第9話:魔手
肉々しい姿をした脈打つ木の根は全体ターゲット固定スキルの最上位:全員・罵倒を発動したトッシェ=ルシエに向かって、一斉に襲い掛かる。ルナ=マフィーエとアズキ=ユメルの身体に纏わりついていた触手たちも彼女たちから離れて、その全てがトッシェ=ルシエの身体に巻き付いていく。
自由の身となったルナ=マフィーエとアズキ=ユメルは急いで沙羅双樹の木から距離を取る。その姿を確認したトッシェ=ルシエはホッと安堵する。しかし、次の瞬間、トッシェ=ルシエは口から盛大に吐血する。
なんと、トッシェ=ルシエに巻き付いた触手は肉質を変えて、堅くて太い木の根へと変貌したのである。さらにはその根から鋭いトゲを生えさせて、彼の身を散々に突き刺したのである。その鋭いトゲは彼が着こんだオリハルコン製の全身鎧を易々と貫通し、彼の肉体を傷つけたのだ。
「トッシェ! 水の精霊たちよ、急いで集ってほしいニャー! トッシェが死んじゃうんだニャーーー!!」
触手から解放されたアズキ=ユメルは左手の上で鉄の聖書を開き、水の精霊たちを呼び寄せながら、魔法詠唱を開始する。そして、回復系魔法の最上位である『信仰への回帰』を発動させる。
彼女がその奥義魔法を発動させると、トッシェ=ルシエの身は球状の水に包まれることになる。球状の水は弾力を持ち、トッシェ=ルシエの身体の内側から突き刺さったトゲを押しのけ、トッシェ=ルシエもまた触手の害から逃れることとなる。しかしだ。それでもトッシェ=ルシエは大ダメージを負っており、すぐには復帰できないのでいたのだ。
そもそも、『信仰への回帰』という回復魔法は、総合的な回復量においてはどの回復魔法よりも優れているが、代わりに徐々にしか生命力を癒してくれないシロモノであった。総合的回復力は非常に優れてはいるが、瞬間的回復力はかなり劣っているといっても良いだろう。しかし、アズキ=ユメルはそれを使わねば、トッシェ=ルシエは結果的にもたないと判断し、その魔法を使ったのである。
その証左として、一度、トッシェ=ルシエから剥がされた木の根は、今度は鞭のようにしなり、彼の身を散々に打ち始めたのだ。棘の鞭と表現するには太すぎるそれでベッシンベッシン! と生木が金属に打ち付けられる音と共に、トッシェ=ルシエはぶっとい鞭で攻撃され続けたのであった。
「ヤマミチ! このままではトッシェが死ぬのじゃ! 何か方法は無いのかえ!?」
ルナ=マフィーエが悲痛な叫び声をあげる。この状況をどうにかできる方法が無いのかと、徒党のリーダーであるヤマドー=サルトルに指示を乞う。
「ルナさん! 火の魔法で沙羅双樹を焼いてください! あれが本体である可能性が高いですからっ!」
「わかったのじゃっ! 出でませ、火吹き竜よ! 烈火の如く、怒り狂うのじゃっ!!」
ルナ=マフィーエは一気に2本の沙羅双樹を焼き払ってしまおうとした。それゆえに彼女が持つ最大火力の『土くれの紅き竜』を召喚する。彼女の前方50センチメートルの空間に直径2メートルの紅色の魔法陣が描かれる。
そこから、細長い胴体の紅き竜が現出する。そして、その紅き竜は口から大量の焔を吐きながら、2本の沙羅双樹に巻き付く。
紅き竜に巻き付かれた沙羅双樹はヒイイイ! と悲鳴をあげる。まるでその悲鳴は女性の声のようであった。沙羅双樹の木は紅き竜の産み出す熱と焔により、瞬く間に灰となり、ついにはその絶叫をやめてしまうのであった。
それと同時に、トッシェ=ルシエの身体を鞭打っていた木の根も動きを止める。彼への攻撃を止めたその木の根は地面に引っ込んでいく。アズキ=ユメルたちがホッと胸を撫でおろす。アズキ=ユメルは眼尻に溜まっていた涙を右手で拭い、彼の下へと走って近づいていく。
「駄目ッス! 敵はまだ他にいるッス! 俺っちから離れるッス!!」
トッシェ=ルシエは自分の身体を支えようとしていたアズキ=ユメルを右腕で力強く押しのける。押しのけられた側のアズキ=ユメルは彼が何を言っているのかわからなかった。次の瞬間、彼女の眼には信じられない光景が映った。トッシェ=ルシエが横からすっ飛んできた大岩で、その身を吹っ飛ばされたからだ。
「トッシェ……?」
トッシェ=ルシエが居た場所には大岩があった。ゆっくりと首を右に動かしたアズキ=ユメルの眼には右腕と右足があらぬ方向に曲がっているトッシェ=ルシエの姿が映っていたのである。
「トッシェ……、嘘でしょ?」
アズキ=ユメルの頭の中は真っ白になっていた。トッシェ=ルシエが地面に倒れ、そこに血だまりが出来上がりつつあったのだ。アズキ=ユメルは頭の中が真っ白になりながらも、ひとすじの涙が右眼から流れ出し、彼女の右頬を濡らす。
「トッシェーーー!!」
「何をぼーっとしているのじゃっ! トッシェが救ってくれたというのに、おぬしまでも死ぬ気なのかえっ!!」
ルナ=マフィーエがアズキ=ユメルに飛びつき、抱え込み、さらにはその場から転がるように無理やり移動させる。彼女たちが居た場所には大岩がひとつ落下していき、地面を穿ち、土砂を宙へ舞い上げる。もしあのまま、アズキ=ユメルが泣き崩れていたならば、彼女もまた大岩の犠牲になっていただろう。それを救ったのがルナ=マフィーエであったのだ。
「しゃんとするのじゃっ! 先ほど、トッシェに信仰への回帰をかけたのじゃろう!? トッシェほどの生命力を持っているなら、まだ死んでないはずじゃっ!」
ルナ=マフィーエはアズキ=ユメルの両腕を取り、無理やりに彼女を地面から起き上がらせる。そして、怒声をあげ、さらには彼女の左頬を右手で平手打ちし、彼女にしっかりしろと言いのける。
しかし、そんな彼女たちに追い打ちをかけるように、またしても何もない空間から大岩がひとつ現れ、彼女たちに向かって落下してくる。ルナ=マフィーエはまさか自分の後頭部側から、そんな凶悪なモノが迫ってきていることには気付いていなかったのであった……。




