第5話:深淵
一文字・恒彦が毛むくじゃらのフードをガバッとめくりあげ、驚きの表情で山道・聡を見つめる。それもそうだろう。いくら窮状を訴えたからといって、このサーバールームの先にある『D.L.P.N』システムにアクセスするのは、危険を伴うのは容易に想像できる。
先代、先々代のGMたちがあの部屋に入り、『D.L.P.N』システムにアクセスした後、その部屋から出てきた時は、決まって、げっそりと頬がこけており、さらには眼の下にくっきりとクマが出来上がっていたのである。そのGMたちの姿を見て、怖気を感じていた一文字・恒彦にとって、山道・聡もその道を歩むのかと戦々恐々となってしまっても致し方なかった。
「自分にGMの御言葉を断る権限なぞ無いのはわかっているけど、それでも貴殿は地獄の釜を開くことに後悔はないの!?」
「ははは……。サーバールームを『氷獄』と呼んでいるのに、その先に進めば、地獄の蓋を開けることになるって言いはどうなんでしょうね? ここはまだ地獄の1丁目なんでしょうか?」
「くっ……。痛いところをついてくる……。地獄の先だから、深淵こそがふさわしい。貴方は深淵の扉を開くことになる!」
「そういう言い直しは要りませんっ! ってか、臨時メンテナンスの時間がそろそろ終わりそうなんです。残念ながら、ここできみと言葉遊びをしている時間がありません。さっさとブラックルームを開けるための鍵を渡してください」
一文字・恒彦は無念……! と言いながら、わざわざ椅子から立ち上がり、片膝をつき、さらには左手で自分の左眼を覆い隠す眼帯を剥ぎ取る。さらにはラテン語のような発音でぶつぶつと何かを囁き、左手の指さきを左眼に突き刺す。
一文字・恒彦はウギギッ! と呻きながら、強引に左眼を引っこ抜く。テラテラと怪しく光る左眼を左手に乗せたまま、その左手を山道・聡に突き出す。
「自分の義眼がブラックルームの扉を開けるための鍵となる……。これを使ってほしい」
「うえっ……。噂には聞いてましたけど、なかなかにグロいシステムを採用してますね……。義眼だとわかっていても、おえっとなっちゃいそうです」
山道・聡は右手の上にある義眼をさも気持ち悪いといった感じの表情で見やる。しかしながら、これを使わなければ、サーバールームの先にあるブラックルームには入れない。眼帯を付け直した一文字・恒彦に会釈をした後、山道・聡はサーバールームの最奥へと歩みを進める。
そこにたどり着くまで時間としては2分もかからないのだが、山道・聡にとってはその10倍以上の時間を感じる。そのブラックルームに近づけば近づくほど、冷気が強く感じられ、自然に足取りが重くなる。
「気を付けてほしい。深淵を覗く者は同時に深淵に覗かれる……」
「それってデカルトの言葉でしたっけ? まあ、誰の言葉でもこの際、どうだっていいです。では、いつ頃までに戻ってこれるか確約は出来ませんが、行ってきますね?」
山道・聡は一文字・恒彦にそう告げると、右手に乗せている一文字の義眼をブラックルームの扉に向ける。するとだ、義眼の瞳孔から白銀色の光が飛び出し、ブラックルームの壁に当たる。
光が当たるやいなや、真っ黒な壁から浮き出るように長方形をかたどる線が走り、それは扉となる。そして、その扉は左から右へとスライドする。山道・聡は思わず、ごくりと唾を飲み込んでしまう。一文字・恒彦では無いが、自分は深淵に招かれたような錯覚にとらわれたからである。
山道・聡は意を決し、ブラックルームの中に足を踏み入れる。身体の全てをブラックルームの中に入れると、扉は右から左へスライドし、山道・聡を部屋の中へ閉じ込めてしまうのであった。
「良い旅路を、山道。きみが行く先に祝福あれ……」
一文字・恒彦がブラックルームの中に入っていった山道・聡にそう言葉を贈る。だが、その声は山道には届くことはなかった……。
「ふむ。ブラックルームと呼ばれている割には、光源は準備されているんですね」
山道・聡がこの部屋に閉じ込められた1分後には天井の四角にあるスポットライトが起動し、その光はブラックルームの中央にあるマシーンを照らし出すのであった。
それは黒い卵型のマシーンであった。黒い卵には何本もの太いケーブルが繋がれており、まるで黒い卵の背面から底辺りにかけて太い血管が繋がっているような印象を山道・聡に与えた。黒い卵はやや斜めになっており、中に人が入れるような構造になっているであろうことは容易に想像できた。
「さてと……。仰々しいですが、この黒い卵を開けるにはどうすればいいんでしょうか? 一文字くんからもらった義眼はここに置けばいいのでしょうか?」
黒い卵の脇に台座が設置されていた。その台座の上には半球状の金属製のお椀があり、そこに義眼を置けば良いという感じを受ける山道・聡であった。何か釈然としないものを感じる山道・聡であったが、素直にそのお椀の中に義眼を置く。
するとだ。ウィィィンというモーター音が聞こえ出し、黒い卵の表面に隙間が生じ、さらにはパカッと貝のように大きく開くのであった。黒い卵の中にはまるでアニメに登場するようなヒト型ロボットの操縦席のようになっており、そこに座れば良いことがうかがい知れるのであった。
「やれやれ……。こんなところに金をつぎ込めるなら、もっとノブレスオブリージュ・オンラインの開発そのものへ予算を回してくれても良さそうなんですけどぉ!?」
山道・聡はつい毒づいてしまう。それは誰に対してのものであるかは明確だ。今や、エイコウ・テクニカル本社の会長兼相談役となったノブレスオブリージュ・オンラインの初代GMに対してである。彼がエイコウ・テクニカル社で作成している全てのゲームやコンテンツの予算決定権を持っていると噂されているからだ。