第七話 最強のおしどり夫婦
※クライブ視点です。
リンネ殿の様態は惨憺たるものだった。
口を割らせるためだとは言え、よくも女人にここまでの仕打ちを与えられるものだ。
そして、その責め苦を受けても心を折らなかった彼女の強さに感服した。
只人の友……シオン様の前で初めて口走ったが、彼女も自分をそう思ってくれているなら光栄なことだと思った。
だが、状況はゆっくり友の介抱をさせてくれるような状況ではない。
突如出現した古龍の戦闘力はケタ外れだ。
あんなもの、万の大軍をぶつけても歯がたたないだろう。
シオン様の魔法は封殺され、ジークリンデの刃も通らない。
策を弄して多少のダメージは与えたようだが二人のダメージも相当なものだ。
目を話した隙にお子たちが向かっていなければ、致命傷もあり得たかも知れない。
リンネの言うとおり、法王の死があの古龍を招き寄せたのだとしたら……
自分は世界滅亡の引き金を引いてしまったのかも知れない。
シオン様と家族を生贄にして……
「クライブ殿……何を浮かない顔をしているんですか」
「笑えるわけがなかろう。
今、この時が世界滅亡の序曲かも知れぬのに」
沈痛な思いでもらした弱音をリンネ殿は一蹴する。
「悲観的ですねぇ。
心配しなくても世界はそう簡単に滅んだりしませんよ。
魔王バアルですら人間を滅ぼすことすらできなかったんですから」
横たわりか細い声で語りかけるその体はボロ布のようになっているのに、潰れていない方の目には確かな輝きがあった。
「そして、そのバアルをも討ったジークリンデ様がここにいる。
世界はまだまだ終わりませんよ」
遠目に見えるジークリンデは家族に背を向けて、二本の剣を両手に握り古龍と相対している。
青と橙の光を放つ魔剣らしき双剣は夜の闇を裂くように強く煌めき、ジークリンデの黄金色の髪を照らしている。
堂々とした立ち姿ではあるが、聖剣も聖鎧も保たない『聖剣の勇者』があの桁外れの力を持つ古龍とどこまで戦えるというのか。
リンネ殿の信望は盲目的なものでは――
「なっ!?」
瞬時に姿を消したジークリンデが古龍の眼前に取り付き、双剣でその目をえぐりぬいた。
続けて、まるで髭を剃るようにその剣で古龍の頭部をまんべんなく撫でていく。
ダメージを受けている様子はないが、ジークリンデの剣が撫でられるたびに白銀の鱗粉が宙を舞っている。
100メートル近く離れたこの場所からでもジークリンデの剣捌きは速すぎて目で捉えきれない。
踊るように華麗に駆け巡った後に剣の閃きの残像だけが流星の尾のように目に刻まれる。
以前、ジークリンデと戦ったことはある。
その頃から化け物じみた女だと思っていたのだが、あれからも奴は成長を重ねていた。
知っていたはずだが、
「信じられん……あれが10年近く剣を振るってなかった女の動きか……」
「剣は使ってたみたいですよ。
薪を割ったり、狩りの道具にしたり」
緩んだ笑顔をリンネ殿が見せる。
その表情には安堵の色が見える。
ジークリンデのやっていることは古龍の薄皮を剥いでいるだけだ。
そのはずだが、古龍の戸惑い具合と迷いのないジークリンデの剣戟から戦いの流れが変わったように感じる。
「……まさか、あの古龍の魔法反射は装甲板ではなく、その更に上にある薄皮によるものだということか」
それならば説明がつく。
ジークリンデの渾身の剣やシオン様の強力な魔法ですら傷つけられなかったその身をネイト、とかいう子供のまだまだ拙い魔法で傷つけられたことも。
魔力を表面の薄皮に宿した魔法反射で弾き、物理攻撃は見た目通り頑強な装甲板で弾く。
二段仕込みの絶対防御。
単純ではあるが世界最強とも思える二人の攻撃を見事封殺したのだ。
だが、種が割れたとはいえ、あの巨体の薄皮を剥ぎ切ることなどできるのか?
ジークリンデがいかに強いと言えど只人。
脆弱な肉体を魔力で強化しているのだろうが、自分の見立てでは魔力の内包量は上位魔族には遠く及ばない。
燃料切れを起こすまでそう時間はかからないはずだ。
だが、自分の予想をあざ笑うようにジークリンデの動きは鈍りを見せない。
むしろ凍えてかじかんでいた体が温まり伸びやかに動くようになったようにすら思える。
頭部の薄皮をすべて削ぎ落としたようで、次は背中に飛び乗って草を薙ぐように剣を振り回す。
背中に取り付いたジークリンデを振り落とそうと、目が潰されたままの古龍が宙に浮き上がった。
「クライブ殿……私どももシオン様たちがいるところに……
一所に固まったほうがジークリンデ様も気兼ねなく動けるでしょうし」
リンネ殿の提案に従い、彼女を担いでシオン様の元に走った。
「クライブゥ……子供のお守りも出来ないほど耄碌したか?」
シオン様のお怒りはごもっともだ。
自分が古龍の力に体が竦んでいたところをお子たちは親を守るために弾かれたように駆け出した。
情けなさ過ぎて腸が捻れそうだ。
「申し訳ありません」
「まあ、いい……
俺はここを動けない。
死守しろ」
シオン様の膨大な魔力が編み込まれた魔法陣がその足元に発生している。
おそらくは魔法起動用の魔法陣。
どこか別の場所にある魔法を構築している魔方陣の発射装置というべきものだ。
ジークリンデがあの古龍の魔法防御を払いきった後に、シオン様が全開の魔法攻撃をくらわせる算段か。
ジークリンデは剣を逆手に持ち替え、古龍の頭を蹴り独楽のように体を回転させながら古龍の薄皮を削り落としていく。
鱗粉が爆発するように舞い散り、雪のように空を舞った。
「お母さんすごい!!」
「ああ……強え……」
ネイトとジェイドが羨望と憧憬の目で彼らの母を見る。
その目には覚えがある。
自分がバアル王を見つめていたあの目だ。
圧倒的な強さを持ち、滅びゆく魔族を束ね上げたあの尊き御方に自分は心酔し、忠誠を誓った。
だが、その心酔がかすかに覚めるほどの強さ。
ジークリンデは憎き敵のはずだ。
しかし自分は今、あの強さに心を惹かれひれ伏そうとしている。
そしてどこか、満足な気分さえ覚えている。
崇高たる魔王バアルを討ったのは愚かな只人ではなく、凄まじき強さを持った剣士であったことに。
「よし! できた!
セレナ! お母さんを助けに――」
「もう向かっていますよ」
リンネ殿が指さした先にはセレナという少女が空を飛んで母のもとに向かっている。
バアル王が犯したあの天使やシオン様の背中にあるものと同じ天使の翼。
古龍の降らせた雪の中を貫いて高く、高く舞い上がっていく。
「ったく……
ジェイド、ネイト!
盾の魔法を全力で張れ!」
「うん!」
「おう!」
二人の少年は両手を前に突き出して魔力障壁を張った。
「ジークさあああああん!!
準備はできた!!
そこから離れろおおおおお!!」
シオン様の声に呼応し、ジークリンデは両手の剣を十字に交わし、勢いよく古龍の頭を叩きつけた。
その衝撃を受けて、古龍の体は地に堕ちていく。
ジークリンデは宙に舞っているところをセレナに拾われ、こちらに戻ってくる。
「【開け……劫火を塞ぎし奈落の門。
壊劫の彼方より降り注げ開闢の星】」
シオン様の詠唱とともに、上空に魔法陣が浮かび上がる。
空を覆わんばかりのとてつもなく巨大で複雑怪奇な式の描かれた銀色の魔法陣だ。
「【アビス・メテオーラ】!!」
魔法陣から発射された、夜の闇を塗りつぶすほどの極白の光条が古龍の全身を飲み込んだ。
光は大地を貫き、巨大な柱となる。
「VGYEEEEEEEEEAAAAAAA!!」
大気を揺るがすほどの巨大な声で古龍は悲鳴を上げる。
ジークリンデの攻撃によってほぼ丸裸となっていたその体は光に灼かれ、潰され、さらに光は体内に潜り込んでいき中からも暴れだす。
わずかに残った古龍の装甲が魔法を弾き細かな跳弾がこちらにも向かってくるが、二人のお子たちは懸命にそれらを受け止める。
その光景は何分も続いたように思えたが、一瞬だったのかも知れない。
暴威を振るった古龍の身体は粉々に崩壊し、光の柱が消えた後にはチリ一つ残らなかった。
夜の闇が戻り、光の柱のあった場所には果てしなく深い巨大な穴が残った。
「やった……」
シオン様は腰が抜けたように地面に尻もちをつく。
二人のお子たちが心配そうにシオン様に駆け寄るが、シオン様は薄っすらと笑みを浮かべる。
「シオン様……お見事でございました」
その場に手を付き、額を地面に擦り付けた。
「やめろやめろ。
土下座なんて子供の教育に悪い」
神の如き所業をやってのけた御方の顔は既に穏やかな父親の顔に戻っていた。
その傍らに天使の羽をはためかせる娘に抱えられた妻が降り立った。
「本当に桁外れの魔法だったな……」
「そういうジークさんこそ。
つくづく親父と仲良くしてなくて良かった。
君と戦っていたのなら俺はこの世にいない」
「よく言うよ」
ジークリンデはシオン様の身体を引き起こし、肩に担いだ。
「少し移動しよう。
落ち着ける場所で小休止して……
街にでも行くか」
「マチ?」
「なにそれ?」
「家がたくさんあって、人間がたくさん住んでいるところだ。
ジェイド、ネイト、セレナ。
お母さんの言うことを聞いて、おとなしくしていれば凄く楽しい思いをさせてやる」
ジークリンデの言葉を聞いて子どもたちはそわそわしながら笑みを浮かべている。
「ジークリンデ様……よろしいのですか……」
「治癒魔法だけではその傷は癒やしきれんだろう。
助けに来たんだ。
最後までキッチリ面倒見させろ」
リンネ殿に語りかけ、ニッと笑うジークリンデ。
「それに、また世界を救ってやったんだ。
少しくらいは救った連中にもてなしてもらわなきゃ割に合わん」
そう、この夫婦は世界を救ったのだ。
人里から離れたこの場所で起こった戦いを見ていたのは自分たちだけ。
聖堂の中にいた教会の者たちも地割れに飲み込まれたか、戦いの余波で死に絶えただろう。
誰も知ることのない世界の命運をかけた戦いは人知れず幕を下ろす。
名誉も見返りも与えられない戦いであったがそれでもこのふたり……家族にはその方がきっと良いことなのだ。
そう納得し、リンネ殿を担いで彼らの後を追った。
これにて一章完結です。
次回は生まれて初めて人間の住む街に訪れる子どもたち。
彼らがそこで出会うものとは……
余談ですが、私はこの物語を大河ドラマにしたいと考えており、この一章は主要人物と世界観の紹介を兼ねた初回30分拡大スペシャルみたいな位置づけです。
これから始まる長い長い物語はまだ始まったばかり。
ジークリンデ一家以外にもこの世界に生きる人々を描いていくことになります。
予定では世代交代なんかも考えています。
完結までの道のりは険しいものですが、読者がいるということが私のモチベーションを高めてくれますので感想等いただければ幸いです。