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過去<いままで>:14


 世間には知られていない意外な事実がある。

 北海道は、四方を海に囲まれた海の孤島だ。

 もう一つ、世間には知られていない意外な事実がある。

 自動二輪車、オートバイクは海の上を走れない。


 青森、津軽海峡は夏の景色だった。

 高台からは、水平線の向こうに北海道の地が見えた。手が届きそうとは言わないけれど、手が十万本もあれば届きそうなほど近くに北海道の地が微かに見えた。

 私は、最高性能のエクストリームレーシングマシーンである彼を見た。

 彼は、「期待されても困る」と彼らしくない弱気な発言をした。


 本州と四国の間には、瀬戸大橋があった。本州と九州の間には関門橋があった。本州と北海道の間には、青函トンネルがあった。電気の通わない今日の青函トンネルは、真っ暗な口を広げた地獄の門を再現していた。

 ヘッドライトをハイビームにして、トンネルの奥へ光を飲み込ませても、突き当りには闇が広がっていた。空はこんなに青いのに、太陽はこんなに眩しいのに、青函トンネルはこんなに真っ暗だった。

 私には、嫌いなものが三つある。ガソリンと、ピーマンと、出口の見えない真っ暗なトンネルだ。ついでに言っておくと、燃費の悪いバイクも嫌いだ。青ければいいと思っている空も嫌いだ。能天気な太陽も夏の間だけは大嫌いだ。


「外は、嫌だな」

 いつかどこかで、私は言った。死に場所が選べるなら、屋根の下が良いと思って言った。

「トンネルのなかは、嫌だな」

 今日は、条件を少しだけ追加した。死に場所には、屋根以外にも大切なものがある。


 青森から津軽海峡を挟んだ北海道の南端は、地図の上では目と鼻の先にあった。縮尺を測ってみると、おおよそ25から30kmという目と鼻の先にあった。五稜郭で有名な函館は、すぐそこだった。とくに何かで有名ではない福島町は、もっとすぐそこだった。


 陸地を走って、近づけるところまで近づこうと思った。それでダメなら運命なのだ。私は北へ向かった。彼は北へ走った。青森県の北端は、西と東で二つある。真ん中には陸奥湾が広がる。私が辿り着いた北端は龍飛崎たっぴざき、このまま飛んでいけそうな、そんな名前をしていた。

 彼は、「無理」と私の発言を待たずに答えた。

 街と呼ぶには民家の数が少なかった。

 漁村という呼び方が、竜飛崎にはしっくりときた。


 こんなところに、太宰治の文学碑が建てられていた。巨大な石に刻まれたその字は、達筆すぎて読めなかった。近くの看板の、現代仮名遣いな文書を読んだ。


「ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ」この冒頭の一文を読んだとき、私は、まったくだ、と太宰治の意見に同意した。東京のアパートから遥か800km、道に迷うこと1000kmの旅の果てに辿り着いた本州最北の土地としては、いささか寂し過ぎた。


 海と高台と展望台があった。

 展望台が見つめる先には北海道の土地があった。振り返れば青森の地も望めるのだけど、山が見えるばかりなので、とくに振り返る必要はなかった。いままで走ってきた道を、振り返る必要はなかった。いままでも、これからも、走ってきた道を振り返る必要など私にはなかった。辿ってきた道のりを振り返るのは、迷子になったときだけで十分だった。


 こんなところにも、温泉宿があった。こんなところだからか、温泉宿があった。旅館というよりもホテルという顔をした宿泊施設には、環境に優しい太陽光パネルが備え付けられていた。配電盤を前にして半日を悩んで過ごせば、人類の英知、エアコンの電源が入った。

 ここには電気があった。布団があった。お湯があった。ホテルに隣接するお食事処には、パック詰めされたご飯があった。海があった。山があった。そしてなによりエアコンがあった。人類文化の全てがこの竜飛崎にはあった。これ以上の何を求めることがあるのだろうか。ここで、もう、良いじゃないか。私は思った。


 私の旅の終わりなら、もう、ここで良いじゃないか。

 あの太宰治だって言った。ここは、本州の袋小路だ。なら、人生の袋小路も、この竜飛崎で終わりを迎えて良いはずじゃないか。

 私は頑張った。私は努力した。免許も持たず大型二輪の彼と旅をした。その彼が泳ぐことが適わないと弱音を吐くのだから、私の旅は、ここで終わって良いはずだと思った。これ以上、北へ進むための道は無かった。


 夜の海岸線を、ホテルに備え付けの浴衣と下駄で歩いた。

 浜辺に、カツオ節の行列は居なかった。

 太宰治だって、海岸線に並ぶカツオ節の行列を目にしたなら、きっと、全然、まったく別の小説を書いていたに違いない。きっと、竜飛崎のことを本州の袋小路とは書かなかったに違いない。きっと、天然のカツオ節が打ち上げられる活気あふれる漁場として書いたに違いなかった。

 津軽、太宰が書いたのは、そんな題名の小説らしい。

 本州の袋小路と書かれて、当時の竜飛崎の人々はどう思ったのだろう。怒ったのかもしれない、笑ったのかもしれない、まったくだと頷いたのかもしれない。それともあるいは、北海道への入り口だと、抗ってみせたのかもしれなかった。

 竜飛崎には漁港があって、漁港には漁船があった。収獲量が200kg以下という漁船も無いだろう。私と彼が乗って、それでも船には十分な余裕があった。豪華客船が竜飛崎の漁港では、私と彼を待ってくれていた。

 道はなかった。手段はあった。だから私の旅は、まだ終われなかった。


 朝、海は広いな、童謡を陽気な声で私は歌っていた。

 板を渡して、彼を渡して、漁船のなかへと乗り込んだ。古タイヤがチャーミングなアクセサリーとして飾られているような、そんな船だった。船と岸辺は、たぶん、もやい結びとかいう、漁師の人の難しい縛りかたで繋がれていた。ほどけなかった。

 私はナタを振り下ろした。弾かれた。その辺のガラスとは違って、海の男が使う太い縄は、とても反抗的だった。

 包丁、サバイバルナイフ、缶切り、バール、さまざまなものを使って私は挑んだ。どれもこれも、ただ太くて硬いだけの縄に敗北した。

 けれど、やつも人類の叡智には勝てなかった。最後には、火で燃やしてやった。あれで化学繊維だったのか、異臭を放ちながら、縄のやつは死んだ。


 昼、海は広いな、童謡を大きな声で私は歌っていた。じつは、一番しか知らない。

 船が時速何キロで進んでいるのかはわからない。とりあえず船は、方位磁針が示すとおり、北へ船首を向けて出港した。すぐに、竜飛崎の漁港が見えなくなった。これで本州ともお別れだ。どんどん小さくなっていく本州の姿に、理由ワケのわからない涙が出て、私の頬を濡らした。

 船は、北へ船首を向けたまま進み続けた。

 やがて陸地が見えなくなって、東西南北のすべてが水平線に囲まれた。もう何も、あてにすることはできない。海は私を助けない。台風だって、助けなかった。自然は、人間を助けたりはしないものだった。


 私は、歌っていた。題名は、海は広いな。

 沖に出るほど波は強くなった。波は高くなった。船が揺れると、方位磁針も揺れた。本当にこれが北向きなのか、ちょっとよくわからなくなってきた。

 乗り物の上の乗り物となった彼は、「だから言ったろ」と言っても無いことを言った。

 今が夜なら、北極星を探すこともできた。

 太陽のやつが、青空の上で暢気にも輝いていた。

 出向前に、漁船の燃料タンクを確認していなかったことを思い出して、私はもっと大きな声で、自分の童謡を歌い始めた。海は、広かった。広大だった。東西南北のすべてが海色に染まるくらいに広かった。


「翼よ、あれが巴里パリの灯だ」とリンドバーグは言った。

「船よ、あれが北海道の地だ」と私は言った。

「うん、そうだね」と船は見飽きたものに対する感想を述べた。

 竜飛崎の漁港で船をしているなら、一年のうちに何度となく北海道を見る機会もあるのだろう。感動しろと言われても、無理があったのかもしれない。

 船上の乗り物となった自動二輪の彼は、潮風に「錆びる」と不満げな顔をしていた。彼は、自分が走ること以外に関して、ほんとうに興味がないらしい。

 これだけの人数が居て、海の先に見えた北海道に感動していたのは、私ひとりだけだった。


 北海道の小さな漁港、名前はわからない。波消しブロックを避けながら、船を進めた。漁船には前進とバック、それから右折と左折がついていた。ギアにニュートラルはついていたが、パーキングはついていなかった。自動車が運転できるなら、船だって、そこそこ動かせた。私は父の勧めで自動車免許を持っていた。それも、立派なゴールド免許だ。


 桟橋への着岸は豪快に、船のアクセサリーである側面の古タイヤをガリガリと削りながら行われた。自動車教習所以来になる縦列駐車に、右と左がよくわからなくなって、前進のときには左へ舵を切って、後退のときには左へ舵を切って、うん、よくわからない。諦めが私の感情のすべてを支配したとき、桟橋と漁船がガリガリといった。

 こんなものなのかもしれない、と私は思った。

 原因は、わからない。結果は、わかる。漁船は桟橋に、無事停泊した。それで十分だと私は思った。


 板を渡して、彼を渡せば、そこは北海道だった。帰ってきた。私は、東京の大都会から北海道の僻地へと帰ってきた。私が生まれ育った島、北海道の大地へと私は帰ってきた。

 あとはもう、レーシングマシンの彼と一緒に私の実家まで走るだけだった。

 問題がひとつだけあるとすれば、この北海道の南端である漁港と、北海道の東端に近い私の実家は、800kmほど離れていることだった。本州を、東京の街から青森の竜飛崎まで、迷わなければ800kmだった。私と彼の帰郷の旅は、まだ、半分の道のりを折り返したばかりだった。

 この辺の北海道は、あんまり、というか、全然、まったく、私の地元という気がしなかった。私の旅は、まだまだ続いた。



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