第八話 傷
※ジェイド(子どもたちの長男)視点です。
お父さんとお母さんは本当にすごいって思った。
だって山みたいに大きなトカゲ(ドラゴンっていうらしい)をほとんど二人でやっつけてしまったんだから。
剣を両手に持って戦うお母さんはいつもと違ってすごく怖い顔をしていたけれど、それ以上にカッコよかった。
羽もないのに空を飛ぶみたいに駆け回り、目にも映らない速さで剣を振り回していた。
俺もあんなふうに剣を使えたら良いな、って思った。
お父さんが魔法が上手なのは知っていた。
だけど、空に蓋をするような大きさの魔法陣を作れたり、島が吹き飛ぶくらい凄い光を打てるなんて知らなかった。
俺の見た目はお父さんによく似ているらしいから、もしかしたらあんなふうに魔法を使えるようになるかもしれない。
そう考えると、もっと剣や魔法の練習をしようって気になる。
でも、ドラゴンを倒したお父さんは疲れ切ってしまい、お母さんに肩を担がれながら歩いていた。
クライブもボロボロのリンネを担がなきゃいけなかったから、お父さんとセレナに抱えられて空を飛ぶことも出来ず、広い広い草原をずーっと歩き続けた。
リンネが言うには一日くらい歩けば、マチという場所につくらしい。
そこに行くとリンネのケガを治すことも、お腹いっぱいご飯を食べることもできるらしい。
だから頑張って歩こう、ってお母さんに言われた。
俺はお母さんに言われなくても頑張って歩くつもりだった。
だって、ここはとっても広い。
僕たちの住んでいるシマでは地面の先はすぐに見渡せる。
その先には海がずーっと広がっている。
だけど、ここは地面の先は全然見えない。
太陽は地面から昇ってきて、地面に沈んでいく。
その不思議さが俺にはすごく面白いものに見えた。
地面に生える草や木もシマとは違うものばかりだし、遠くに見える山はシマにある山を何十個重ねても届かないくらい高い。
しばらく歩くとミチと呼ばれるところに出た。
ここは人間が歩く場所らしくて、たくさん踏み鳴らされている感じがした。
俺たちは何回も他の人間とすれ違った。
人間は馬に乗っているものや馬に引きずられている箱に乗っているものもいた。
着ている服も髪の色や目の色、なにもかも俺たちの知らないものばかりだった。
ネイトと俺は力の限り走り回って、知らないものを見つける競争をした。
日が沈み、空が暗くなり始めた頃。
俺は生まれて初めてマチという場所に来た。
お母さんの言っていたとおり、たくさんの家が立ち並びたくさんの人が歩いている。
夜だというのに家の中にも外にも灯りが灯されており、マチの人間は眠らないのかと思った。
ヤドという大きな家を借り切ったお父さんとお母さんはリンネをベッドに寝かし、イシャという人間を連れてきてリンネの怪我を治させている。
すごく疲れていた俺たちはお母さんに言われるままベッドでぐっすり眠った。
次の朝、リンネの様子はかなり回復していた。
だけど、お母さんと話した後、リンネはすごい勢いで泣いていた。
まだ、傷が痛いのだろうか。
リンネのケガはひどいものだった。
俺やネイトも遊んでいるとケガをすることはあったけど、あんなグチャグチャにされたことはない。
しかも豚に食べられそうになっていた。
あんなことをできる人間はきっと人間じゃないって俺はネイトやセレナと話していた。
お父さんもお母さんも俺たちきょうだいも絶対にあんなことをしないんだから。
ヤドで出てきたごはんには家では出てこない料理がたくさんあって俺もネイトもセレナも夢中になって食べた。
「おいしいか?」
お母さんがそう聞いてきたので、俺達はうん、と大きな声で答えた。
お父さんもお母さんも嬉しそうだった。
ご飯を食べ終えるとネイトが窓から外を眺めていた。
何が見えるんだろうと気になって俺も一緒になってそとを見た。
外にはたくさんの人間が歩いていた。
ネイトやおかあさんみたいに角や羽のない人間だ。
中には俺たちと同じくらいの大きさの人間もいる。
ずっとそれを眺めていると、あの人間たちと話したり遊んだりしたいという気分になってきた。
「ネイト。外に行こうぜ」
「ダメだよ。
お父さんもお母さんもこどもだけでヤドの外に出るなって言ってたでしょ」
「平気だって。
だって俺たちあんなでっかいドラゴンと戦ったんだぜ」
まあ、俺達はちょっとおてつだいしただけだけど。
「そういう問題じゃないんだと思うけど……ん?」
窓の外を見るネイトの顔つきが変わった。
驚いたように目を開いたかと思うと、眉がたれてだらしなく口持ちが緩ませている。
何を見たのかとネイトの視線の先を追うと、そこには女の子が立っていた。
黒い髪を丸く纏めて頭の上に乗せている。
俺達より少し大きいけれど服は小さくておへそが見えているし、目の周りは黒く塗っていて、唇も
血を塗ったみたいに赤い。
肌の色は土のような茶色。
俺たちもお父さんの魔法で今は同じような肌の色をしているけど、あの子も魔法をかけているのだろうか。
じっと見ていたら女の子は突然手足をばたつかせ始めた。
病気で苦しいのかなと思ったけど笑顔だし、その動きは花が揺れるように柔らかで綺麗だと思った。
ネイトもそう思っているみたいで、窓に鼻をつけるようにして見つめている。
「外に出て近くで見てみたいと思わないか?」
「うん!」
ネイトは笑顔でうなづいた。
外に出るとネイトは獲物を見つけたクライネのようにまっすぐに女の子の方に向かった。
俺たち以外にも女の子を見るためにたくさんの人があつまっていた。
近くに寄ってみると、その女の子のとなりには顎に髪を生やした男の人、女の子のお父さんなんだろうか?その人は木の箱を棒で叩いている。
打ち鳴らされる音はなんだか聴いていて気持ちいい。
だから女の子もこんなふうに手足をバタつかせているんだ。
周りの人間たちはちいさな丸い鉄の欠片みたいなのをエサをやるみたいに女の子の足元にばらまいている。
「ジェイド、僕たちも何かあの子にあげようよ」
「何かって言われてもなあ」
剣は置いてきたし、頭につけているターバンくらいしか僕たちの持ち物はない。
ターバンは絶対に外すなってお父さんにもお母さんにも言われているし……
「あっ! これをあげようよ!」
ネイトは懐からお父さんに作ってもらったペンダントを取り出した。
島で採れた青く光る石に紐を通したそれは俺たち家族がみんなで持っているものだ。
特にお母さんのものはひときわ輝いていてすごくキレイだ。
「いやいや、それは俺たちがもらったものだろ」
「だって、あんな錆びた鉄の欠片なんかより、コッチのほうがキレイだよ。
きっとあの子も喜んでくれるよ」
そう言ってネイトはペンダントを取り外す。
まあ、この石は島にいくらでも転がっているし、またお父さんに作ってもらえばいいか。
俺とネイトは同時にペンダントを女の子の足元に投げ入れた。
女の子がどんなふうに喜んでくれるのか楽しみなネイトは顔を抑えて、じっと女の子の顔を見つめていた。
だけど、女の子はピタリと笑顔をやめて驚いた顔で俺たちの投げ入れたペンダントをまじまじと見た。
そして、さっきまで楽しそうな声を上げていた周りにいる人間たちも押し黙って、ペンダントを見つめている。
なんだか、嫌な予感がする。
背中の奥から虫が湧いてくるような気持ち悪さ。
俺はこの場から離れようとした時、女の子と俺達の目が合った。
そして、
「おいおい! これはサファイヤじゃねえか!」
周りにいた人間たちの中でもひときわ大きな太った男が大きな声をあげて女の子のそばに立った。
「プルート人の踊りへのおひねりにしちゃ豪華すぎるだろ。なあ!?」
男は女の子の顔のすぐ側で大きな声を出した。
女の子は怖がってすくみあがっている。
すると木を打ち鳴らしていた女の子のお父さんが立ち上がって、
「ら、乱暴はやめてください!」
と言ったら、
「乱暴? 乱暴ってのはなあ、こうやるんだよ!」
太った男は木を打ち鳴らしていた女の子のお父さんの顔を殴りつけた。
血を吐いて倒れるとさらに太った男に顔を踏みつけられた。
痛そうだ。
「お前らみたいな臭いプルート人が道端にいるだけでも気分が悪いのによお。
こんな高級なおひねりをもらっているのを見たら、殴り殺したくなるよなあ!」
太った男はさらに足を踏んだ。
「やめて!」
女の子が男の腰にしがみついた。
すると、男はカエルのような汚い笑顔をして、
「へへ……ガキとはいえプルートの女だな。
なかなか色っぽいじゃねえか。
親父を殺されたくなかったら俺について来いよ」
そう言って女の子の顎を掴んだ。
女の子は目に涙をためて、震えている。
だけど周りの人間達は怖いものを見たように少しずつ後退りしていく。
女の子は怖がっていても逃げられないのに。
背筋の気持ち悪さがどんどん増していく。
身体が震えて仕方がない。
だけど、そんな気持ち悪さを感じていられないことになった。
ネイトが飛び出して男の腕を掴み上げたのだ。
「やめろっ!! 嫌がっているだろう!!」
ネイトは男に向かって怒鳴った。
男の顔が見る見るうちに赤くなって歪んでいく。
「この……てめえもプルート人かっ!!」
男はもう片方の手でネイトを殴ろうとしてが……遅い。
あんなの簡単によけられる。
だけど、ネイトはよけなかった。
鼻に男の拳があたり、鼻から血を流している。
その時、ネイトの頭の後ろに女の子の顔があることに気づいた。
そうか、よけたら女の子に当たるからネイトは……!
俺は怒った。
よけられないネイトを殴った上、笑っているあの男に。
俺は男に飛びかかった。
まるでリンネに群がっていた豚のような顔をしている。
だけど、コイツは人間だ。
人間は殺しちゃいけないってお母さんにキツく言われた。
だから、
「でやっ!!」
死なないよう加減をして太った男の大きなお腹を殴った。
これだけ分厚いんだから大丈夫だろうって……思ったから。
だけど、そうじゃなかった。
俺の拳は男の腹を簡単に突き破って、中の骨を砕き、血を吹き出させた。
「キャアアアアアア!!」
男から飛び出た血がかかった女の子が悲鳴をあげる。
その悲鳴は広がるように周りの人間達も次々に叫びだした。
「アガ……ががっ……」
男は血と泡を吹き出しながら俺の顔を睨んでいる。
その顔が恐ろしくて、気持ち悪くて、俺は動けなくなった。
男は崩れ落ちるように地面に倒れ込んでいくが、男の手は俺のターバンを掴んでいた。
ターバンが解け、俺の銀色の髪と山羊のような角があらわになる。
すると睨んでいた男の顔は怖いものを見たように引きつって、そのまま固まって動かなくなった。
さっきからずっと続いていた気持ち悪さが、頭を割るような痛みに変わり、俺はうずくまった。
「う……あああああああっ!!」
痛みに耐えられず、俺が叫ぶと、まるで爆発したように、
「いやあああああああ!!
魔族よ! 魔族の子どもよ!!」
「魔族が人間に化けてやがった!!」
「誰かたすけてえええええええ!!」
「殺せ!! まだガキだ!! 殺せ!!」
「そうだ殺すんだ! 殺してしまえ!」
周りの人間達の様子が変わる。
怖がり、怯え、怒り、そして俺を殺したがっている……
どうして?
俺が人間を殺したから?
お父さんとお母さんのいいつけを守らなかったから?
「殺せ! 今すぐ殺せ!」
「死んでくれええっ!!」
「薄汚い魔族め!! 死んで詫びろ!!」
「お前たちは生きていちゃいけないんだ!!」
怖い……
この人間たちは弱いはずなのに怖い。
頭が割れそうなほど痛い。
男を殺した感触が気持ち悪い。
「ジェイド!」
ネイトが俺の頭を抱きかかえた。
ネイトの心臓もバクバクと大きく動いている。
「その子どもも魔族かっ!」
周りの人間の一人がネイトのターバンをむしり取る。
ネイトの頭には俺みたいな角はない。
お母さんと同じ太陽みたいな色の髪があるだけだ。
それなのに……
「魔族をかばうならばそいつも手先だ!」
「死ねっ!」
「悪魔の子め!」
周りの人間達が俺たちめがけて石を投げ始めた。
ネイトや俺の身体にたくさんの石がぶつけられる。
痛くないけど怖くて俺たちは動けなくなった。
……助けて……助けて……
「お父さん!! 助けてええっ!!」
俺とネイトは同時にそう叫んだ。
すると、俺達の身体は抱えられて浮き上がり、息ができないほどの速さで運ばれていく。
きっと、誰も見えなかっただろう。
俺もわけのわからないまま運ばれていき、気づいたのはマチから離れたところにある森の中に入ってからだった。
「お父さん……」
俺たちを抱きかかえてここに運んできたのはお父さんだった。
助けに来てくれたお父さんにありがとうって言いたくて、その顔を見上げた。
俺はなにも言えなくなってしまった……
だって、お父さんは今まで出会ったどんなものよりも恐ろしい顔をしていたのだから。