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第四話 神は私たちを見守っている

リンネ視点です。


※拷問注意

 鎖で繋がれた両手の感覚はとうに無い。

 時間の感覚も……いったいあれから何日が過ぎたのだろう。


 ジークリンデ様たちが住む島を出て、マリアーヌに向かっていたある夜、私とクライブ殿の乗った船は教会騎士団の軍艦に襲撃された。

 慌てて剣を取り戦おうとしたが、多勢に無勢で私たちの抵抗はほとんど意味をなさなかった。

 クライブ殿はなんとか逃げおおせたが私は捕縛され、目隠しをされたまま陸地に運ばれ、牢獄に繋がれた。


 牢獄で待っていたのは拷問官による凄絶な責め苦だった。

 最初は棒で叩かれる程度のものであったが、次第にそれはエスカレートし、肌を切り刻まれ、爪の間に針を刺され、耳の穴に虫を入れられた。

 舌を噛み切ろうとしたが、頬を打たれ仕損じた。

 眠りに落ちようものなら水を顔にかけられ、さらに打ちのめされた。


 何度も……何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度――


「あの魔族とどこに行っていたのです?」


 朦朧とした意識を引き戻すように拷問官は繰り返し尋ねてくる。

 すべてを打ち明ければこの責め苦から開放してやる、とチラつかせながら。


 だが、私は答えない。

 たとえ殺されようと、この拷問に終わりがなかろうと教えるわけにはいかない。


 だって、ジークリンデ様は平和に暮らしていられるんだから。

 己を殺して世界を救うために戦い抜いた勇者にようやく安息が訪れたんだ。


 私は彼女が大好きだった。

 聖剣を振るい、どんな困難にも果敢に挑む彼女が。

 神器に選ばれし尊き身でありながら、人々を災厄から守る壁にならんと前に出て戦う彼女が。

 強さだけでなく、その在り方が人々の希望であった。


 なのに人々は……許されざる過ちを犯した。

 穏やかな暮らしを求めただけの彼女を追い詰め殺そうとした。

 そして誰も彼女を救わなかった。

 ともに戦った私たちも……


 だけど、ジークリンデ様は今、求められた穏やかな暮らしを送っている。

 愛を知り、子を作り、母親となられた。

 奪われた幸せを取り戻すように生きている。

 そんなお方の今の暮らしを損なうことなどできるはずがない!!


 絶対に言わない。

 そのために、私は永久に口を閉じよう……

 拷問官を挑発し力の加減を間違えさせようか。

 それとも鎖に繋がれた手首を引きちぎれば死ねるだろうか。


「決意に満ちた目をしていますが、話すつもりはないのですね」


 拷問官の男は私の前にひざまずき、足の親指の爪を剥いだ。


「うぐぅぅっ!」

「あなたの心はちょっとやそっとの苦痛で壊すのは難しいようですね」


 やり口と異なり丁寧な言葉づかい。

 綺麗に剃髪された頭に、教会の紋章が背中に描かれたローブ。

 こんな卑劣な拷問官も表向きには神の信徒であり、聖職者なのだろう。

 度し難いこと、この上ない。


「か……神に仕える者にしてはやり口が悪辣じゃないですかぁ……」

「魔族と通じた者に慈悲などありません。

 神のご意志に歯向かうものには悪を以て断ずることも我々の務め」

「くく……拷問官風情が神の代行者を語るとは片腹痛いですねぇ。

 お前たちは魔族にも劣る畜生ですよ。

 奴らが情報を聞き出すのであれば痛めつける方法ではなく、どうやって喋らせるかことを考える。

 だが、お前は拷問が情報を聞き出すための手段であることを忘れ、どのように痛めつけるのかばかり工夫する。

 お前は神の代行者ではなく、倒錯した……ただの変態だっ!」


 そう言って、血の混じったつばを男の頬に吐きかけて嗤った。


「……さすが、魔族と通じている者は汚い言葉を使う」


 男の拳が私の左目を打つ。

 視界の半分が真っ赤に染まった後、黒く濁った。

 痛みと吐き気にのたうち回る私の首を奴は掴んで引き寄せた。


「聖騎士リンネよ。あなたはあの狗臭い魔族と交わったのですか?」


 耳元でいきなりとんでもないことを聞いてきた。

 当然、そんなことはない。

 ジークリンデ様の家で同じ褥で眠ったことはあったが。

 男の表情ににじむ暗い笑みを見て……そういうことか、と理解する。


「フン……実際に試してみればどうです?

 殴られるよりは貴様の拙い陵辱に付き合うほうが楽そうですし」


 神の教えを遵守する厳しい戒律を課された教会騎士団の団員にとって姦淫は禁則事項である。

 幼き頃から性的な交わりとは忌避するべきものと教えられてきた。

 故に我らにとってその貞潔は拷問において責めるべき急所となる。

 ここまで何もされなかったのが不思議なくらい、とっておきの責め苦のつもりなのだろうか。


 だが、私は男をあざ笑う。


 こいつは何も分かっていない。

 神に身を捧げるというのは命を差し出すなんて生易しいものではない。

 喜びも幸せも全て神の御元に捧げ、どのような苦痛も辱めも甘んじて受け入れる。

 そういうことだ。


 教会は既に神の意志を司る組織などではない。

 だが、私はそれでも神に身を捧げている。

 神は人の世に幸せと繁栄が訪れることを願っておられる。

 だから、私に教会への忠誠を投げ捨てるきっかけを与えられた。

 ジークリンデ様に安穏とした暮らしと家族をお与えになった。

 神は直接救いの手を差し伸べはしない。

 だけど私たちをいつも見守っている。

 正しい行いが行われることを期待して。

 ならば、私はそれを守るために殉じよう。


「拷問の務めの中でしか女を犯すこともできない卑怯者め。

 辱めを受けるのはお前の方ですよ」

「勘違いされては困ります。

 私は神の愛を受けし者。

 汚れし者と交わり、身を汚すことなどあってはならない」


 そう言って、男は部屋の扉を開け、向かいの部屋の扉から鎖を引っ張り、戻ってきた。

 その鎖に繋がれているのは……オークだ。

 二足で歩く豚の魔物。

 鼻息を荒くし、私を見つめている。


「貴方のような汚れし者に誅伐を与えるために、教会で飼いならしているのです。

 彼らは優秀です。彼らの与える辱めに耐えられる女は今まで見たことがありません」


 私は衝撃を受けた。

 腐りきっていると思っていた教会だったが、私の想像を絶するレベルで神の御心を解していないことに。

 敵を苦しめるために魔物を使役するなどとは……


「女という生き物は不可解ですから。

 貞操を神聖なものと扱いながらもはした金で売り渡す者。

 醜男に陵辱されようとも悦ぶ者もいる。

 なまじ快楽を与えてしまえば、責め苦になりませんので」


 だから魔物に陵辱させようというのか。

 人ならざるものに犯され、孕まされ、人ならざる子を産まされる。

 なるほど……これ以上の苦痛と辱めはなかなかに思いつかない。


 ハハ……何のために魔王を殺したのか分からなくなったとおっしゃられたジークリンデ様の気持ちを完全に理解できましたよ。

 人間の内に魔王よりもおぞましき闇が巣食っているのですから。


「『神は人に罰を与えず。

 その罪なる心を捨て去るために試練を課す』

 お前の罪を捨てるために課せられる試練がいかほどのものか、私は楽しみでなりませんよ」


 教典の一節を読み上げ、私は恐怖を取り除こうとする。


 鎖が外され、オークが解き放たれた。

 発情したオークが私の服に手をかける。


「このオークたちはあなたのように神の意志に背いた女にオークをけしかけ産ませた者たちです。

 クフッ……あなたの子どもたちも、きっと、神のために働いてくれることでしょう」


 淡々とした物言いの中の薄ら笑いが次第に熱を帯び、男の顔を歪ませていく。



 怖い! 嫌だ! こんなの耐えられない!


 私の中の弱い女の部分が悲鳴をあげる。

 背筋が冷えているのに汗が止まらず、身体はこわばっていく。

 

 ダメだ! 耐えろ! 


 私が恐れるのはジークリンデ様の幸せを損なってしまうこと。


 一度は裏切った私をあの方は笑顔で出迎え、見送ってくれた。

 大好きなあこがれの人が殺されようとしているのを見過ごそうとした、愚かで卑怯な私を。

 あの方は強いだけじゃなく優しい。

 悪い過去はすべて水に流すかのように爽やかに清々しく私を受け止めてくれた。

 私は……またしてもジークリンデ様に救われたんだ。

 

 それを思えば耐えられぬ責め苦など無い。



 オークの手に服が破られ、私の太ももに汚い指が食い込む。

 ひどく臭うよだれが滴り落ち、脚にまとわりつく。


 歯を食いしばり、痛みに備える。

 泣いて助けを乞うたりなんてしてやるものか。



 ……ああ、それでも――

 


 叶うならば、私も愛を知り、それを教えてくれる人に抱かれたかった。

 愛する人の子どもを孕みたかった。

 腹から血を流し、子どもを産み……育てたかった。

 その子どもが大人になり、私の元から巣立つ日まで。

 私はそうしてはもらえなかったことをしてあげたかった。


 ……甘い夢を見ることももう終わりだ。


「女として、人としての尊厳を踏みにじられ不要な我心を捨てた先に残るものこそ己が罪。

 さあ罪の子どもよ! この罪人を犯しなさい!

 辱めて罪に目を向けさせるのです!

 辱めよ! 辱めよっ! 辱めよっ! はずかしめ――――」




 ガチャリ――ドアのノブが周り、ガタガタと扉が揺れる。

 そして、

 

「え?」


 奴の高笑いの交じる叫びを止まった。

 鍵のかかった金属の扉は真っ赤に染まった後、蝋のようにボトボトと溶けて破られた。

 

 そして、なくなった扉の向こうに、現れた……子ども……



 ドクン……と心臓が跳ねた。


 こんな……こんなことはありえない。

 自分の目と正気を疑わずにはいられない。


 白金の髪をたなびかせ、足は地から離れ、その背には純白の白い翼。

 赤子のように愛らしく、また妖精のように美しいそのお顔……


 私は……いや教会に関わるものは誰もが知っている。


 それは神の御使い。

 または天上の住民とも呼ばれる。

 人の世の汚れを嫌い、遠く離れた世界に住みながらも、神から直接言葉を賜り、その使命を果たすため地上に降臨される尊き存在。


「て……天使様……」


 体が、心が震える。

 神はこの世におはせられる……

 この御方がそれを証明されている!


「よかった。まにあった」


 天使様が鈴のような声で私に語りかけられる。

 そして、パタパタと小さな足音を立てて、天使様と同じくらいの大きさの子どもが二人。

 転がり込むように部屋に入ってきた。

 黒いターバンとマスクをつけて顔はわからない。

 だが、二人とも澄んだ瞳をしている。

 血のような紅の瞳と空のような青い瞳が目の前のオークを見つめている。


「豚?」

「豚だな、ちょっと身体は違うけど」

「豚なら……いいよね」

「ああ、これは狩りだ」


 二人の子どもたちは床を蹴ってオークに襲いかかった。

 小柄な体にもかかわらず、オークの怪力をたやすく押さえ込み拳で殴りつけ、一瞬でその命を奪った。


「な、なんだ貴様らは!?」


 拷問官はうろたえ、後ろに下がりながら拷問用のムチを手に取る。

 が、それを振るう間もなくその身は宙を飛んで壁に叩きつけられ、意識を手放した。


 拷問官を一蹴したのは黄金色の髪をした女性だった。

 私でさえ目に捉えることすらできなかった光のような速さ。

 黒いマスクをしていても、その瞳を見れば……その瞳は……


「生きてはいるようだな、リンネ」


 彼女はマスクを外した。


 嗚呼……神よ……神よ……


「ジークリンデ様……」


 私の鎖が、ジークリンデ様の手によって引きちぎられる。

 ボロ雑巾のように弱りきって崩れ落ちる身体を彼女は受け止めてくれた。


「もう大丈夫だ」


 私に投げかけられたその言葉が、決壊寸前だった感情の堰を破った。


「う……う……うわああああぁぁぁぁん!

 ジーク……ジークリンデ様ぁぁ!!」


 子供のように泣きじゃくる私の背を彼女の手が優しく擦ってくれる。


「痛めつけられたんだな。

 怖い思いをしたんだな。

 よく頑張った」


 違う、違うのです、ジークリンデ様。

 私は痛くも怖くも辛くもありません。

 奇跡のようなこの御慈悲に私はどうやってもお応えできない。

 神に身を捧げると言いながら、このような喜びを賜ってしまった。

 だから、涙が止まらないのです。


「子どもたちに感謝してくれ。

 特にセレナはお前の居場所を見つけ出して、真っ先に飛んでいったんだ」

「セレナ……様……」


 天使様が私のもとに近づいてくる。

 そのお顔に微笑みをたたえながら、私の頭を撫でた。


「泣いている子には、こうするの。

 お母さんがいつもそうしていたから」

「ハハ、そうだな。

 セレナはいい子だ」

「ぼ、僕もいい子だよ!」

「俺だって!」


 子どもたちが競い合うように私の頭を撫でる。

 胸が熱くて、熱くて、苦しい。

 ジークリンデ様の腕の中で、ジークリンデ様が産んだ子どもたちに頭を撫でられる。

 私の受けた責め苦や恐怖など、今の幸福感の前では取るに足りないことだと思えてしまう。


「さあ、脱出だ。

 こんなところに長居したら子供の教育にも悪い」

「ジークリンデ様……ここは?」

「アンヴィルの大聖堂だ。

 まさか、地下にこんな拷問部屋が隠されていたとはな」


 アンヴィル……大聖堂……

 現在の教会における本拠地とも呼べる場所だ。

 まさか、そんなところに私は連れて……


「じ、ジークリンデ様……

 ここは危険です!

 ここには残された教会騎士団の騎士や法王直属の騎士も」


 私の忠告をジークリンデ様は笑った。


「大丈夫だ。

 上にはとっておきを置いてきている。

 アイツを倒せるようなやつはこの世界にはいない。

 まして、私たちの安全がかかっているから張り切っているはずだ」


 ジークリンデ様は私を背負い、子どもたちを連れて部屋を出た。

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