第五話 聖地の底よりいでし者
※クライブ視点です。
百を超える騎士が漆黒の炎に焼かれ、悶え苦しんでいる。
パチン、と指が鳴る音ともに体にまとわりついていた炎は立ち消える。
全身を灼かれた騎士たちはその場に崩れ落ち、顔には絶望が深く刻まれていた。
神の加護を受けた自分たちに敗北はないと勇み切りかかった相手は彼らの想像の範疇にすらない化物であることを知ったのだ。
その御方の前では刃は棒きれ、鎧は布切れほどの役も立たず、鍛え上げられた肉体は老木のように脆いことを知るのだ。
「これであらかた終わったな」
炎上するアンヴィル聖堂の中枢、祈りの間にてシオン様はこちらに視線を向けた。
ここが戦場であるとは思えないほど、何の感慨もなさそうな表情で。
幼い頃から、ずば抜けた才能の片鱗はあった。
いずれバアル王の懐刀として魔界の将となり得るだけの才が。
だが、今、自分の目の前で見せたその力は想像を絶するものだった。
百の騎士を皆殺しにできる魔族は数少なくともいるだろう。
だが、シオン様は一人とて殺していない。
彼らの命を手のひらの上で転がすことなど容易いことだと言わんばかりに。
バアル王の忘れ形見……それどころではない。
これほど強く恐ろしい魔族など他に知らない。
「どうしたクライブ?」
「いえ……その御力に感服し呆けていただけでございます」
「あっそ。今回だけだからな。
俺は基本戦うのが嫌いなんだ」
そう言って、シオン様は歩みを進められる。
視線の先にいるのは玉座を思わせる飾り立てられた椅子に座る教会の最高権力者、法王エルマーレである。
「お前の身を護ってくれる兵隊はもういない。
覚悟するんだな」
「神に愛された只人を妬み、闇の世界で暮らす魔なる者よ。
この聖なる神の家を汚れし炎で焼いた罪、決してすすぐことはできんぞ」
エルマーレは少しも狼狽えずシオン様を睨みつける。
大した胆力……というより狂信ゆえか。
自分の死さえも取るに足らないことと軽んじているような目だ。
「悪いが、俺は神とやらが大嫌いなんだよ。
自分の気に食わない奴らを自分の物差しで罪人と断じ、罰を与える。
それを悪びれるどころか、さも正しいことであるように手下どもに言いふらさせる。
お前らのくだらない身内遊びに俺の大切な家族やその人達が大切にしているものを付き合わせるつもりはない」
「魔なる者よ、神は絶対である。
この世に生きる者はその手の中から抜けられぬと知れ」
そう言って法王は懐から短剣を取り出し、自らの喉を切り裂いた。
法王は床に倒れ込み、どくどくと血を流しもがき……息絶えた。
シオン様はつまらないものを見たと言わんばかりに大きなため息をついた。
「じゃあ、帰るか」
踵を返し、聖堂を後にするシオン様。
自分も付き従うように外に出た、その直後だった。
ゴゴゴ、という地の底から這い上がるような音ともに、足元が揺れ始めた。
「な、なんだ!?」
「シオン様……これは――」
次の瞬間、大地が割れ聖堂が地下に飲み込まれていく。
「なっ!? ジークさん!」
聖堂の地下に侵入したジークリンデとお子達の身を案じ、シオン様は駆け出す。
だが、そのシオン様の足がピタリと止まり、後ろに退いた。
同時に先程まで立っていた場所に地中から紫色の光条が立ち上った。
間一髪逃れたシオン様は歯を食いしばり、苛立っていた。
「おいおいおいおい!
聞いてないぞ! こんなの!!」
光条が放たれた地下から巨大な影が姿を現した。
それは巨大なドラゴンだった。
鱗が変異したものだろうと思われる鎧のような硬質な板で隙間なく全身は覆われ、巨大な禍々しい翼を広げている。
長い首に長い尾、大きく突き出した顎に生えた巨大な牙は連山のように鋭く並びそびえている。
全長は50メートルはあるだろうか。
魔界にもドラゴンは生息しているがこれほど巨大なものは見たことがない。
「シオン様!! こやつはおそらく古龍の類です!!」
「古龍!? なんでそんなものが人間の大陸……しかも聖堂の地下に巣食っているんだよ!」
古龍とは人類や魔族が出現する前に存在したとされる、現存するドラゴンの祖先である。
その大きさ、その力は現代のドラゴンの比ではなく、世界中の渓谷や大河は古龍の暴れまわったためにできたとされている。
伝説上の生き物だと思っていたが……だが、これが古龍でなくてなんだというのか。
「チッ! やっぱり助けに来るんじゃなかった!」
シオン様は吐き捨てながら翼を羽ばたかせ、上空に舞い上がる。
「その翼はハリボテか!
こっちに来い!!」
手をかざし前方に魔法陣を複数発生させ、一斉に光線を発射した。
放たれた光条は龍の背を穿ち、風穴を開ける……そう思っていたが龍の背に当たると鏡に光が反射されるようにシオン様にめがけて跳ね返された。
「嘘!!」
驚愕しながらも第二波を発射し、反射された光線を相殺する。
衝突する魔力が巨大な爆煙を上げた。
古龍はその煙を切り裂くように飛び上がり、シオン様に襲いかかった。
「クッ! そうだついてこい!!」
シオン様は翼を激しく羽ばたかせて古龍をこの場から引き離そうとしている。
それは妻やお子達を守るためだろう。
だが、魔法攻撃が通用しないあの巨大な怪物をどうやって倒すというのか。
腰には剣を提げているが、シオン様の剣の才は魔法に比べれば今ひとつだった。
まして、あのような巨大な怪物を剣一本で撃ち落とすなどできる者がこの世にいるだろうか?
「クライブ!!」
空を見上げていた自分を呼ぶ声が聞こえた。
声の方を向くと、ジークリンデがリンネ殿を背負ってこちらに向かって駆けてきていた。
「ジークリンデ! お子たちは!」
「あんな位でやられるタマじゃない!」
彼女の言うとおり、聖堂が沈んだ地割れからジェイド様とネイト様を引き上げるようにセレナ様が翼をはためかせて現れた。
ジークリンデが地面にリンネ殿を下ろす。
その変わり果てた姿に絶句した。
顔は腫れ上がり、左目の眼球は潰れている。
手足も……爪も殆ど剥がされている。
同族にここまでの拷問を課すとは……
「心を痛めている場合じゃないぞ!
なんだアレは!?
魔界でもあんなもの見なかったぞ!」
冷や汗をかきながらがなり散らすジークリンデにリンネ殿が答える。
「あれは……封印の獣でしょう……
教典の一節にあります。
『神の務めを代行せし者の命尽きる時、使命を綴りし手紙の封蝋は溶け、獣の夜が訪れる』
天使様がおられるのだから……獣の夜も」
「朦朧とした頭で喋るな。
傷に障るぞ」
苛立ち混じりにジークリンデが言葉を遮った。
神の務めを代行せし者……
さっと聞けば神の信徒というところだろう。
教会の神聖さを示す一文のようにも聞こえるが、それが個人を指すのであれば、そしてそれがあの法王エルマーレであるならば……
なるほど、自決したのはそのためか!
「ジークリンデ!
アレは古龍だ。あの鱗は魔法を反射する。
シオン様とは相性が悪い!」
「それは……愉快じゃない話だな」
ジークリンデは剣を鞘から抜き放ち、上空の古龍とシオン様を睨んだ。
「クライブ。リンネと子どもたちを頼む。
特に子どもたちが私を追おうとしても、絶対に近づけるな」
「アレを仕留めるつもりか?
貴様の手にしているのは聖剣ではないんだぞ!」
聖剣の勇者ジークリンデ。
我々魔族にとって不倶戴天の敵であり、恐怖の代名詞である。
数多くの上位魔族や魔獣が彼女に討ち取られた。
だが、それは聖剣グランカリバーと強力な英雄たちの援護があってのことである。
その事を一番理解しているのは本人のはずだ。
なのに……
「この剣が聖剣に劣るなど、誰が決めた」
と口元に笑みを作る。
紫色の刀身を閃かせ、空を切った。
「この剣はな、シオンから最初にもらったものだ。
この剣で風呂を作り、宝石を掘り出し、家の材料となる石を切り出した」
「……何を言っている?」
「魔狼将軍ともあろう知恵者でも解さないか……
要するにだ」
わけのわからないことを言いながらジークリンデは足に力を溜め、
「この剣は私たちの道を切り拓いてくれた剣だ!
今の私にとってはグランカリバーよりもこの『バター剣』の方がありがたい剣なんだよ!」
地面を蹴り、猛スピードで古龍の向かう方角に駆け出した。