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過去<いままで>:15


 北海道の家へ戻る前に、私は少しだけ遠回りをした。

 あの日は、三月の半ばだった。携帯電話の電源を入れれば、もっとハッキリする。けれど、その気にはなれなかった。土曜ではなかった。日曜でもなかった。祝日でもなかった。学校で、卒業式が行われている日でもなかった。

 高校の校舎は、門を閉ざしていた。

 関係者以外は立ち入り禁止だと、正門は固く閉ざされていた。昼休みに買い出しに出かけるための校舎裏の穴は、卒業から七年が経った今でも、もう、八年か、開けっ放しにされていた。もちろんその穴を使うのは禁止で、先生に見つかれば叱られた。でも、校舎裏の穴は、私が入学する前から、私が卒業した後も、ずっと開けっ放しにされていた。

 なぜ、埋めてしまわないのか、高校生の私にはわからなかった。


 子供の秘密基地のような穴を塞いでしまえば、学生たちがどこに次の穴を開けるかわからなかったからだ。それが危険な墓穴になるくらいなら、安全な、いまの抜け道を残しておいた方が良かったのだ。

 皇居の門に、半蔵門の名前がついているのとたぶん同じだ。泥棒が出たり入ったりするなら、この穴からどうぞ、という理由だった。先生も、そこだけを見張っていれば良かった。


 考えてみると、学校に来る前に買い物は済ませてしまえばいい。学校が終わったあとにゆっくりと買い物をすればいい。なのに、昼休みの学校を抜け出して、どうして近くのコンビニまで走ったのか、大人になってしまった私には、少しだけしか学生の気持ちがわからなかった。

 こういうとき、男はくだらないことで意地を張り合う生き物だ。コンビニで買い物をするに始まって、弁当屋でほかほかの弁当を買ってくる、マクドナルドでドライブスルーをしてくる、牛丼屋で特盛を食べてくる、ラーメン屋で定食を頼む、こうして男の意地の張り合いがエスカレートした結果、皆で仲良くコンクリートの床に正座させられた。男も女も平等に。

 大人になったいま、あんなに楽しい昼食の時間は、もうない。

 父に学校での話をすると、「俺も正座させられた」と言った。


 世界の終末は、部活の朝練が始まる前にやってきた。だから、土が剥き出しのグラウンドには誰も居なかった。だから、私は全力で走り出していた。自分の足で、彼に跨ることなく、全力で走り出していた。トラックの三分の二くらいで力尽きて倒れた。そのまま仰向けになり空を眺めた。青かった。息があがっていた。笑っていた。それから、なんでなんだか泣いていた。

「帰ってきちゃったんだな」と私は空に向かって呟いた。

 私自身、北海道まで帰ってこられるとは思ってもみなかった。

 旅の途中のどこかその辺で、挫けて泣いて、そのまま終わりになると思っていた。彼が、レーシングマシーンの彼が、「走りたい」と言った。彼の我がままに私が付き合っているうちに、いつの間にやら北海道まで辿り着いていた。私は八年前に卒業した母校まで帰り着いていた。

 もっと走りやすくて扱いやすい、250やビッグスクーターを選ばずに、特別な免許が必要な大型二輪の彼を選んだのに、私ときたら、北海道まで無事に帰ってきてしまった。世の中、不思議なこともあるものだ。


 大草原を貫く、一本のアスファルト。彼のお気に入りの道だ。この周囲には酪農を営む農家が多くて、牧草の畑が地平線まで続いている。夏には緑色の海が広がり、風にあおられうねっていた。秋になるころには枯葉色に染まり、刈り取られた枯葉のロールが積み上げられた。今日のサバンナは、枯葉色をしていた。

 春先に芽を出したばかりの背の低い牧草が、雨に打たれて色素を失っていた。


「そんなことより」と彼は焦れた。

 私と彼の目の前には、定規で引かれたような真っ直ぐな道があった。まるで道の方が、「走れ」と言っているようだった。そして彼は、「走りたい」と言った。高校時代の私が、らったったーとお気楽気分で走った道を、今日の彼は本気で、「走りたい」と言った。


 GSX―R1000、乾燥重量203kg、総排気量999センチ立方、DTA1・水冷直列4サイクル4気筒エンジン、最大出力197馬力、最高速280km/hの彼が、真っ直ぐな道路の中央で、「走りたい」と私に向かってハッキリ宣言した。


 加速という言葉よりも発射という言葉が似合う加速度で、彼は飛び出した。アスファルトに噛みつくタイヤは、一切の空転を許さず、エンジンの回転出力をそのままの形で速度に変換する。0から100までは、10秒とかからない。120を超えたあたりで彼は喜びを歌いだす。デュアルステージインテーク。彼にとって、80や100といった速度は、低速度領域だった。高速度領域、1つ上のステージに上がった彼のエンジンは、吸気方法を変えて、より高い音で歌い始める。

 ヘルメット、風防、二つのフィルター越しに映る視界が狭くなる。視界の右と左の端から、じわりと光の浸食が始まる。空の青、牧草の枯葉色、アスファルトの灰色、さまざまな色の光が混ざりあった先に生まれる色は、白だ。高速回転のミキサーで混ぜられたような真っ白な光が、私の視界を左右から塗りつぶす。もう、目の前しか見えない。その目の前は、何百メートルも先の、小さな点のことだ。

 スピードメーター、タコメーター、オドメーター、彼らは私と同じ速度で走っていたから良く見えた。160、180、190、200。彼は、「走りたい」と言った。彼が、「歩きたい」と言ったことなど、いままでに一度も無かった。

 200を超えて、「まだ余裕なら十分にある」と彼は喜びを歌いながら高笑いした。彼の最高速なら280だ。


 それは高校時代、私が原付バイクでらったったーと走った暢気な道だった。当時は一時間ほどかかった。今日は、10分かかったかも怪しい。彼はデュアルステージインテークでの吸気を低速領域に変えて、不満げな声をあげた。私の北海道の家が、もう見えていた。


 想い出に耽ったり、感傷に浸ったり、やるべきことが沢山あった気がするのだけれど、レーシングマシンの彼のスピードは、私の頭のなかにあった様々な想いを、道路のずっと後方へと置き去りにしてしまった。今頃は、かつての母校の周辺で、私の様々な想いたちが途方に暮れていることだろう。


 家があった。ただ住むための家にしては大きい。

 酪農をやめたのは、祖父の時代だった。その時代、牛乳業界を揺るがす大事件があったらしい。生き残りのため資本の一本化が図られて、酪農を続ける人は続け、辞める人は辞めた。そのときから父は、農家の後継ぎではなくて、市役所で働く公務員になった。


「良かった」と父は言った。

 農家の嫁に娘はやれない、と、農家である母の実家は二人の結婚に反対していたらしい。

「どっちでも良かった」と母は言った。

 父が農家の後継ぎでも、公務員でも、一緒に居られるのなら何でも良かったと言った。子供の目の前で、堂々と惚気ないで欲しい。言われた父も、隠しきれないにやけ顔を手で覆って、私の方を向かないで欲しい。

「あれは災難だったけど、悪いことばかりじゃなかったね」と、祖父と祖母が昔のできごとを懐かしんでいた。


 農機を置くための屋根ならいっぱいあって、駐車スペースなら、小さなコンビニほどにはあった。一角に彼を停めた。背負い袋から、実家の鍵を探した。なかなか見つからなかった。背中は玄関の方に向けられていた。手のひらの汗はグローブが吸い取った。こうしている間にも、ガラリ、玄関の扉が開くような気がした。息が苦しいと思った。フルフェイスのヘルメットが呼吸の邪魔をしていた。シールドを開けた。脱いでしまった。やがて鍵は見つかった。電源を切りっぱなしの携帯電話と一緒になっていた。


 実家の鍵には、交通安全祈願のお守りがついていた。もう受験は終わっていたから合格祈願もない。安産祈願はもっとない。家内安全というには独り暮らしだ。きっと、そういうわけで交通安全のお守りになったのだろうけど、東京の暮らしでは徒歩と電車が主な移動手段だった。父と母のなかでは、原付バイクをらったったーと走らせる高校生の私が生きていた。


 横開きの玄関の扉には鍵穴。

 差し込んだ。まわした。鍵は開いた。

 手を掛ければ、カラカラと戸車の回る音がして、玄関は素直に開いた。

「ただいま」と私は声に出して息を吐き出した。

 そして、吐き出した分の酸素を、鼻から吸い込んだ。

 空気がよどんでいた。もう何か月も対流していない、屋内特有の濃い匂いがした。とろりとした触感をまとった気体が、鼻腔いっぱいに広がった。喉の奥、食道をゆっくりと通過して、肺の中へ入った。小さな肺胞たちが、液体じみた空気を体内の二酸化炭素とガス交換して、赤血球が侵される。心臓が巡らせる。手に、足に、身体に、脳に、何か月も屋内にとどまり続けた酸素が染み渡った。

 玄関の戸に掛けていた手が、ぷらり、と落ちた。


 石の三和土たたきから、一段高くなった木製の床に腰をおろした。ライダーブーツの留め具が固くて、ひっかけた指先で何度も掻いた。ひとつ、ふたつ、脱いで、白の靴下を降ろした床には、薄っすらと埃の層が広がっていた。


 玄関のすぐそばが、茶の間で、リビングで、食卓で、コタツの部屋で、襖に掛けた指先がカリカリと引っかきながら、開いた先ではコタツが部屋の真ん中にあった。木の器に盛られたミカンがオレンジ色をして、干からびていた。食べ終えたミカンの皮を、コタツの上に残したままにするのは父の悪い癖だ。ミカンの皮はパリパリに乾いて、花開いていた。


 喉が渇いた。つばを飲んだ。

 呼吸が乱れていた。心臓が不正確なリズムで脈打っていた。噴き出した汗が、ライダースーツのなかを湿らせた。呼吸が乱れていた。酸素をうまく取り込めなかった。空気がよどんでいた。

 白い靴下が、床の埃を払った。足跡が残った。足跡は、父と母の寝室を目指していた。


 丸いドアノブのついた、洋風の扉だった。

 ドアノブに手を伸ばした。喉が渇いていた。飲み込む唾が無かった。時計回りに捻ると、かちゃり、音がした。ドアは、部屋側に押すように作られていた。大所帯だったから、廊下の人とぶつからないように、気を使って作られた。ドアが開くと、カーテン越しの光に照らされた薄暗い部屋があった。布団が二つ、並んでいた。母の方が朝が早いので手前側が母の布団で、奥は父の布団だった。


 ここまでの旅路のなかで、なんどとなく思い描いてきた。考えてきた。覚悟はしてきた。父と母だけが特別ということはないのだと、私は覚悟してきた。とてもとても、甘っちょろい、頭の足りない想像力でもって私は覚悟してきた。


 私の視線が半分になった。

 よくわからなかったけれど、たぶん、腰から下が無くなったんだと思う。座高の高さまで、視線が低くなった。それでも十分に、部屋のなかは見えていた。ドアノブから離れた手が、床に触れていた。もう片方の手も、一緒だった。

 私の口は半分だけ開いて、とくに何かを喋りだすわけでもなかった。喉が渇いた。舌が乾いた。唾は、出てこなかった。


 父は、布団の中で眠っていた。母は、布団の中で眠っていた。まるで、自分たちが死んでしまったことを忘れたかのような顔をして、安らかな表情を浮かべて眠っていた。それは私が、何度も何度も覚悟してきた想像の中での父と母の姿だった。


 乾いていた。干からびていた。皮膚に亀裂が入っていた。頭蓋骨のかたちにあわせて皮が張り付いていた。口は開かれていた。唇はめくれていた。歯と歯茎がつながっているところが剥き出しだった。髪の毛が抜けていた。頭皮と一緒になって枕の上に落ちていた。まぶたは開いていた。眼球は見えなかった。水晶体から水分が抜け落ちて、ビー玉のように小さな瞳が、昏い空洞のなかで転がっていた。これが、父だった。これが、母だった。これが私の、父と母だった。


 私はいったい、この旅のなかで、いったい何を、覚悟してきたのだろう。いったい何を、確かめに来たのだろう。


 父は、「お前には何でも後回しにする悪い癖がある」と言った。

 そして私は、何でも後回しにしてきた。そして父と母は、布団の中で干からびていた。私が後回しにした時間だけ、干からびて、頭蓋骨に皮が張り付いた、髪の毛が頭皮ごと抜け落ちた、歯と歯茎を剥き出しにした、瞳の部分が昏い空洞で埋められた、乾ききった、人の形をした、なにかになっていた。


 人は、こういうときには、涙を流す生き物だと思っていた。でも、私の瞳は乾燥していた。一滴の水も涙腺から出てこようとはしなかった。父と、母が、布団に包まれて、眠ったままに死んでいた。けれど、私は、泣かなかった。それを目にしても、私は、父と、母だとは、思えなかった。干からびた、人のかたちをした、なにかがあった。だけだった。だから私は、泣かなかった。


 ただ口を開いて、ただ喉が渇いて、ただ舌が乾いて、でも唾と涙は出なかった。それが、北海道の家に帰りついた私の姿だった。



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