第一話 招かざる客
「おかあさん! 大きな箱が浜辺に落ちてた!
持って帰ってきていい!?」
興奮気味に枕元で声をかけてきた娘に対し、私は寝ぼけながら、
「家の中に入れちゃダメだぞ。
汚れるから」
と答える。
「うん!!」
と元気よく返事をしたセレナの足音が遠ざかっていく。
私の隣で眠っていた夫は目を閉じたまま私に問いかける。
「ううん……ハコがなんだって?」
「ん……よく分からん。
それにしても子どもたちは早起きだなあ。
日の出の前に遊びに行くとか……」
「夜泣きして俺たちを起こしていた頃よりマシだよ。
そろそろ、起きるか。
畑の様子を見た後、子どもたちを連れて帰ってくる」
「ん。よろしく」
いつもと変わらないやり取りをして私たちはベッドから起き上がった。
二階にある寝室から一階の炊事場に移動し、私は朝食を作り始めた。
昨日作ったパンを薄くスライスして二枚のパンの間に野菜やベーコンを挟んでいく。
並行して昨日の晩作ったスープを温め直し、5人分の器によそっていく。
「よしっ」
朝食の準備は出来た。
後は戻ってくるのを待つだけ――
「ジ、ジ、ジ、ジークさん!!」
激しい物音を立てながらシオンが血相を変えて家に戻ってきた。
「どうした? 何を慌てて――」
「いいから来て!」
珍しく真面目に慌てているシオンの表情を見て、ただごとではないと思い、エプロンを外して家を出た。
私たちの家は海岸から少し離れた小高い丘の上にある。
8年前にシオンと一緒に立てた石造りの2階建ての家だ。
この島は無人島であり、ここで暮らす人間は私の家族しかいない。
夫であるシオンが死んだ父親から譲り受けて一人で暮らしていた所に、行くあてのなかった私が転がりこんだ。
それからいろいろあって私たちは結ばれ、今は子どもであるジェイドとネイトとセレナも加えて5人家族となった。
子どもたちは3つ子でもうすぐ7歳になる。
それと、クライネ、ナハト、ムジークという狼三頭とぱいぱいでるみ、にくうまこという牛を二頭を飼っている。
子どもが生まれてからは外界との接触もせず、島の中で家族水入らずの自給自足の生活を送っていたのだが…………
「……何アレ?」
「多分、船だと思う」
「そんなの見れば分かる!
いや、てかアイツラ何やってるんだああああああ!?」
丘の麓から小さな家くらいの大きさはある船を子どもたち三人と飼っている狼と牛達が縄をかけて引っ張っている。
しかも割と軽々と。
「我が子ながらたくましく育ったなあ。
あ、アレが箱か。
あの子達、船なんて見たことなかったからねえ」
「感心している場合か!
船ということは中に人が!?」
「あっ、そうか。
マズイよね、この島のことを外の人間に知られちゃ」
「ああ……とりあえず、あの子達を止めよう」
私とシオンは全速力で船へと向かった。
「造り的には人間の船かな。
旗や所属が分かるものはなにもない。
海賊が盗んだ船とか?」
甲板に登ったシオンが船の状態を説明してくる。
海を見渡す限り他の船がないことから、この島を攻めてきたという可能性は低いか。
「おかあさん! 私もおとうさんといっしょにしらべたい!」
「俺も!」
「僕も!」
「はいはい、危なくないかお父さんが見ているところだから、それが終わったらな」
私は船のそばで子どもたちを押さえつけている。
こうでもしないと止められないのだ、好奇心旺盛な子どもというものは。
船を嗅ぎ回っているクライネたちの様子を見る限り、中の乗組員が外に出た可能性は低い。
と、いうことは船室内にまだ残っているということだ。
気が立った荒くれ者なんかが乗っていれば襲いかかってくるかもしれないし、漂流の末餓死した人間の死体が転がっているかもしれない。
どちらにしても子どもに見せるには刺激が強すぎる。
「よし、じゃあ開けるぞ、っと」
ギギぃと木の軋む音が聞こえた。
しばらくの沈黙の後、シオンが私を呼ぶ。
私は子どもたちを残して甲板に飛び乗る。
「どうした?」
「ん……とりあえず、生きてるのが入ってたんだけど……」
甲板下の船室から顔を出したシオンが引っ張り上げるように出してきたのは二人の人間……いや、片方は魔族だ。
10年ほど前まで人間と魔族は戦争状態にあった。
魔族は圧倒的な力を以て人類の生息圏であるマリア―ヌ大陸に侵攻し、一時は人類を存亡の危機まで追い込んだが、魔族を率いる魔王バアルが討たれたことで、統制を失い戦争は終結した。
違う大陸に暮らしている両者の直接的な戦闘はそこで終わったはずだが、敵対していた魔族と人間がこのように二人で同じ船に乗っているということは極めて異常だ。
しかも……
「おい、シオン。
私……この二人を知っているぞ」
「ああ。俺もだ。
こりゃあ、たまたま漂流の末にたどり着いたというわけじゃなさそうだなあ」
人間の方は教会騎士団に所属していた聖騎士のリンネ。
魔族の方は魔王軍の幹部の一人、魔狼将軍クライブだ。
どちらも10年前の情報ではあるが。
「ジークさん、どうする?
燃やしちゃう?」
「子供の見ている前でやることじゃないだろう。
そっちの魔族はともかく、リンネは仲間だった。
……今はどうか分からんがな」
私とシオンはそれぞれリンネとクライブを肩に担ぎ、家に戻った。
「う……ん……」
日が沈みかけた頃、我が家の寝室で眠っていたリンネが目を覚ました。
「10年ぶりだな、リンネ」
私が声を掛けると首を横に回してリンネが椅子に腰掛けている私を見た。
「ジーク……リンデ……さま……」
「様つきで呼ばれるなんていつぶりだろうな。
聞きたいことは山ほどあるが、まあとりあえず飯だ」
そう言って、豆の入ったスープをベッドの横の小さなテーブルに置いた。
「く……クライブは……」
「ん」
と、リンネの後ろを指差す。
クライブは今だ熟睡中だ。
自分が同衾していたことに気づき、リンネは慌てて体を起こす。
相変わらずうぶなリンネは困り顔で私を見つめる。
「ジークリンデ様ぁ……」
「仕方ないだろう。うちに大人用のベッドは一つだけなんだ。
私たちのベッドを使わせてやってるんだぞ、感謝しろ」
抗議をしているつもりだろうが、眉を下げて顔を赤らめているそのザマでは私を楽しませるだけだ。
私より3つ年下のリンネはもう25歳ぐらいになっているが、昔から愛嬌があり、みんなに妹のように可愛がられていた。
亜麻色の髪を三つ編みに編んでいるのは昔のままで、少しだけ大人びたが印象はあまり変わらない。
「ジークリンデ様がいるということは……ここが天国ですか?」
「殺すな殺すな。私もお前も生きているぞ。
お前が私を死んだと思い込んでいたのなら、偽装工作は上手く行ったということだな」
「……あとで何があったのか、詳しくお聞きしていいですか?」
「ああ、いいとも。
だが、お前の方こそ魔族……しかもクライブと一緒に何をしている?
駆け落ちでもしてきたのか?」
「あはは……ジークリンデ様、変わりましたねえ。
そんな下世話な冗談を言うような方ではなかったのに」
「冗談のつもりはなかったんだがな……」
実際、私がシオンとこの島にやってきたことは駆け落ちみたいなものだったのだから、冗談呼ばわりは心外だぞ。
とは口にしない。
目覚めたばかりのリンネには刺激が強すぎる話だろうからな。
ともあれ、表情を和らげたリンネはスープを完食すると再び寝入った。
部屋を出ると、扉のすぐそばにシオンが居心地悪そうな顔をして立っていた。
「どうした? 何か不安なことでもあるのか」
「不安ってわけじゃないけど……
ちょっと予想外過ぎて頭が追いつかないというか」
ここで暮らし始めてから9年、私たち家族以外の人間や魔族が島にやってきたのははじめてのことだ。
シオンが戸惑う気持ちも分かる。
「大丈夫だ。リンネは教会騎士団の騎士だったが彼女自身はおだやかで善良な人だ。
クライブは……戦ったことはあるが詳しくは知らないな」
「ああ。アイツは大したことない。
魔狼将軍なんて派手な肩書をつけてはいたが、主にやっていたことは魔王城の雑用係だ。
城の修繕を行ったり、図書館の整備をしたり、子どもの世話係なんかもしていた。
もっとも、大戦の終わり頃には人手不足で前線に駆り出されていたみたいだけどな。
ジークさんにやられておめおめと魔界に逃げ帰ってきたとは聞いているよ」
「当時はそれなりに苦戦したんだぞ。
戦闘力自体は大したことないが頭は切れたからな。
子供の世話係をさせるにはもったいない……」
ハッとして、私はシオンを見る。
私の思考を読み取った彼はアンニュイな笑みを浮かべた。
「母さんが死んだ後の俺の養育係だ。
10歳の頃までだったからおよそ7年くらいか。
ある意味、魔族の中で一番俺と関わりの強い奴だよ」
「ものすごく親しいやつじゃないか」
だが感動の再会どころか、シオンは「招かざる客が来やがった」と言わんばかりに顔をひきつらせて頭をかく。
「仲良しだったわけじゃない。
むしろ苦手なんだよ。
小さい頃から俺のことを天才だの次代の魔王だのもてはやして、いろいろ仕込もうとしてきたし。
それに親父に対する忠誠は崇拝の域に達していた。
親父が死んだことを一番嘆いたのは奴だったと言ってもいい。
そんな奴がこの島にたどり着くなんて、偶然にしては出来すぎだろ。
何らかの目論見があるはずだ」
「その辺りは目を覚ました後聞き出せばいい。
ほら、夕食の準備をするぞ」
私は彼の背中をポンと叩いて、二人で炊事場に向かった。