私の婚約者
つくづく自分は悪役令嬢なんだと、この運命を呪うしかなかった。
三日後に迫る王城での舞踏会の衣装合わせと、書庫に行った帰り、王子とヒロインの仲睦まじい姿を見てしまうなんて……
(ほんと、いやになっちゃう)
男爵家のあの子もあの子だ。ゲームと同じ流行遅れの衣装を着て、そわそわしながら私を待っている。
分かっているわ。あの子はここで起こるイベント待ちのようだけど、あれはゲームだけのイベントですわよ、ヒロインさん。
こんな何処からでも見渡せる、庭園のど真ん中で私は目立ちたくないの。
もう、お好きになさってと素通りしようとしたけど、自然とその場で足が止りなぜか彼らに目がいってしまった。
それはイベントのせい? それとも好きだった、彼の笑顔を見たせいかしら?
まあ、今となっては私といても、笑ってはくださらないものね。
でも、不思議なの。あの子と過ごす姿を見ても、ちっとも心が痛まない。
少し前までの私なら、文句の一つも言いに行っていたわ。
その文句すら出てこないし、その場に近付きたいとも思わない。
ーーあなたの心が離れて一年以上は経つのだし、百年の恋も冷めたみたい。
だから、少し前にお会いした時に「婚約を破棄してください」と彼に言えたのだ。
しかし、嬉しいはずの王子は渋い顔をして首を縦に振らない。訳を聞いても教えてくれない。
なんなの? 婚約破棄は学園が終わるまでは言えない、仕組みなのかしら?
(そんなはずない。嫌いな私と婚約破棄したいはず)
まったく、王子の気持ちは謎ね。……ふうっ、あの子を呼んだのなら、午後のダンスレッスンは中止ね。
さてと、王子の従者を探して帰りの馬車を呼んでもらいましょう。
書庫で今日借りた本は、また後日にでも返しにくればいいわねと、振り向くとすぐ近くの何かにぶつかった。
(あっ!)
驚いた拍子に持っていた本が手元から床に落ち、バランスを崩し後ろへと倒れるところを、その何かに抱きとめて貰う形で助けてもらった。
ふわりと甘い薔薇の香りが鼻をくすぐる。その同時に息を吐き、聞き覚えのある声が頭上から降ってきた。
「驚かせてすまない……カタリーナ嬢」
(この、凛とした声は……)
「ア、アーサー殿下、ご機嫌よう」
高い身長の彼を見上げれば、短かなシルバーの髪が光に反射してキラキラと眩しく、切れ長な澄んだ青い瞳が私を見つめていた。
隣国の王子ーーアーサー殿下がなぜここに? この時間は部屋に篭り仕事のはずでは? それにこんな近くに、それも私の真横に立っていらしたの?
あなたは城の中で会えば私が王子の婚約者だと言って、一定の距離を開けていたはずなのに?
(あ、彼の目線の先は庭園だわ)
あの子を見ていて、たまたま私の近くに来ていたのね。
貴方も攻略対象の一人だわ。でも、ゲームとは違い半年も遅れて学園に入学したのだもの、他の攻略者より頑張らなくてはね。
彼はもう一度謝り、足下に落ちてしまった本を拾い渡してくれた。
「ありがとうございます、アーサー殿下。あちらに混ざりたいのなら行ってください」
そう伝えて、目線の先を庭園にいる彼らに向けた。しかし、彼は予想を反し眉をひそめた。
「いいや、私は遠慮する……部屋にいたのだが、気分転換にと庭園に出て来たが、あれではな。婚約者を持つ身のくせに、キリム王子が信じられない」
彼のいつもより低いトーン。しまった……私の言葉でアーサー殿下の気分を害した感じがして、私は慌てて彼に深々と頭を下げた。
「失礼いたしました、アーサー殿下」
「いや……ふっ、そうだな。私はあなたの言葉に少々傷付いたのだが、その償いをしてもらうか」
「え、償い?」
いつもとは違う彼の態度に、どうしたのかと見上げれば、彼の口元は楽しそうに口角が上がっていた。
(……アーサー殿下?)
戸惑いを見せる私に、くくっと彼は含み笑いをしたあと「カタリーナ嬢行くか」と本を抱えた私の腕を掴んだ。
えぇ? 極力、私に触れようとはしない貴方がなぜ?
「あ、あの……」
「黙って、私について来なさい」
そう言って彼に連れてこられたのは、午後からキリム王子と使うはずの、ダンスホールだった。
「カタリーナ嬢、償いに私とダンスを願おうか」
アーサー殿下とのダンス? 驚く私の腕の中から本を取り上げた彼は、ホールの中に入って行ってしまう。
「お待ちくださいアーサー殿下。本を返して!」
彼の名呼び追い掛けると、その本を端の床に置き、彼はホールの真ん中まで進み足を止めて私を見た。
「カタリーナ嬢。ダンスの間だけでも私のことを、アーサーと呼んでくれないか……君には、そう呼ばれたい」
やはり今日のアーサー殿下は変だわ。いつもの強気な彼とも、どこか違う感じがした。
「カタリーナ嬢、呼んで」
そんなに優しく願われては……私も今だけならと彼の名を呼んだ。
「……ア、アーサー様」
いけないことだけど、口にすると胸が高鳴った。
彼を見れば極上の笑みを浮かべている。その笑みを蓄えたまま、私の前で胸に手を当て頭を下げた。
私もそれに応えるようにスカートを掴みお辞儀を返す。
その後は……惹かれ合うようにホールドを組み、音も無いダンスホールでのダンスが始る。
彼とのダンスはなんて優雅なの、私を優しくリードしてくれる。王子の人のことは気にしない強引なダンスとは違い、つねに女性を労るダンス。
「カタリーナ嬢は、ダンスが上手いな」
「いいえ、アーサー様こそ」
互いに褒め合い、見つめ合い踊る。
あなたのその瞳に見られるだけで、何か勘違いしてしまいそうだ。
(あなたが、私の婚約者ならよかったのに……と)
その直後、ゴクリと喉の鳴る音……
「くっ、なんて目だ。あなたのその瞳で見られると、私は我慢ができぬ」
「えっ?」
絞り出された声。ダンスの途中で彼に手を引かれて、その胸に強く抱きしめられた。彼の体に触れて彼の香りが一段と濃くなる。
「アーサー様……ダメです。こんなことをしては……」
口ではダメと言いながら、心は喜び、体も彼から離れたくないと寄り添う。
ああーー私は、いつの間にか貴方に惹かれていたんだ……
「いいんだ、リーナ嬢。その気持ちに正直になるんだ」
「……正直に? いいのですか?」
そう呟く私に、そうだと彼の抱きしめる腕に力が入る。彼の甘い香りに温かさに私は酔いしれる。
ーー彼の腕の中で、ひとときの幸せを感じていた。
「ふうっ……やはり、来たか」
彼は深くため息を吐くと、ホールの入り口に目をやった。その直後に金属の擦れる音、複数の足音がダンスホールに近付いて来ている。
その中には、庭園にいたキリム王子の声までも聞こえた。
「アーサー様?」
「大丈夫だ、リーナ嬢。俺だけを見ろ、お前をここから連れ去ってやる!」
(ここから、私を連れ去る?)
ダンスホールの入り口で、一つの足音以外音が止まる。
その一つの足音はカツカツと大袈裟な音を出して、私達がいるダンスホールに入って来ると大声を上げた。
「「アーサー王子、貴様はここで何をしている‼︎」」
入るや否や声を上げたキリム王子ーーその表情は怒りに満ちていた。反対にアーサー様は私を胸に抱きつつ、余裕のある表情を見せる。
「これはキリム王子ではないですか、私のリーナ嬢と踊っていただけですよ」
「そいつは俺の婚約者だ。ましてや愛称呼びだと……貴様、俺に喧嘩を売っているのか!」
私を婚約者だと言うキリム王子に「婚約者ねぇ」と、クスッと笑いアーサー様は告げる。それは私も含めて、キリム王子も驚く内容だった。
「キリム王子は何をおかしなことを言っているんだい。一年もリーナ嬢を放置していた君が婚約者だと、笑わせるな! 今日をもってリーナ嬢は私の婚約者となった」
(婚約者⁉︎)
「私がアーサー様の婚約者?」
「そうだよ、リーナ嬢。今日やっとカーター国王陛下に許しをもらったんだ。私の父上と君の父の許可はすでに貰い済みだ、書類も用意してある」
お父様の許可? 今日屋敷を出てくる時にお父様は何も仰ってなかったわ。
訳が分からずアーサー様を見上げて目が合うと、彼が目を細めた。
「やはり、驚いているね。君の父には私から直に伝えると言ってある……今日付でリーナは私の婚約者だ」
「本当に? 私はアーサー様の婚約者になったの?」
「ああ、そうだ」
彼は、微笑み深く頷く。思いもよらないことが起きた。
「馬鹿な! そんなことが許されるかぁ!」
「キリム王子、許されているんだよ。私が用意した契約の書類に陛下の判もおされた。もう、君はリーナの婚約者では無い。次の婚約者はキリム王子のお気に入りの、あの子にでもすればよいだろう」
「ダメだ。男爵のアンリー嬢では周りの反対で、婚約者にすることが出来ない……カタリーナ嬢は俺のことが好きだろう。なあ、そうであろう?」
王子は大丈夫よ。ゲームでのキリム王子とアンリーさんは、最後に結婚をしたはず。
それに私の気持ちはすでに決まっている。私はアーサー様から離れて、キリム王子に気持ちを伝えた。
「ええ、好きでした」
「それ見ろアーサー王子。カタリーナ嬢は俺を好きだと言っているではないか!」
私は違う、違うのと王子に首を振った。
「いいえ、キリム王子……私は好きでしたと申したのです。一年も放置されて貴方への気持ちは冷めてしまいましたの……最近は名ばかりの婚約者だったでしょう? 舞踏会のエスコートも無く、ダンスも一番に踊っては下さらない。学園で近付けば、俺のアンリーに何かするのかと罵られる。そんな貴方をいつまでも好きでいるわけがありませんわ!」
声を荒げて、思いの丈をキリム王子にぶつけた。すべての思いを出し切り息の上がる私を、アーサー様は優しく抱きしめた。
「キリム王子、これでわかっただろう!」
何も言えず立ち尽くす王子を横目に、アーサー様は私を連れて、ダンスホールを後にした。