過去<いままで>:5
星座は、北極星を中心にして、12時間で空の半分をまわる。
私は、都会の空では見られない、満天の星空を眺めていた。三つ並んだ星のベルト、あれがオリオン座だ。ほかは知らない。
私は、落ち着いていた。
私のこころが、何か月かぶりに落ち着いていた。
知ることを後回しにし続けた。確かめることを後回しにし続けた。いまではもうテレビの電源は入らない。パソコンはインターネットに繋がらない。携帯電話はアンテナを拾わず圏外を表示していた。この東京の、ド真ん中とは言わないが、少し外れたところでだ。
世界が、こうなった。
父と母は、かならず、連絡してくるだろう。
連絡が無かったときは、つまり、そういうことになる。
携帯電話の送信履歴も着信履歴も、火曜の夜を最後に更新は止まっていた。
知りたかった、知りたくなかった。確かめたかった、確かめたくなかった。私のなかには葛藤があった。そして今日、確かめるための手段が無くなった。私が、これといって、何もしないでいるうちに無くなった。葛藤は、私のなかから去っていった。
私は、私を悩ませ苦しめるものから逃げ続け、逃げ延びた。いまだけは、穏やかな気持ちで居られた。
父に言わせたなら、これも「後回しにする悪い癖」なのだろうけれども。
私の食事の皿では、いつだってピーマンが残り続けた。肉と一緒のときも、野菜と一緒のときも、ピーマンだけが皿の端に残った。小さなころは母の手を焼かせた。一つだけでも良いからという言葉が出てくるまで、ボイコットを続けた。もう少し、大きくなってからは知恵がついた。噛まずに、味わわずに、牛乳で飲み込むことを覚えた。
刻んで、細かくして、ハンバーグに混ぜたりするのは、母の愛が込められた嫌がらせだ。
父は父で、トマトが苦手な人だった。けれど大人として、好き嫌いしてはいけないと子供の私を叱った。ピーマンを食べることを強要した。泣きじゃくった私は、祖母に抱き着きお願いして、次の日の晩ごはんをトマト色に染めてもらった。
祖母は言った、「好き嫌いはいけないことだよ」と言った。
ついでのことになるのだけれど、祖父もトマトが苦手な人だった。
意地を張ったのだろう。意地を見せたのだろう。父は、トマトから真っ先に食べてみせた。自慢げな顔だった。得意げな顔だった。子供のような顔だった。「トマト、食べられるようになったんだなぁ。偉いなぁ」と言って、祖父が自分の皿からトマトをおすそ分けした。
よくわからないが、父と、祖父が、喧嘩した。
大人げない話だ。
身体中から力が抜け落ちていた。窓枠に頬を預けて、ぼんやりと夜空を眺めていた。星は輝いていた。ゆっくりと動いていた。置時計の短針よりもゆっくりとした動きで、反時計まわりに回転する。置時計の時計回りを見慣れた私の目には、時間が巻き戻っているようにも思えた。
だから、だろうか。昔のことばかり思い出した。父と母と、祖父と祖母が、揃っていたころのことばかり思い出していた。笑いながら、泣いていた。
東京でのことは、あまり、思い出さなかった。大学で友達もできた。馬鹿なことだってした。恋愛だって、まぁ、多少。社会人になってからも、色々。つらかったこと、苦しかったこと、嬉しかったこと、色々。けれど、東京でのことは、あまり、思い出さなかった。
浮かび上がる想い出の数だけ、泣いた。笑った。
太陽が顔をだしていた。星空は消えていた。夜のどこかで泣き疲れ、眠っていた。頬にはくっきりと、窓枠の跡が残っていた。窓枠にはしっかりと、涙の跡が残っていた。