第3話:偽名
「僕の名前はヤマミチ……、じゃなくてヤマドー=サルトルとでも名乗っておきます」
山道・聡は何故、自分がゲームの世界に迷い込んでしまったのかが自分でもわからないために、とりあえず、ノブレスオブリージュ・オンラインで使用しているキャラ名の名前を用いることにする。しかしながら、下手に言い直してしまったために眼の前のキツネ耳の女性は眼を細め
「ほう、偽名としてはちと、隠れてない気もするのじゃが、まあ人それぞれ事情はあろうよ。で、ヤマミチとやら。結局のところ、どうして、こんな汚い牢に囚われることになったのじゃ?」
ルナ=マフィーエに偽名だときっぱり指摘されては立つ瀬もない山道・聡であった。しかもヤマドーと名乗ったのに、平然と彼女は『ヤマミチ』と言ってのけるものだから、たまったものじゃない。しかし、彼女からの質問に応える前に、牢屋の他の住人を起こしてしまうことになる。
「うるさいんだニャン……。ひとがせっかく惰眠を貪ろうとしているところをルナは察して欲しいんだニャン、ふわあああ……」
猫耳美少女が掛け布団代わりのゴザを右足で蹴っ飛ばし、寝不足の眼をごしごしと両手でこすりながら、上半身を起こす。猫背姿でお尻と細長い尻尾だけをベッドの上に乗せて、素足の裏を牢の床につける。
「おお、アズキが起きてきたのじゃ。ならば、せっかくなので、そこのモテ無さそうなしなびれた男に自己紹介でもしておくことじゃ」
「んーーー? そこまでしなびれているようには見えないニャンよ?」
「何を言うか。わらわのような殿方を魅了する大きな胸なのに、それを揉んでしゃぶらせてほしいと言わぬ男じゃぞ? そいつは。ならば、しなびれていると表現して間違いないはずじゃ」
山道・聡はなるほどと納得しかけ、そんなわけありますかっ! と心の中でルナ=マフィーエにツッコミを入れる。もし口からその言葉を発すれば、なんじゃ? 実はおったてていたのかえ? と言われるのがオチになるのは火を見るよりも明らかであったからだ。それでもだ。男性機能が衰えていると言われて、黙っておくのも釈然としないので
「僕は悟りを開いていますから、そんじょそこらのサイズでは反応しないように身体と心を鍛えあげているんです」
「ふーーーん? まあ、そういうことにしておくのじゃ」
ルナ=マフィーエが山道・聡の起ち具合なぞ、さも興味なさそうに、彼から視線を外す。そして、顎をくいっと動かし、猫耳美少女に、はよせんかと促すのであった。猫耳娘は面倒くさいニャンと言いつつも、山道・聡の方に顔を向け
「あちきはアズキ=ユメルだニャン。歳は16。はい、おしまいだニャン。次はそっちの番なんだニャン」」
猫耳娘があまりにも素っ気なく、しかも簡素に自己紹介を終えてしまうので、山道・聡は苦笑せざるをえないのであった。山道・聡は何もめぼしい情報を得られなかったが、自分も自己紹介を行い、会話の糸口を探ることにする。
「僕の名前はヤマドー=サルトルです。歳はええっと……」
山道・聡はここで言葉を詰まらせる。今、自分がどのような容姿になっているのかが正確にわからないためだ。空に浮いていた時は感覚的には現実世界の自分自身の姿であったような気がするし、普段と違い、今は身体の隅々に活力がみなぎっている。
言うなれば、20代前半くらいの精力に満ち溢れた気分であったのだ。それゆえ、自分が今、どうなっているのか、全身を映せるような大き目の鏡が欲しいと思ってしまうのであった。
「すいません、あなた方から見て、僕は何歳くらいに見えます?」
言っていることのおかしさを山道・聡は自覚しつつも、そう質問を投げかける他無い状況であった。自分の姿をまじまじと見てくれている2人に聞くのが一番手っ取り早かったのだ。しかし、質問の意図を理解しきれていな2人は怪訝な表情を浮かべ
「ちょっと、ルナ。こいつ、怪しくないかニャ? 自分が何歳かも応えられないニャ」
「ふむ……。何かしらの要因で、自分の歳を忘れてしまったのかもしれんのう? 本名とも偽名ともつかぬ名前を用いるゆえに、何かしらの事情があるのかもしれんし、ただの気狂いであることも否定できないのじゃ」
「いやあ、ここの牢に入れられる前に、頭をしこたま打ち付けて、さらには散々に蹴りを入れられてしまいましてですね……。記憶が途切れ途切れになっているのですよ」
山道・聡はあまりデタラメなことを言わないように注意しつつも、事実を交えて、今の自分の状況を説明する。だが、それでも彼女たちは訝し気な視線をこちらに送ってくることには変わりない。
「まあ、何歳かと聞かれたら、25歳前後っていったところだニャン。でも、容姿からの判断だから正確とは言えないニャン」
「起ち具合の角度から判別してもよさそうじゃが、いらぬ刺激を与えては、余計に記憶が無くなってしまうかもなので、その方法はやめておいたほうがよさそうじゃ」
山道・聡はルナ=マフィーエがいちいち、チン〇に結び付けてくるのはどうしてだろうと? と思わざるをえないのであった。ルナ=マフィーエをこの世界に造った人物が、彼女のステータスの片隅にでも『淫乱』と書いてしまったのか? とさえ思ってしまう。
ここで山道・聡はふと、疑問が湧いてくる。果たして、自分の目の前にいる女性たちは『生きている』のか? と。いや、『生き物』なのかという疑問である。自分は『D.L.P.N』システムに見せられている何かとおしゃべりをしているのでは? という現実的思考で物事を考えていたのである。
しかし、その疑問は一瞬で吹き飛ぶことになる。
「あ、おやつが走っているニャンッ!」
アズキ=ユメルと名乗った猫耳娘がベッドの上から飛び上がり、牢屋の隅っこへとすっ飛んでいく。そして、何かを口に咥えながら破顔したのだ。
「ゲゲーーー!! ねずみぃぃぃ!?」
「うーん、デリシャスニャン! やっぱりネズミは生きながらにして、頭から踊り喰いするのが一番美味しいんだニャン!」