第4話:血臭
アズキ=ユメルが鷲掴みで体長10センチ程度のネズミを捕まえて、満足気な表情で、さも美味しそうに頭からそのネズミを食べ始めたのだ。ネズミは頭をかみ砕かれ、首元から血をブシュゥ! と噴き出し、アズキ=ユメルの口の周りと両手をを真っ赤に染める。
そして、牢屋の中に血臭が漂いだし、山道・聡は胃の底から胃液がせり出してくる感覚に襲われてしまうのであった。
「ん? ニンゲン族には、刺激が強すぎたかニャン?」
アズキ=ユメルが口の中でバリボリとかみ砕いたネズミの頭を喉の奥にゴックンと飲み込んだ後、山道・聡にそう質問をする。彼女の行為に山道・聡は顔をしかめ、ドン引きするのであった。猫がネズミを食べるのは致し方ない習性なのはわかってはいるが、今、目の前にいる猫耳娘は、猫耳と猫のように細くしなやかな尻尾がついているだけである。
その他の身体のパーツは見たところ、人間とはほとんど違いがない。しいて言えば、身体は引き締まっていながらも、太ももが他の部分と比べて太めであるということだろうか? しかし、肥え太っているというわけではなく、まるで陸上選手のように筋肉で包まれた太ももであろうことは容易に想像できるのだ。
(見た目は人間に猫耳と尻尾がついているように思っていただけですけど、これは身体の構造はかなり違っているのかもしれないのですかね?)
口元を手で押さえ、吐き気を懸命に抑える山道・聡が、思考まではストップさせないようになるべく今の事態を把握しようと努めるのであった。アズキ=ユメルはネズミの頭だけでは腹が満たされないのか、こんどは丸々と肥えたネズミの胴体部分も食べ始める。
そして、山道・聡はここであることに気づく。それはこの世界には『血臭』があることだ。2036年の時代になった今でも、ここまでリアルな血臭はゲーム上ではなかなかに味わうことはできないのだ。研究機関やゲームの開発者側は色々と試行錯誤しているが、PCを通して人間の嗅覚を騙すことは非常に難しいとの結論に至っている。そもそも『血臭』を表現する技術が進んでいるわけがないのだ。
一言で言えば、血臭を嗅げば根本的に気持ち悪くなるのだ。薔薇のような花の匂いならともかくとして、『血臭』をわざわざ本物と見間違うレベルで表現することなど、まずありえない。そして、血臭はすさまじく『臭い』。血が腐れば、その匂いは薄壁一枚など障壁とならないレベルに匂いを発するのだ。
そんな悪臭と言っても過言ではないシロモノをわざわざゲームに取り込むはずがないのだ。それは開発側の人間である山道・聡には痛いほどわかっている。
それゆえに山道・聡は気づいたのだ。この世界はノブレスオブリージュ・オンラインでは間違いないだろうが、同時に別物であることを。それを確かめるために、山道・聡はとあることを2人の女性に聞く。
「こんなことを聞くのも変だと思われるかもしれませんけど、ルナ=マフィーエさんは半狐半人で、アズキ=ユメルさんは半猫半人で間違っていませんよね?」
「そんな当たり前のことを聞いてどうするのじゃ? わらわの耳と尻尾を見て、半狼半人とは思わんじゃろ?」
「ヤマドー、そんなことも記憶があやふやなのかニャン?」
ルナ=マフィーエはキツネのそのもののもっさもっさの太い尾をゆったりと動かし、食事中のアズキ=ユメルは細長い尻尾を嬉しそうにぱたつかせている。彼女らのデザインに山道・聡は既視感を持っている。
ノブレスオブリージュ・オンラインのグラフィックデザイナーであるカロッシェ・臼井が自身満々に、次の半人半獣娘はこれにしたいのでござる! どうか、承認の印鑑を押してほしいのでござるぅぅぅ! と鼻息荒く、山道・聡にすがりついてきたことは記憶に新しい。
(彼女たちの身体的フォルムはノブレスオブリージュ・オンラインの従者NPCの見た目変更アイテム使用後とそっくりなんですよね……。だかこそ、この世界はノブレスオブリージュ・オンラインを基礎としていることは間違いないでしょう……)
ノブレスオブリージュ・オンラインのシステムのひとつに『従者NPC』という、プレイヤーと戦闘を共に行ってくれるNPCが雇える。そして、行き過ぎた課金ガチャ『ペット』システムを少しでもプレイヤー側に寄りそうために改良しようと、先日実装されたばかりのシーズン5.3から導入を開始したのが、従者NPCとペットの融合による『半獣半人』システムなのだ。
開発側の山道・聡ならばこそ、彼女らがそれによって生み出された存在だということに気づいたのだ。しかし、一点、気になることと言えば……。
(半猫半人が巨乳設定で、半狐半人がおしとやかな乳設定だったはずなのですがねえ……)
山道・聡は、眼の前の2人のおっぱいをまじまじと見比べて、どうしてこう変わってしまったのだろう? と考えずにはいられなかった。カロッシェ・臼井がこっそり、データを入れ替えた可能性も否定できないのがつらいところである。
カロッシェ・臼井はプレイヤーたちが装備する防具や武器のデザインも行っているのだが、それは世界観に合わないということで、山道・聡が案を蹴っ飛ばすことが結構あったのだ。
しかしながら、いざ実装の暁には、カロッシェ・臼井の初期原案から進めたデザインがまかり通っていたりする。その件でカロッシェ・臼井を呼び出し、厳重注意をしようとすると、彼は決まって、ふひっ、残念でござるな? GM上杉さんの了承を得たでござるぅぅぅ! と、自分よりも偉い人物の認可を受けているという腹立たしいことをしているのだ。
それでもだ。やはり餅は餅屋ともいうべきだろうか? カロッシェ・臼井の初期原案から起こしたデザインは、プレイヤー側にはおおむね好評なので、彼を強く咎められない山道・聡であった……。