第3話:カロッシェ・臼井
山道・聡は緒方・桜子が言う噂話についてはもちろん知っている。しかしながら、代々のGMたちがあの『D.L.P.N』システムを用いて、難局を打破してきたことも知っている。
しかし、あの場所に入れるのはGMのみに許された特権であり、実際にはどんなシステムなのかは山道・聡は知らなかったのである。それでもだ。この連日連夜の臨時メンテナンスの嵐をどうにかしなければならないのが今の現状である。
山道・聡は向かいに座る緒方・桜子の両手を力強く握りしめ
「大丈夫。僕は必ず生きて帰ってくるから……」
「あうあう……。あ、あのぅ……」
山道・聡はまるで今から死地に向かう戦士のように恰好つけて、歯が浮くような台詞をその口から発する。緒方・桜子は真剣な顔つきの山道・聡に見つめられて、つい、赤面してしまうのであった。
「ふひっ。山道殿。それは立派なセクシャル・ハラスメントでござる。エイコウ・テクニカル社規定のセクハラ条項における第3条:女性社員の手を握るのはご法度に触れているでござる」
グラフィックデザイナーであるカロッシェ・臼井が右手の人差し指で赤縁の眼鏡をクイッと押し上げ、さらにはレンズをキランッと光らせて、淡々と山道・聡の行為を非難する。非難された側の山道・聡はパッと緒方・桜子の両手に絡めていた自分の両手を放し、さらには大袈裟に両腕を左右に広げる。
「ノット・ギルティ! ノット・ギルティ! 僕はここは決めておかなけばならないと思って、そうしたまでです! 無罪です!」
「山道さん、何しているッスか……。あと、桜子っち。山道さんには奥さんと可愛い息子と娘がひとりづついるんッスよ。山道さん相手に頬を紅く染めるだけ、人生の無駄遣いッス……」
「うう……。私だって、別にこれといった感情を山道さんに抱いているわけじゃないですぅ! いきなり、両手でがばっと優しくこちらの手を包まれたら、女の子なら誰でも赤面しちゃうんですぅ!」
あわてふためく緒方・桜子をよそに、山道がいきなり携帯電話を取り出し、そのディスプレイにでかでかと妻子たちの笑顔が映し出されている。その画面上の妻子たちに向かって上半身を折り曲げて、平伏しだす。そのあまりにも演技くさい仕草に川崎・利家は、はあやれやれとばかりにため息をつくのであった。
「ふひっ。では、山道殿が『D.L.P.N』システムを利用することで決定で良いのでござるか?」
山道の芝居を無視して、強引に話を進めるカロッシェ・臼井であった。彼はグラフィックデザイナーであるため、今回の臨時メンテナンスについては割とどうでも良いという態度であった。もちろん、仕事はそれ専門というわけでもなく、そつなく他の業務の手伝いも出来る。しかしながら、サーバー負荷軽減に関しては、門外漢であるために口を挟むことは極力抑えていたのであった。
「ウッス。俺っちもそれがどういったシロモノかは知らないッスけど、山道さんが人身御供になってくれるってことだけは理解しているッス。山道さん、今のうちに辞世の句でも読んでおいたほうが良いんじゃないッスか?」
「あうあう……。皆さん、冷たいんですよぉ。もっと、他に山道さんに言うべきことがあるんじゃないんですかぁ?」
緒方・桜子は広報担当で、運営・開発のどちからと言われれば、運営側に近い人間である。開発が本職の川崎・利家とカロッシェ・臼井とは、一線置いた位置にいる。そのため、彼女は視野が割と広いほうであり、山道・聡の価値がどれほどかを川崎・利家たちよりは知っていたと言えよう。
「山道さんが居なくなったら、開発側はともかくとして、運営側はどうすればいいのか困ってしまう事態になってしまうのですぅ! だから、川崎さんたちも、山道さんが五体満足で戻ってきてくれることを願ってほしいのですぅ!!」
緒方・桜子が桜色の唇をとんがらせて、非情さを感じざるをえない2人に抗議するのであった。彼女に抗議をされたカロッシェ・臼井は急に挙動不審になり、顔をぶるぶると震わせながら
「せ、拙者、別に山道さんが居なくなってくれれば済々するとかそんなことは思ってないでござるよ!? いくらGMとしては頼りない山道さんでも、『D.L.P.N』システムに繋がったことで、脳みそに大ダメージを負ってほしいなんて、これっぽちも望んでないでござるよ!?」
「え……? カロッシェさん、それってどういうことですぅ!?」
緒方・桜子が聞き捨てならぬことをカロッシェ・臼井が口走ったことで、椅子から尻を持ち上げて、前のめりにカロッシェ・臼井につっかかる。カロッシェ・臼井はいきなり襟を緒方・桜子に掴まれて、前後に頭をぶんぶんと揺らされることとなる。
さらには緒方・桜子は鬼気迫る顔つきで、カロッシェ・臼井を睨みつける。睨みつけられたカロッシェ・臼井は眼を泳がせて、なるべく彼女と眼を合わせぬように努める。
「落ち着くッスよ……、緒方っち。臼井っちの言っていることはただの噂話にすぎないんッスから。代々のGMが『D.L.P.N』システムを利用してきたのは確かッス。でも、そうだからと言って、あのひとたちが廃人化したことはなかったッスよね?」
カロッシェ・臼井に助け舟を出したのは川崎・利家であった。彼がやんわりと緒方・桜子をたしなめたために、彼女の臼井への圧力は目減りする。
「そ、そう言われればそう……ですけどぉ。でも、前任の上杉さんはあそこに向かって消息を絶ったんですよぉ?」
「それこそ、噂にすぎないッス。上杉さんは左遷されたことを俺たちに知られたくないだけで、こっそり雲隠れしたって思った方がよさそうなんッスよね。ねえ、山道さん?」
「ん? そこで僕に話を振りますか? さあ、どうなんでしょうね? 上杉さんはノブレスオブリージュ・オンラインのプレイヤーたちから非常に恨みを買っていましたし?」