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過去<いままで>:16


 北海道の実家、部屋の中で私はゆっくりと乾いていった。

 東京の街に移り住んで八年になる。それでも、実家には私の部屋があった。定期的に換気や掃除がされていたのか、自然に溜まるはずの汚れは少なかった。父がそんな気の利いたことをするはずがなかった。だから、母が日々の掃除のついでに片付けていたのだろう。


 置時計の短針が文字盤の世界を回っていた。長針も、秒針も、どこにも逃げ場などないというのに、ぐるぐると回り続けていた。その足掻きは、無駄に思えた。

 回って、回って、回って、止まる。

 それが、置時計の運命だ。


 あの日、帰ってきた日、実家に戻った日から、父と母の寝室には入っていない。

 どうしても、あの干からびた人間の置物が、私の父と母だとは思えなかった。感じられなかった。認識することができなかった。私の記憶と結びつかなかった。だから、あの日から、父と母の寝室には入っていない。

 なら、なんのために北海道まで帰ってきたのか、私はわからなくなった。

 私は何をすれば良いのか、わからなくなってしまった。

 今は置時計を見ている。


 長針はダメだ、回転が速すぎる。

 秒針はダメだ、もっと速すぎる。それどころか舌打ちする。嫌味な奴だ。

 短針が良かった。一日の半分をかけて文字盤の上を一周して、同じところに帰ってくる。ウサギとカメの童話を思い出す。カメは頑張った。必死になって歩き続けた。怠けたウサギよりも早く、山の頂上に辿り着いた。で、それがなんだというのだろう。ウサギに勝った、それがなんだというのだろう。自分の住む海辺から遠く離れた山の頂上、振り返ったなら、海が小さく見えたことだろう。

 カメは頑張った。だから頑張った道のりだけ、戻らなければならない。帰らなければならない。頑張った。全力をだした。ゴールにたどり着いた。余力はない。帰るための体力もない。きっと、カメは帰り道で、仰向けになって干からびた。死んだ。ウサギに勝って、勝手に死んだ。きっと、カメは海に還ることはなかった。カメの干物は鳥のくちばしにつつきまわされて、穴だらけになった。でも、死んでいるのだから、どうでもいい。

 珍しい味の食べ物が落ちていたと、山の鳥たちは喜んだ。

 ゲラゲラ。


 昔々あるところに、私が独り住んでいました。おわり。

 おわりとはじまりの間には、なにか適当な出来事でも挟んでおけば良い。時計を見ていましたとか、水を飲みましたとか、トイレに行きましたとか、東京のアパートから北海道まで無意味にやってきましたとか、生ぬるいコーラを飲みましたとか、温泉に入りましたとか、台風に出会いましたとか、バイクを盗みましたとか、とりあえず適当なことを挟んでおけば良い。あとは最後に、おわり、と付ければ私の物語は完成だ。

 世界にはもう私しか居ないのだから、読者のことを考える必要もなかった。楽しませたり、笑わせたり、泣かせたり、そんなことを考える必要もなかった。

 私が居ました、死にました、おわり。

 ゲラゲラ。


 喉が渇いた。水を飲んだ。水道は止まっていた。家の裏にある井戸の水をくみ上げた。手で、ぎこぎこすると水が出るタイプのポンプだ。昔はこれを、牛に飲ませていた。三年前の冬あたりに降った雪が、ゆっくりと地面に染み込んで、井戸のあたりの地層に湧いてでるらしい。水質検査の人がそう言っていたと父が言った。

 雪がとけた水だからなのか、地下に溜まった水だからなのか、井戸の水は胃に刺さるくらいに冷たい。

 自動二輪の彼は、農機と一緒な屋根の下というだけでは御不満らしいので、ブルーシートを被せておいた。無言になった。

 ゲラゲラ。


 私の部屋は、東京のアパートなんかよりずっと掃除されていたのか、綺麗だ。清潔な部屋で、布団に包まって、置時計の短針を私は見つめていた。一日の半分をかけて一周する短針は、一日をかけて二周する。

 星が出ている夜は、窓ガラス越しの空を見た。三つ並んだ星のベルト、あれがオリオン座。あとは知らない。そんな夜空の星は置時計の短針よりもゆっくり動く。一日をかけて空を一周する。夜のあいだに半周する。ぼんやり眺めているうちに、全然、まったく、動かない怠け者の星を見つけた。きっと、あれが北極星。方位磁針のN極も、そう言った。


 東京のアパートでは、ご近所にスーパーがあった。ジャーキーさんたちの品出しが終わらない、24時間営業のスーパーだ。歩いて20分の距離だった。さすが東京だ。

 北海道の実家では、ご近所にスーパーがあった。たぶん、ジャーキーさんたちが出勤もしてないような10時間営業のスーパーだ。歩いて一日の距離だった。さすが北海道だ。

 さすがに一日を歩くのは面倒くさい。

 家のなかにある、冷蔵庫のなかの萎びたなにかを食べた。

 油断していた。萎びた緑色の固まりはピーマンだった。苦かった。でも、ガソリンよりは美味しかった。気が付かないうちに、私の舌は大人になっていた。母は、褒めてくれなかった。私はもう、そういう歳でもないし、仕方がない。

 そのうち、冷蔵庫の中身がなくなった。


 お隣の家は、知り合いの酪農家だ。そのまたお隣の家も、知り合いの酪農家だ。盗むのは、よくないことだ。自然乾燥されたビーフジャーキーが、私の一生分は落ちている気がしたけれど、食べる気はしなかった。お隣さんが一生懸命に世話をしていた乳牛だ。きっと、家族同然だ。そんな家族同然の可愛い牛さんを食べるのは、よくないことだ。


 私の余命があと三か月として、塩と、砂糖と、コメがあれば、足りる計算だった。米を煮るのは少しだけ面倒くさかったけれど、薪なら立ち枯れした木がいっぱいあった。枝を折れば、十分に乾燥した薪ができた。

 水と、塩と、砂糖と、コメ、あと文明の火、これだけあれば、人は生きていける。三か月くらいは、十分に生きていけた。

 北海道の冬は寒い。暖房が無いと、部屋の中なのに氷が張るほどに寒い。だから、私の余命は三か月だった。


 私はこの家で生まれた。正確には街の病院だけど、この家で生まれた。3400グラムの元気な子で、「大きすぎて死ぬかと思った」と私に言われても困る文句を母は言った。「大きいな」、父が私を初めて目にした時の感想だ。周囲の子供たちに比べて二回りほど大きな私を見て、そう口にしたらしい。「可愛い」とか、「ちっちゃいね」とか、もっと赤ちゃんに掛けるべき言葉があると思う。そして私はこの家で育った。赤ちゃん、幼稚園、小学校、中学校、らったったーの高校、合計して18年をこの家で育った。東京の街に出て、八年ほど留守にしてしまったけれど、私はこの家で育った。だから私は、消去法で考えて、この家で死ぬのが正しい。

 生まれた、育った、死んだ、おわり。完璧な物語の完成だ。


「外は、嫌だな」と置時計の短針に私は言った。続いた言葉は、「ここが良い」だった。短針はなにも言わなかった。長針もなにも言わなかった。秒針だけが、チッ、と舌打ちをした。ムカツク。


 そんな態度をしているから、置時計の秒針のやつにばちがあたった。

 文字盤の七と八のあいだで、秒針がしゃっくりを始めた。本人は文字盤の階段を上っているつもりなんだろうけど、同じところで足踏みしていた。あがって、落ちる。あがって、落ちる。その繰り返しの姿は、とても笑えた。

 けれどそのうちに、短針や長針まで同じように元気を無くしていった。

 電池が家のどこにしまわれているのか、さすがに思い出せなかった。

 テレビとコタツがある居間のどこかだった。


 戸棚を開けた。引き出しを開けた。爪切りが出てきた。爪を切った。耳かきが立ててあった。耳掃除した。さて、電池はどこだろう。母の収納上手にも困ったものだ。


 なんとなく、目にとまった。

 壁掛けのカレンダーが、三月でとまっていた。

 三月のカレンダー、そのなかの一日に赤い丸がついていた。粗大ごみと書かれていた。日付や曜日を忘れやすい母の字だった。私か父が、「明日だよ」と教えると、「そうだった」と母は思い出した。

 もう、夏はとっくに終わっていた。もう、秋も深かった。もうすぐ雪の季節だった。私の命日も近かった。

 さすがに三月はないだろうと思って、カレンダーをめくった。四月には丸はなかった。五月にも丸はなかった。六月の中ごろに赤い丸が書かれていた。ただの丸じゃない、花丸だった。何の日なのか、母の字で書かれていた。私の手が、とまった。


 たんじょう日。


 私は、こんな六月の赤い花丸を、知らない。

 私がこの家を出るまで、こんな母の文字は、無かった。

 東京の街での誕生日、アパートにひとり、電話は掛かってこなかった。メールだってくれなかった。父は、そんな性格ではないし、父がそんなだから、母もくれなかった。

 北海道のカレンダーの、六月のページにだけ、花丸だけの、文字だけの、私の誕生と生存を祝う言葉があった。


 手は、カレンダーの端を掴んだまま、固まっていた。頬が、濡れていた。涙腺が、開いていた。頬を伝った、あごのラインをなぞった、水滴はそのまま畳の床へ、ぽとり、と落ちた。ぽたぽた、と水滴の跡が続いて畳の上に広がった。鼻の奥がつーんとして、いま、私は泣いているんだと気が付いた。

 私は、カレンダーをめくっていた手を離すと、その場にうずくまっていた。亀のかたちになっていた。畳の上で、亀のかたちになっていた。手は頭の上で交差して、足は行儀の悪い正座のかたちになって、背中は丸くなって、顔はうつむいて、涙が止まらなくって、しゃっくりのような嗚咽が私から漏れていた。

 言葉がわからなかった。

 だから、声だけで叫んでいた。

 大きな声だった。私自身の耳がうるさいと思うほどに大きな声だった。濁点のついた母音だった。「あ」とか、「い」とか、そのあたりの音に、濁点がついた、日本語の五十音にはない音だった。私はその音を声のかたちにして、亀のかたちになったまま、喉の粘膜を引き千切りながら流血とともに叫んでいた。


「外は、嫌だ」と私は言った。

「だめだよ」とカレンダーの花丸が言った。

「ここが、いい」と私は言った。

「だめだよ」とカレンダーのたんじょう日が言った。

 私は、私だけは、この家では、この家でだけは、「死んじゃだめだよ」と、父と母が言った。拒絶された。ひどい。とてもひどい、優しい言葉で、私は父と母から拒絶された。一緒が良いのに、一緒が良いのに、「だめだよ」と、優しい言葉で私は父と母から拒絶された。

 ここがいいいのに、この家がいいのに、一緒が良いのに、一緒が良いのに、みんなと一緒が良いのに、「死んじゃだめだよ」と、父と母が言った。

 私の家に、私は、強く優しく、拒絶された。


 声が出た。

 誰の耳にも届かない私の声が出た。

 私はひとり、誰の耳にも届けられない泣き声を、ただひたすらに叫び続けた。






    終わる大地の詩 - LIFE AFTER THE EARTH 了


        著:髙田 電卜 初出:小説家になろう2018/12/20


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― 新着の感想 ―
[一言] 涙を流しすぎて、私の鼻の奥もツーンとしてしまいました。 ありがとうございます。 ありがとうございました。
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