうちこの子は子供を産むんだろう。うっかり誘睡魔法なんて教えたら幼児に連発しかねない。そんな事をしたら発育には悪影響でしかない。魔法は便利だが中毒を起こす。
ルーチェは、記憶に襲われて眠れない日も、誘睡魔法でなんとかする、という事はしていない。多くの長寿族がよくする方法だが、嘗ての師に、鬱や発狂のきっかけになってしまうので避けろと言われていたからだ。
最近は翡翠眼もあまり見かけない存在になったらしいが、安易に誘睡魔法を使う方法で早い時期に鬱を発症し、森の奥に引き篭もる者が多いからかもしれない。ルーチェ自身自覚があるが、この歳になるまでよく保っていられるなと思う事がある。関わったヒトが偶然にも良かったのかもしれない。
二人が魔法談義している最中、宿に男が駆け込んできた。清潔感が欠けた疎らな無精髭のエズスだ。
「スターナ、担架頼む」
「どうした?」
「手伝ってくれ。みんな畑に出張ってるから、人手が足らねえんだ」
寄宿中のルーチェはともかく、客であるウィルも放ったらかしで店を飛び出していくスターナ。ちょっとした騒ぎになった。動けなくなった旅人か、冒険者か、教会に運び込もうと村人が四苦八苦していた。畑に殆ど出張っているため、宿主人スターナと、運搬屋エズス、教会の神父と、あともう一人の若い男が担架を担いでいた
「カーク!」
「え?」
ウィルは食堂を飛び出していった。
「カーク!」
「おお、姉ちゃん、村長に言って、後で教会に来てくれって」
「何があったの?」
「彼等、鼠臭鬼にやられた、って言ってるンだよ」
カークと呼ばれた若者のその言葉に、その場の全員が驚いたに違いない。鼠臭鬼は大戦後、この地区から姿を消したと思われていたからだ。
担架に乗った旅人は軽装に見え、顔が派手に打撲の痕がある。暫くは喋れないだろう。呻き声をあげているから命には別状は無いが、傷跡は一生残る。
その担架に続いて、冒険者風の二人が村に着いた。騎士風の出立ちの男が血が滲んだ包帯の腕をだらりとし、もう一人の魔道士風の女がそれを支えて歩いてきた。
「ルーチェさん、また、後で!」
ウィルはそう言って村の中央通りを走っていった。村は今の時期人通りは殆どない。それでも残っていた老人達が担架の列を見て噂を始めているようだった。
「ルーチェさん! 悪いが一緒に来てくれないか?」
ルーチェ、悪いが一緒に来てくれないか?
カークらしき若者が声を張り上げた。名前を呼ばれた事に少し驚いた。身に覚えが無い記憶がふと頭を過った。はて、誰だったか?
ルーチェは手伝うでもなくただカークに近づいた。
「ルーチェさん、兄貴の事でいろいろ世話になったみたいだ。いろいろ話したい事があるんだが」
「兄貴…? あぁ、ルオの事?」
そのあと、カークは不自然に口だけを動かした。誰にも聞き取れない程の小さな声。
『アイツらから目を離すな』
「?」
「ルオ兄の事、ウィルから聞いてるよ。後でたっぷり礼がしたい」
カークは顔が笑っていない。視線が、腕を怪我した来訪者にチラッと動いた。カークの声にならない声はルーチェ以外誰も聴こえていない。
「わかった」
「頼んだぜ」
怪我人を改めて見てみると、顔が殴打されていて失明しているかもしれない。歯も欠けている。顔だけではない。全身殴られているようだ。あちこちが折れている。
ルーチェは後に続く来訪者に近づいた。
「そっちの怪我は大丈夫?」
「ああ、心配ない。麻酔も無しに縫ったから痛むんだ。骨まではやられてない」
騎士風の男は優しい声だ。見ると細身の男で、軽鎧に身を包んでいる。血が滲んだ包帯の右腕。足も少し引き摺っているようだ。魔道士風の女は外傷はない。身長が低めで、心配そうに男を見上げている。
「何があったの?」
「森の中で、鼠臭鬼に襲われたんだ。四匹だった」
「いきなり殴られて…魔法を使ったら逃げていきました」
鼠臭鬼は剣や格闘では退かないが、魔法を極度に恐れる。特に火の魔法をとても恐れるのだ。
「殺さなかったの?」
「逃げて来るのに必死でした」
鼠臭鬼は群れを成し、謀り、騙し、貪る。一体一体は然程の力は持たないが、ヒトよりすばしっこいし、小さい体ゆえ森ではヒトより優位に立つことがある。訓練された戦士ならいざ知らず、旅人や巡礼者では撃退する事は難しい。
教会に運び込まれた怪我人は、唸り声を上げる事が精一杯で口も鼻も潰れている。口の中で砕けた歯が喉に詰まって窒息する恐れがある。普段神父はいい加減な飲んだくれに見えたが、この時の顔は凛々しかった。体力には自信がある運搬屋のエズスには水を汲んで来るように言い、スターナには酒を少々と薪の手配を頼んだ。神父はルーチェを見つけて、ウィルを連れてくるように言ったが、その話をしているうちにウィルが教会に現れた。高齢の村長の手を引いて走ってきたのだ。
「カーク? お前」
「爺ちゃん話はあとだ。急いで親父に連絡とってくれ。護りを固めるように」
「護り?」
「鼠臭鬼が現れたらしいんだ」
鼠臭鬼、と聞いて村長の顔が蒼白になった。
「そ、それは確かか?」
「これを見ろよ」
村長は運び込まれた、唸るだけの怪我人を見てさらに冷や汗が出た。
「カタツムリどころじゃない。村総出で警備しないと」
村長は、怪我人のそばにいる来訪者に声をかけた。
「あなた方、この怪我人の仲間かね?」
「はい」
「見ればお主らも怪我をしているようだが。鼠臭鬼に襲われたというのは確かかね? 盗賊や追い剥ぎなどと見間違えはしないかね?」
「確かです」
「そうか…、ここ暫く出なかったのだがね…」
怪我人がうーうーと唸った。
「とにかく、警備を増やそう。ウィル、農場に行って息子を呼んできてくれ。農場そのものも警戒が必要だが…まずは村が優先だろう」
「はい」
「カーク、お前は屋敷から武器を出せ。槍があったはずだ。家々をまわって松脂をかき集めろ。そしてそれが終わったらすぐに寝ろ」
カークはニヤっとした。
「了解」
「よし、行け」
少女と少年が居なくなり、神父は怪我人の治療の為に薬草を摺りおろし、教会の庭では火が焚かれ湯が沸かされている。
ルーチェは黙って見ていた。魔法が無いと治療も一苦労だな、と。しかし、私がやってあげる、とは言わなかった。
自分たちにできることは無いか、と来訪者の女が言ったが、村長は、まず休むように言った。教会の小さな別室を使うように、と。
そして、いつの間にか、村長とルーチェだけが残った。
「ルーチェさん」
「…?」
「我々は、多少の犠牲があっても、自分らの身は自分らで守るつもりです」
「うん」
「ですが…、私ら年寄りには、鼠臭鬼には苦い思い出がありましてな…」
「相手の数による」
「…そうですな。現れた鼠臭鬼が【はぐれ】ならばいいのですが…」
鼠臭鬼は亜人種として数える宗派もあるが、広く概ねの認識は「魔物」だ。
鼠臭鬼の習性はよく蟻や蜂に例えられる。女王が居て、その女王が産んだ子らによって大所帯の家族が形成される。確認されたケースだけで言えば、最大で二百体程の集団にもなる場合がある。女王は子を産み続けるが、集団が熟成すると新たな女王『姫』を産み、そして姫は、他より優秀な個体である『騎士』を連れて女王の元を離れて行く。姫は騎士と共に旅し、見つけた他の個体と子を成し、そこで集団を作る。
この、姫と騎士の旅路に冒険者や旅人がよく遭遇するのだ。普段大きな組織を作る場所は森の奥地か、ヒトの気配がしない場所だ。ヒトの生活圏と重なる事は殆ど無い。万が一重なった場合、縄張り意識の極めて高い鼠臭鬼は、ヒトとの闘争を延々と繰り返す。どちらかが全滅するまで戦い続ける厄介な相手である。少数での遭遇の場合、姫と騎士である。彼らは所謂『姉弟』の関係であり結束は強い。騎士と呼ばれるだけあり、戦闘力が他の者より高い。姫自身は戦う事はほとんど出来ないと言われている。
『はぐれ』と呼ばれる姫と騎士の小隊は、異なる血筋の個体と、自分の棲家を求めてヒトの生活圏にも平然と入ってくる。だが彼女らは闘争が目的ではなく、生き残る事が最優先である。
鼠臭鬼が四匹、という数から想像できるのは、この『はぐれ』だ。森で遭遇したのがもし、女王がいる鼠臭鬼なら、怪我程度では済まない。大人数の鼠臭鬼を相手にして撃退するには、広範囲に炎を撒き散らす魔法などを使える魔法使いがいるなら可能だが、同時に森を焼く事になる。森は、僻地にとって村の存続問題に直結するため、鼠臭鬼退治の専門の戦士一行などが繁盛するのだ。国がそれを補助している。
鼠臭鬼は瘴気を受けて知恵をつけた鼠が進化した魔物と言われているが、実の所あまりにも身近に存在する魔物である為、魔性研究が進んでいない謎多き魔物である。ただ言える事は、ヒトの女子供を拐い、壊れるまで玩具にし、壊れたら食す事で知られている。人間が作った刃物や武器などを奪い、使いこなす者もいる。近年、火薬や魔導器を使った例なども報告されていて、世代交代が早い分ヒトよりも進化し、僻地の農村にとっては脅威である。
「はぐれ」と遭遇したら村を挙げて追い払わないと、鼠臭鬼はたった数ヶ月で数を何倍にも増やす事がある。騎士と姫は子を成さないが、姫にしか聞こえない遠吠えで呼び合う事で知られる。姫同士が出会うと相手の騎士と数名交換し子を成し始める。それが森の中の洞窟などに根付かれると、もう村だけでは対処出来ない。森の鹿などの動物を根こそぎ食べ尽くした後、ヒトを襲い始める。
村長に悲壮感が漂うのも無理はないのだ。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
「隣町に助けを頼んでも、“また”土壇場で金の話をしてくるんだろ?」
「あれで、わしらがどれだけ辛酸を舐めたと思ってるんだ」
「やっと葡萄が軌道に乗ってきたのに」
「お前らは娘をヤられてないからそんなことが言えるんだ」
「金の事を言うなら、鼠臭鬼をやっつけて来い」
「そんな感じですね」
「はぁー……」
夜七時を過ぎていた。
すっかり暗くなった頃、ウィルが教会に戻ってきてルーチェとお茶を飲んでいた。怪我人の治療は一通り終わったが、熱を持っていて冷やし続けなければならない。ウィルは呪いこそ受けていたが、村人には魔法が使える母親を持つ者として知られている。怪我人の世話を買って出たのだ。村長がそれを許し、神父は休憩を取るために教会を離れている。
教会、といってもこじんまりとしたもので、ささやかな祭壇上に、四翼の翼を持ち先端が膨らんだ杖を持ったよく見るモチーフの女神像がある。灯りは蝋燭で、怪我人は簡易的な移動式ベッドで横たわっていた。今は落ち着いていて、発作を起こしたようにうめく事もあるが、ハーフェンメロアの強めの痛み止めは効いているようだ。治療と言えるかどうかギリギリの聖水による洗浄と破けた皮膚の一時的な縫合が施されていた。殴打による骨折が酷いが幸い出血が少なく、大雑把ではあるが適切な処置と言えるだろう。片田舎の神父がよく行う、破天荒な処置を何度も見てきた気がするルーチェには、比較的まともだな、と思った程だ。発作により暴れて傷口が開いてしまう恐れがあるため、今夜一晩は側で見ている必要がある。なので神父は今仮眠をとっているのだ。
怪我人が教会に担ぎ込まれ、噂を聞きつけた村の老人達が村長の家に押し掛けた。今後どうするか、という話し合いをしているようだが、まとまりそうも無い、という話をしているのだった。
「…あのさ」
「はい?」
「なんで、ここまでして怪我人を助けるの?」
「え?」
ルーチェの疑問にウィルが一瞬言葉を詰まらせた。が、そのあと妙に他人事のような顔をした。
「死なせるわけにはいかないんでしょう」
「…どういう意味で?」
「怪我で済んだ、と死んじゃった、では全然違いますからね」
「その後の対応が、って事?」
「その後の村人の反応が、って事ですね」
若干冷ややかにすら感じるような口調でウィルがお茶を啜った。
「村人の反応?」
「詳しくは知りませんけどね。ここ(ユビ村)って、自衛団がないんですよ」
「ない?」
「はい、ないです」
「え、魔物とか、野盗とか、そういうものからはどうやって対処してるの?」
ルーチェが驚きの声を上げる。
「隣街に頼むんですよ」
「はぁ?」
「ルーチェさん、その反応、嬉しいです。私やカークの感覚が正しいって言ってくれてるみたいで」
自衛手段を持たない村、など考えられない。
魔物だっている。荒くれ者だって、盗賊だっている。それらの脅威から村を守る組織が無い、という事だ。隣街に警備を依頼する、という事は当然その為の依頼金も莫大にかかる。いくら小さな村とはいえ、かき集めれば三十人程度の若者たちの集団は作れるはずだ。農民は体力がある。刃物も使う。農民兵は下手なかき集めの一般兵よりも優秀な部隊になり得るのだ。そのはずなのだが…。
「え、どうして?」
「さー、どうしてでしょう…、実際魔物の被害は少ないですし、野盗に襲われたりするほどお金があったりもしませんし…、自衛団が無くてもなんとかなっちゃってるからじゃないですかね。いざとなったら隣街に頼む、という感じで」
「…随分呑気だね」
「鼠臭鬼が出た、となるとそうも言ってられないですけどね。鼠臭鬼ナイトは手強いですし、夜行動しますしね。追い払わずに放っておけばすぐに増えますし、戦士は日雇いで結構高いですからね。揉めますよきっと」
「…他人事だね」
ルーチェの言葉に、ウィルが少し眉を釣り上げた。
「若干、ざまぁみろ感はありますね」
「え?」
「…カークの提案に反対したのは、村人達本人ですから」
「提案?」
「以前、自警団を作ろうとしたんですよ。私は詳しくないですけど、昔隣街で雇った戦士で酷い目あったらしくて、自分達の身は自分で守ろう、って。でも、却下されました…」
「なんで?」
「金がかかる、って」
「はぁああ?」
「タイミングも悪かったんでしょうね。あの頃はまだ葡萄が始まったばかりだったから…」
自衛できない村は、既に村とは言えない。ヒトを襲う魔物が居る。大戦の名残りがまだ残っている為、本来いるはずも無い死霊や人工生物なども多く闊歩している。いくら辺境の地とはいえあまりにも無警戒過ぎる。ルーチェは呆れて物も言えない。
ルーチェは、村長が先刻言った言葉の意味を捉え損ねていたことに気付いた。村の自衛の為に戦う意思のある者が居ない、という事だったのだろう。
鼠臭鬼はそんなに甘い魔物ではない。油断すればちょっとした大きな都市ですら壊滅する大変厄介な相手である。全力で排除しなければ、全てを奪われるのだ。
大戦中、戦地だけでなく僻地にまで大きな傷跡を残した要因は、中都市部の自衛に人員を割けなくなり、食糧を生産していた僻地の農村が鼠臭鬼によって壊滅的な被害を受けたから、と言われている。国家が総力を挙げて鼠臭鬼排除に撃って出るまでの十数年は実に人口の二割が鼠臭鬼被害で減ったという学者もいるくらいだ。鼠臭鬼は太古から『ヒトの天敵』なのである。
「この人、死んだらまずいでしょうね…、鼠臭鬼が怖い村人はバルさんのところに駆け込むでしょうし」
「バルさん?」
「あ、村長の息子さんです。葡萄農場のトップ。この村で、お金があるといえばバルさん以外では考えられませんし」
「え?隣街に警護を頼めって話?」
「当然、バルさんは村の警護を独自にすると言い出すでしょう。でも、若い人は殆ど隣町への出稼ぎに行ってますし、自衛団を作るのは難しそうです」
「その話は、オレからするよ」
突然礼拝堂の裏側から声がしたのでウィルがびくりと大袈裟に身体が震えた。蝋燭の灯でよく見えない祭壇裏から、ぼんやりと少年が現れた。カークだ。
「いつからいたの?」
「…最初から、だよ。裏の部屋で寝てたんだ。それ、食っていいか? 腹減ってるんだ」
カークはウィルの隣にどかっと座り、テーブルに残されていた飲み掛けのお茶とパンを頬張った。ウィルが飲んでいたカップで飲んだが、ウィルはそれを咎める様子は無い。果物も食べなよ、と手元にあったブドウを出した。
「ルーチェさん、貴女には本当に心から礼を言うよ。姉ちゃんと兄貴の事、ありがとう」
この言葉を発したカークの態度を見て、ルーチェは理解した。ウィルにとってカークは弟であり、カークにとってウィルは姉なのだ。村長から既に異母姉弟である事は聞かされているが、知らなかったのは本当にルオだけなのだな、と思った。男女のそれとは違う、絆のようなものを感じる。…が、ルオにはそれを姉弟愛とは見抜けなかったのだろう。
「…隠し事は良くないよ」
ルーチェの言葉にカークだけがわかったようだった。
「兄貴は筋金入りの鈍感男だからなー。結婚してからバラすよ」
「それでいいの?」
「そもそも、その事はあんまり村の人に知られたくないしな」
カークは、口いっぱいにパンを詰め込みながら言った。
「それよりも、こんな夜まで見張っててくれて助かった」
怪我人の仲間の二人は宿屋「花の咲く場所」にいる。スターナには、彼らが何か行動したら伝えるようにと言ってあるのだが…
「目を離しちゃったけど…?」
「いや、オレとしちゃ、こいつを見張ってればそれでいいんだ」
「どういう意味?」
疑問を投げかけるルーチェの瞳を真っ直ぐに見たカークは、ふいっと軽い溜息をついた。
「…オレはあの森に三年近く住んだんだ」
「森の奥にあった小屋ね?」
「そう。実はあんたが森に来た時見ていたんだ。オレの彼女はクォーターエルフで、森について詳しいんだ」
「え? リンナさんって、混血だったの? てか、ルーチェさんをあんた呼ばわりするのはやめなさい」
「わかったわかった、あの森には鼠臭鬼が入った形跡は無いんだ。少なくとも今朝まではな」
森に住んでいると、鳥や獣が持つ距離感や雰囲気などで森の状態がわかる。ルーチェのようなエルフは特にその感覚に優れている。ヒトが入っただけで空気が違うという者もいる。鼠臭鬼が数匹森に侵入すれば立ち所にわかるのだ。
「明日にでも森に入って調べてみようと思ってる」
「鼠臭鬼がいる森に?」
ウィルが心配そうな顔で言った。
「…人間にもいろんなヤツがいるんでね……」
カークの言葉はどう捉えて良いかわからないものだった。ただ、蝋燭の灯りを見詰めている顔は、どこか寂しげな印象を受けた。
「ルーチェ…って呼んで良いか?」
「…? ああ、呼び捨てで良いかって意味? いいよ」
「あんたにしちゃ、俺なんか生まれたてのガキみたいなもんなんだろうな。オレさ、この村をもっと、マトモにしたいんだ」
「まとも?」
「冒険者や旅人にとっちゃさ、のどかで良い村かもしれないけど、実際住んでみりゃ、つまんねーし、古臭いしさ。せめてさ、自分の身を自分で守れる村にしたいんだ」
「そうね、自衛できないってのは変だよ」
「まったくな……」
なぁ…
オレの生まれは、アノーっていう、国の外れの小さな漁村でさ…
そこに、母と二人の妹とを残してきたんだ
これを、届けてくれないか?
『何年かかるかわからないよ?』
オレは、あの村を「マトモな村」にしたかったんだ…
魔物なんかに負けない
海賊なんかにやられない
「マトモな村」に…
ルーチェの脳裏に、記憶に無い記憶がまた再生された。はて、この男は誰だったろう。そして、届けろと言った小さな箱は何処へ行ったろう?
自分はちゃんとそれを届けたのだろうか?
「どうした?」
「似たような物語って、たくさんあるんだな、と思って」
「?」
この物語は何度目なのだろう?
ーオレが出てきたら
ー今度こそ優しくしてやってくれよ
「優しく…?」
「え?」
わたしは、どうやって生きてきただろう?
自分の生涯を、自ら書き記したであろう手帳からしか垣間見えないルーチェにとって、書かれた文言の【行間】に存在する心理の葛藤などは知る事はできない。
どうやら自分は多くのヒトと関わってきたらしいが、
それによって生まれたのは幸福だろうか、それとも悲劇だろうか?
何かを記す時、耐え難い程の苦痛を書き残すだろうか?
もし自分が何かの悲劇を起こしたとして、それを自らの手で記すだろうか?
もしくは、それは悲劇だと自覚できただろうか?
自分の生涯を知っている者はもうこの世にはいないのではないか?
とすると、償い切れない程の罪を犯している可能性もある。
私は、優しく無かったのだろうか?
どうすれば償えるだろうか?
どうすれば…?
「ルーチェさん!」
「え?」
ウィルの声にはっとルーチェは我に返った。いけない。記憶に襲われるところだった。
エルフに詳しいウィルはルーチェが抱えている『枕呪』の事ももちろん知っている。寝る時以外に記憶が襲ってくるのは末期に近い。心配そうに見るウィルに「大丈夫」と肩を触れた。
ルーチェは少し頭痛がしたが、少しでも記憶に整理を付けたいと思った。まず、自分の目の前の出来事を整理しなければ、と。
「…この村は、昔鼠臭鬼に何をされたの?」
「え?」
「知りたい。知っておきたいんだ。何が、起きたのか」
私が知っていたはずの物語と、同じ結末なのか、それとも、違うのか。
「単純な話さ。鼠臭鬼がやってきて、村の女を襲った。当時、村の若いやつが鼠臭鬼を退治しようと自警団を作って、見事に撃退した」
ほっとした。
「…良い話じゃないの?」
「ああそうさ。いい話だ。そして、その自警団は、隣街に【買われた】」
「え!」
「その買われた自警団は、いつのまにか消えた」
「どういうこと?」
カークは静かにスープを啜った。
「どこに行ったんだろうな? 隣街にはもうその痕跡は無い。この村は若い労働力をごっそり奪われたのさ。自警団ごとな」
「え…」
大戦後、ヒト同士の戦いによって、鼠臭鬼を始めとする魔物の勢力が増した時期があった。戦後の復興の為、小さな農村は、決して軽視出来ない経済基盤だった。特に肥沃な土地では食料生産において労働力が渇望された。
広大な農地を安全に運営する為にはどうしても魔物達の勢力を抑える必要があった。その為、これほど小さな村出身でも、農兵士隊には高い報酬が約束された。
権力者達は農兵士達を金で釣り、さらに高く中央に売った。僻地の村にとって【まともな村】を目指す際にはどうしても金がいる。【買われた自警団】の若者達も、おそらくは【まともな村】を夢見ていたに違いない。
彼らのように、本来自分の居場所を守る為に戦うはずだった農兵士たちの活躍により、この大陸の魔物の勢力はだいぶ収まっている。だが、この村に帰ってきた者は殆どいない。
「そりゃぁ嫌にもなるわな。自警団、って言葉そのものが嫌になるだろ。この村に長い間自衛の手段がなかったのは、自衛しなきゃならない機会が無かった、ってのは正しい。なにせ、その消えた自警団も含めた【買われた農兵】が頑張ったんだからな」
「そして、消えた」
「そう。んで、また巡ってきたのさ。魔物たちの影が」
「なるほど」
「この村の老人たちはさ。同じく奪われるなら【人】よりも【金】の方がマシだ、って思ってるのさ。大きな葡萄畑を作れたのもその農兵のおかげで、成功し始めて、そこで働く人も増えてる。やっと【産業】が生まれた」
灯された蝋燭のゆらめきの奥には、若き【村長】の顔があった。
「若い奴が都に買われないようにするにはどうしたらいいか。俺の爺さんが俺が赤ん坊の頃から言ってきた言葉だよ」
「う~! ううううぅう!」
寝ていたはずの怪我人が突然唸り声を上げた。ルーチェも含めた三人がビクリとして視線を向ける。怪我人は包帯で巻かれ苦痛で暴れないようにと拘束されているのだが、明らかに今の話に反応したようだった。
「そうか、あんた、耳は無事か」
「何か言いたいの?」
「う~! ううううぅう!」
「そんなんじゃ、何も喋れねーよ。しばらくは…」
カークが言いかけたところで、その場の三人は目を見開いた。
「喋れない…?」
怪我人は顔を殴打されている。喋れない。それはもしや、口封じか?
「何か…知ってるの?」
怪我人は懸命に体を動かそうとするが、拘束具があって動けない。うごめいているうちに傷口から血が出始めた。
「だめよ、おとなしくしてっ」
「待って」
「え?」
傷口から吹き出た血が足を伝った。怪我人は比較的自由に動く足で、床に血で何かを描いた。
いない
三人は顔を見合わせた。
「いない?」
「鼠臭鬼が?」
「え?」
「うぅううう!! うううう!!」
カークの言葉に怪我人はうめき声をあげた。そして異常に興奮して拘束具をガチャガチャ鳴らしながら暴れ回った。そして、急にぐったりとした。ウィルが比較的冷静に脈を取ったが、大丈夫、気を失っただけ、と言った。
その場が急に無音になった為、教会はシーンとなった。沈黙を破ったのは、カークだった。
「ルーチェ。協力してくれないか?」
ー協力してくれないか? ルーチェ
ーいやだな、その言い方、なんか余所余所しい
ーそうか? なら別な言い方をするか
ー助けてくれないか?
ーなんかそれもなー
ーうむ…、難しいな
また誰ともしれない男との会話の記憶が再生された。だが不思議と温かい。
「カーク」
「ん?」
「【一緒にやろう】が正解」