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螺旋世界 ―シオン―

かくて契約は結ばれる

作者: 琳谷 陸

かくて契約は結ばれる




「君がこの辺りで一番長生きしている食人鬼(グール)で間違いないかな?」

「あら。誰かしら。勝手に人の年齢を教えたのは。お仕置きが必要ね」

 群青(ぐんじょう)に金銀の星を散りばめた新月の夜。砂漠のオアシスにある街で、構えた天幕(テント)に訪れた三十代半ばに見える男は、入り口を潜るなりそう言った。

 失礼極まりない。女性にまず年齢が関わる言葉で挨拶するなんて。

 没薬(ミルラ)とスパイスが(かお)る天幕に不似合いな異国のかっちりとした装束。恐らくそれでもラフなのだろうけれど、白い長袖のシャツに紺のベストとスラックス、そして黒い革靴はこの街ではまず異物と言える。

 大小様々なクッションにしどけなく横たわる天幕の(あるじ)、黒髪に褐色の肌、赤い瞳のメリハリが利いた肢体(したい)を踊り子の纏う薄衣(うすぎぬ)の下に隠しもつ妙齢の女は、男を頭のてっぺんから靴の爪先まで眺めた。

 堀の深い整った顔立ちに撫で付け整えられた白い髪、白い肌。薄氷(アイスブルー)鋭利(えいり)な瞳はそれでも目付きが悪いとは言われないだろう色気がある。

 軽く口の端を上げる皮肉毛な笑みが傲慢(ごうまん)なくらい似合いそうな男だ。

「それで。君で合っているのかな?」

 女はその言葉に赤い瞳をスッと(すがめ)る。

「この辺りで一番()()()なら、合っているわ」

 年齢教えたやつ後でシメる。

 そう思いながら、女はひとまず男の用件を聴いてみる事にした。

 が。

「そうか。なら、時間が惜しいので本題から入ろう。私と結婚しないか」

「…………」

 この男、馬鹿?

 女の目が()わる。

「こんなに最低な求婚(プロポーズ)を受けたのは初めてよ。帰って頂けるかしら」

「ふむ。そう言うな。悪い話ではない筈だ」

「話の内容以前の問題だと言っているのだけれど? それとも女はみんな、貴方に声を掛けられたら涙を流して無条件に喜ぶとでも思っているのかしら。腹が(よじ)れて痛いわね。即刻帰りなさい」

 腹が捩れると言いながら欠片も可笑しそうに見えない。

 女の男を見る瞳は生ゴミかそれ以下を見るものである。

 そんな視線を意に介さず、男は天幕の中で敷かれた絨毯(じゅうたん)の上に胡座(あぐら)で腰を下ろす。

 まさかこの男、罵倒(ばとう)されて喜ぶ趣味のある人種なのだろうか。と、若干女が引きそうになっていると、男はクスっと笑った。

「千年を生きる女食人鬼(グーラー)と聴いていたが、随分(ずいぶん)と可愛らしいものだな」

 まるでそのあとに「小娘のようだ」と続くように思え、女は一気に頭が冷える。

「ほんとに、どこの誰かしら」

 こんな男に人の個人情報を与えたのは。

些末(さまつ)な事だろう。さて、商談(プロポーズ)を再開しようか」

 女はつまらなそうに男を見遣った。

「私の望むものは貴殿(きでん)の血脈。私の妻となり私の子を産むこと」

「対価は何なのかしら。言っておくけど、別に私は特に欲しいものなど無いわよ」

 今の生活に足りないものなどない。足りないものが無いなら対価は存在しない。

「果たしてそれは真実か?」

 ピクリと(しゃく)に触ったように女の柳眉(りゅうび)が片方上がる。

「どういう意味かしら?」

「何も欲しくない。本当にそうだろうか。それは、停滞。退屈。貴殿の嫌う最たるものではないか?」

「…………」

 どこまでも腹の立つ男。

 女は男を()めつける。

「何も望むもの無くば、貴殿はとうに生きる事をやめているだろう」

「――――最低な男。人を妻に乞うというのに、誠実さも愛もない」

「そんなもの、望んでいないだろう?」

 本当に最低最悪だと、女は思う。何せ全て――――その通りだ。

 誠実さなど当の昔に飽いて、愛などそれより前に興味が失せた。

「そんなものより、貴殿が欲するのは変化だ。未だ未知のもの。未知の世界。私の妻となり子を産むなら、私はそれを約束しよう」

 自信たっぷり余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)の男を思いっきりひっぱたいてやりたい。けれど、恐らく叶わない。

 きっとそうしたいなら妻になれと言われるだろう。

嗚呼(ああ)、そうだ。いい忘れていたが、貴殿を迎えるのは()()()()としてだ」

「は?」

 何て言ったこの男。

「既に第一夫人と二人の息子がいるからな」

「あなた、頭わいてるの?」

 嫁に来て子供を産めと言っているその口でお前は側妻発言。

 馬鹿にしているのかそれとも頭がおかしいのか。他に女がいると堂々と言い放ってからの求婚とか笑える。

 しかも既に子供いるなら必要ないだろこの勘違い野郎。

 と。簡略してそんな罵詈雑言(ばりぞうごん)を目の前の人でなし男に心の中で浴びせた後、女は瞳の色彩とは真逆の冷たい視線を男に向けた。

「至って正常だ。こちらの世界でも貴い地位にある場合は複数妻をもつ事はあると思うが」

「貴族ね。まあ、見るからにそうよね」

 その傲慢(ごうまん)なほど自信に満ちた態度も貴族と言われればそうだろうな、と納得できる。

「私は長いこと当主を務めてきたのだが、そろそろ後継に譲って自分の研究に専念したいと思っていてな。必要だからこそ家の為に第一夫人を(めと)り子を()した。そこまでは問題無かったのだが」

 すでに言い分がろくでもないのにまだ嫌な予感がする。

 女の目が冷たいを通り越して無だ。

「私は一番優秀な者を後継ぎにすると決めている。その事は第一夫人にも伝えてある。しかし」

 男が溜め息めいた吐息をこぼす。

「第一夫人とは二人子をもうけた。私の意向も伝えてある。にもかかわらず、第一夫人は次男を長男の補佐として育て始めた」

 男としては優秀な方を後継ぎにしたい。ならば、第一夫人が男の意を()むのなら、どちらにも()()()()()()()を施さねばならないはずである。

「同じ条件下で育成しなければ比較検証できないだろう? まあ、それとは別に同系統の種ばかり掛け合わせても面白くない。新しい系統も取り入れなければと考えたのた」

 もう紛がう方なき最低最悪男であるのは間違いない。夫人も子供も実験動物か何かそれくらいにしか思っていないだろう。

「第一夫人との間にさらに子をもうける事も出来る。しかし私の意向を伝えても理解出来ないのなら、無駄だろう。私は無駄な事が嫌いだ」

「とりあえず出てってくれないかしらくそ野郎」

 こいつはダメだ。

 関わるべきではない。

 ガンガン痛いくらいの警鐘(けいしょう)が頭の中に鳴り響く。

 情が薄いどころか欠片もない最低男。

「ふむ。嫌われたか」

「好かれる要素がどこにもないでしょう」

 愉しそうに喉の奥で男は笑う。それが実に楽しそうで、鳥肌が立つ。

 薄氷の瞳、酷薄そうな笑み。整っているからこそ、その奥底にあるものがおぞましい。

 だが。

「愛の反対は『嫌悪』ではない」

「…………」

「貴殿は頭が良い。それは学の事ではなく、本質を理解するという意味でだ」

 男は至極楽しそうに、この上なく愉快というように。

「もう手遅れだ。貴殿は私に関わり、私に興味を持たれた」

 男の片手の指が秘密を(かたど)るように人指し指を唇の前に立てられる。まるで耳まで裂けるような(いびつ)醜悪(しゅうあく)なほど美しい笑みを浮かべ、声にせず囁く。


 ――――もう逃がさない。


 満足そうな笑みは嗜虐(しぎゃく)に。

 声は傲慢に。

 何かの宣告めいた響きを帯びて。

「逃げるのは無駄だ。お薦めしない。まあ、流石に命を絶つというなら手間だが、なに魂と肉体をそれぞれ確保するだけだ」

 どうあっても、逃がす気がない。

「私としてはそんな無駄な事に労力を割くより、いかに私から貴殿の利益を引き出すか。それを考える事を薦めるが、さてどうする?」

 にこにこと上機嫌なその顔を正面から凹ませてやりたい衝動に駆られる。

 けれどここまでおぞけが立つと、嫌でもわかってしまう。

 こいつは本気だ。本当にその通りにするだろう。

 つまり、どこまでも追いかけ追い詰め、死んだとしても逃がさない。

狂人(きょうじん)

「そうかも知れないな。いや、そうだろう。私は不死者の賢人(けんじん)、その血脈を創るものの一人。研究には時間が必要で、人の時間では短すぎる」

 だからこそ、と。男は無邪気に(わら)う。

「狂うほどに自らの欲望に忠実に。私は欲しいと思ったものを決して諦めない」

 故に、と。男は続ける。

「欲しいものを手に入れるために、労力は惜しまない。貴殿にはその価値がある」

「…………」

 絶句。それ以外にどう反応すれば良いのか。

「とは言え、貴殿が対価を考える時間も必要だろう。今日はこれにて失礼する」

「……受けると思うの?」

「言っただろう? 無駄だと。貴殿はそこまで愚かではないと思っているよ」

 男は楽しそうに笑いながら立ち上がり、天幕を後にする。

 残された女は忌々(いまいま)しそうにその後ろ姿を睨み付け、逃れられない悪夢に瞳を閉じた。




 ――――逃れられないならどうするか?

 答えは一つ。

「あなた、何処から来たの」

「唐突だな」

 立ち向かうしかない。

「あなたみたいな屑野郎、噂の一つも無いのはおかしいもの」

 探してもそんな者はいないと言うかのように。

 再び天幕を訪れた男に、女は開口一番そう言った。

 認めるのは(しゃく)だが、男の容姿や本当だとするなら身分で人の世はおろか、こちら側にさえその噂一つないのはあり得ない。

 あり得るとするなら、そもそもの世界が違う可能性だ。

 今、自身が立つ世界とは違う世界。世界が一つではないと、()()()()の者や一部の人間は知っている。

「素晴らしい。実に良い。私の事を必死に、何か弱味の一つでもないかと足掻いたのだろう?」

「無駄は嫌いなんじゃなかったかしら? 無駄な事をする輩も同じでしょう」

「いや。生憎(あいにく)と、他者がもがき足掻く様を見るのは嫌いではない」

 どこまで外道なのか。

 あわよくば失望して興味を失ってくれれば儲けものと考えていたのだが、やはりそう上手く単純に事は進まない。女は舌打ちを隠さず、男は楽しそうに笑う。

「つまり、どことも知れない場所へ連れていこうとしてるわけね?」

 にっこりと男は無言の笑みで応える。

「お断りよ」

「ほう。少し前ならともかく、今はこの地に何の未練も無いだろうに」

「……なんですって?」

 男の口許(くちもと)がニヤリと歪む。

「貴殿の同族もほぼ絶え、少なくとも貴殿と釣り合う同族は数百年前が最後。今は人の世に溶け込むために交流のある人間が少しばかりいるだけだ」

 女がその言葉に鳥肌を立てる。それはつまり。

「信じられない。数百年単位の変質者(ストーカー)なんて」

 ドン引きである。実に年季の入ったストーキングに鳥肌が止まらない。しかも数百年も粘着していたと言うなら、最初(ファーストコンタクト)の確認はわざとだ。やはり性格が死んでいる。

「そんなに褒めるな。照れる」

「褒め言葉に聴こえるなら医者に行きなさい」

 男は照れると言いながらさほど表情にも変わりない所からして、ただの軽口だろう。

「まあ、貴殿がここを離れ難いと言うのなら、行き来が出来るように屋敷から路を繋ごう」

 それなら問題無いだろう? などと事も無げに言う。

 異界から異界へ渡るのも普通は容易ではないはずなのに、だ。

「あなたの所では異界へそんな気軽に誰でも行き来しているの?」

「人による。大半のものは出来ないだろうが、私を含めて一部のものは気分次第だな」

 ヤバいのが能力を持ってしまった典型と言うことか。

「本当に出来るかもわからないのに信じると思うのかしら?」

「ふむ。ならば実物を見せる必要があるな。用意しよう」

 女の言葉に男はすんなり頷き、天幕を出て数日後。

「新居の用意が出来たので迎えに来た」

「いきなり数段階飛ばして何言ってるの?」

 行き来できる品物(アイテム)の件どうした。

「飛ばしてなどいない。とにかく見てみる事だ」

「ちょっと!」

 ハハハハ、と愉しそうに腕を掴まれた瞬間、本当に瞬き一つの間に全ては変わって。

「今すぐ元の世界に帰しなさい」

 怒りのあまり、素足で反射的に男の靴の甲を思いっきり踏みつけつつそう言うが、痛くもなんともないと言うかのように男は笑い続ける。

「すぐに帰しては勿体ないだろう。まずは内覧だ」

 ふざけるな。そう言おうとした。

「貴殿は海を見たことはあるか」

「は?」

 ほらそこ、と。指差された先を目が追う。

 指先は白い石造りの床と柱を越え、砂漠よりも幾分優しく、けれどはっきりと降り注ぐ陽光が照らす風景を示して。

 頬を風が撫でた。冷たくはないけれど、砂漠の熱風よりも優しく、少しだけ独特の香りがする。

 痛いくらい青い。空も、その下に広がる大きな水面も。

 寄せては返し、白い波紋と光の反射を連れ、さざめく波の音。

「なかなかの眺めだろう?」

 何と言うか、でたらめな話だ。

 呆れてものも言えない顔で女は吸い寄せられるように、外につながるテラスからの小さな階段(ステップ)を降りると直ぐに素足は白い砂を踏む。

「白い……。砂漠の砂とは違うのね」

「死んだ珊瑚が白くなって、それが細かく砕けたものだからな」

 情緒が無い。が。

「綺麗……」

 優しい音と風の感触。何処までも包み込むような青。それは情緒があろうが無かろうが、綺麗な事に変わりはない。

「貴殿のものだ」

「…………」

「私の妻になればな」

 振り返ると見える白い柱が支える屋敷。砂漠のものとは少し異なるけれど、この気候に合わせた風通しの良いものなのだろう。

 大理石の床には一目で良品とわかる絨毯(じゅうたん)や布、壁を彩るタペストリー。(とう)の椅子。

 細工の美しいランプは夜になれば幻想的な光景をつくるだろうというのがわかる。

「どうやって帰るの」

 女の問いに男はズボンのポケットから一本の鍵を取り出す。

 青い親指の爪くらいの石を、真鍮(しんちゅう)で作られた月桂樹の葉が取り巻き、枝のようにそこからブレードが伸びるデザインだ。

「屋敷の何処でも。まあ、この屋敷でなくとも構わないが、鍵穴に差し込んで扉を開ければ、彼の世界に通じる」

 ブレードを持ち、男は女へと鍵を差し出す。

「彼の世界からこちらに帰る時も同じだ。使う毎に鍵は魔石の魔力を消費して、石は濁り白くなる。おおよそ十回で魔力切れだ」

「魔力切れになったらそれっきり?」

「いや。また補充すれば使用可能だ。貴殿なら三日ほど肌身離さずいれば一回分にはなるだろう」

 女の指先が鍵に伸びる。

「もっとも、私に任せれば一瞬だがな」

 鍵を通り越し、女の手は男の襟を掴み、首を力任せに引き寄せる。

「ムカつくわ。本当に全部が」

 傲慢で上から目線。粘着質で性格死亡。

「この外道」

 男の氷色の瞳が一瞬だけ(みは)られる。しかしすぐに口許(くちもと)に浮かぶのはニヤニヤとした面白がるようなもの。

「だが、この上ないだろう?」

 血のように赤い、燃える(ほむら)を閉じ込めた女の瞳が射殺しそうな強さで男を睨み付ける。

 長いようで短い時間、二人の視線はどちらも退かずに絡み合う。

「他に貴殿の望みは? どんなものでも私に叶えうる限り応えよう」

「何でそこまで私に固執するの」

「貴殿にその価値があると私が思ったからだ」

 男の無駄に自信に満ちた言葉に、女は溜め息をついて引き寄せた手を払うように離す。

 そのまま男の横を通り屋内へと再び歩む。

「他の部屋も案内して。住むなら徹底的に快適でないと許さないから」

 それと、と。女と男は同時に互いを振り返る。

「相性を確かめる必要があるわ」

 女の言葉に、男は満足げな笑みを浮かべた。

 かくて契約は結ばれる。

 その結果がどうなるのかは、少し先の話。




 終

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