五月下旬の日曜日 その3
僕の目の前には女性用下着売り場が広がり、ブラやパンツを選ぶ女性客からの視線が途絶えることなく送られてきて『もしや僕、特殊能力を習得!?』と、勘違いするくらい視線を感じ取ってしまい、名付けるなら『視線感知スキル』かな。
「このパンツかわいいよね。あたしの胸だとスポーツブラでいいかなぁ?」
「えーと、いいと思うよ。妹よ」
商品棚からパンツをいくつか手にとり、僕の目の前で広げてみせて、ただの布切れなのに心が動揺してしまう。
この前、一人で違うデパートに行くも買えずに逃げてきたときは気づかなかったけど、女性用下着って種類が豊富で、きわどい物も多いのね。
あのときは緊張と、なにか悪いことをしているような気分で、周りを見渡す余裕がなかった。
でもいまは違う。
上下ともにみな色彩豊かで、アニメのプリント柄パンツに、フリフリの下着類が並び華やかだ。
というか、彼女に合うサイズわからない。
とりあえず、ジュニア下着コーナーでいいんだよね?
こういうとき、下着好きな変態さんなら、なんでも知っているだろう。
幸いにも僕は、あまり興味がない──はず。
が、実際にこうして囲まれてしまうと、そう、ねぇ……。
どこからとなく、甘くてふんわりしたいい匂いが漂ってきて、それはどこからなのかと考えると、どうも下着を買いに来ているお姉様たちから匂い立つみたいで、香水や香り付きデオドラントの匂いが混じり合い、僕の鼻を、そして脳を溶かそうとしている。
「お兄ちゃん、こっちのワンポイント柄のパンツも買っていい?」
ハッと我に帰る。
「えーと、いいと思うよ。妹よ」
『妹』のところだけ、ちょっと強調して言ってみる。
女性用下着売り場に男は、僕一人。
妹の相談にのるフリをしながら、こっそり周りの景色を目に焼き付ける僕。
『キモイ!』って周りのお客さんに思われようとも僕には、ここにいなくちゃいけない、正当な理由がある。
理由がある以上、堂々とすればいいのだけど、でもやっぱり恥ずかしい。
周りを見る余裕はないし、顔は自然と下を向く。
適当に数種類セットで購入して、この場を去るのがいいみたい。
幸いにもお客さんは少なく、自分ではあまり目立っていないと思う――。
けど、どうもかなり目立っていたのか、年配の女性店員さんが近づいてきて「かわいい妹ちゃん、お兄ちゃんはちょっと疲れているみたいだから、あちらの休憩用スペースで、ご休憩でもいかがかしら?」と、それとなくやんわりと告げられ「お兄ちゃんはあっちで少し休んでいるから、このお姉さんに相談しなさい」そう言い残し、売り場を離れた。
まぁ、そうなりますね。
エレベーター横に設置された休憩用ベンチは思いのほか居心地が良く、このままここで朽ち果ててもいいと思ってしまう。
どっしりベンチに腰を下ろし背中を丸め、ちょっと疲れている雰囲気を表現しつつ、こっそり売り場に目を向ける。
彼女のいた辺りに視線を向けると、試着室のカーテンを全開に開け、白い長袖のTシャツの上にピンク色した下着を身につけた彼女が手を振っていて「お兄ちゃーん、似合う?」と聞こえ、それを慌てて制止する店員さんと目が合ってしまった。
彼女に向けて小さく手を振る僕に店員さんは睨みを利かせ、視線を反らすよう、アイコンタクトをしてきた。
このデパート、二度と入れないかもしれない。
「お兄ちゃーん、お会計だよー」
「おっおう」
足早にレジの所に行ったら、接客をしてくれた店員さんがさっきよりも、ものすごい形相で僕を睨みつけ、その理由はすぐにわかった。
試着をしたということは、身に付けていた下着を脱ぐということ。
しかし彼女に、脱ぐ下着はなかった。
購入した上下の下着を袋詰めする店員さんの表情、鬼の形相、はたまた般若のお面そのもの……。
「どうしたのお兄ちゃん、顔色が良くないよ?」
「ちょっと、トイレに行きたいなーって。スッキリしたいなと」
店員さんはキッと鋭い睨みを利かせ「なにをスッキリしたいのでしょうねっ」
棘のある言い方。
文句はございません、店員様。
ああ、出禁確定のようです。
会計を済ませ彼女の手をとり、足早に売り場を後にするだけ。
振り向くと僕と同じ年頃の女の子。
買い物カゴにブラやパンツを入れ、会計の順番待ちをしていた。
「……君!?」
「はい!?」
「村上君だよね……」
「……」
カゴのなかには、水色のストライプがかわいい上下の下着に、薄いレースの淡いピンク色したネグリジェかな !? それに上下の黒い下着もある。けっこうきわどいデザインですな。
重なっていてわからないけど、ほかにもいくつか買うみたい。
ハッと我に返ったけど、もう遅い。
買い物カゴのなかを見つめる僕の姿を、水野さんはしっかり見ていた。
「どうしたのお兄ちゃん、早く行こうー」
「ああ、そうだね……妹よ……」
「買ったばかりのくまさんパンツ、履いているんだよー。んでね、ブラのほうはちょっと感じがよくない。慣れていないせいかなー」
「あー、そうかもしれませんねー」
僕のセリフ、棒読みです、はい。
グサグサ突き刺さる二人の視線、店員さんのはともかく、同級生の水野さんの鋭い視線は学校生活の死を意味している。
まずい……。
水野優さんとは中学校も同じだったけど、こんなにも鋭い目つきをした彼女を見るのは初めて。
んー、平和な学校生活、終わってしまうかも。
どう考えてもどう考えてどう考えてもっ、これは確実に死亡フラグ。
なんとかしないと……。
とにもかくにも、話す機会を作らないと。
カゴのなかを見てしまったのは偶然であり、偶発的な事故!!
だけど、水野さんはそうは思って、いないよね……。
じっくり考えどう行動するかを『考える時間』、いまはない。
見切り発車でもいいから行動に移さないと。
デパート内で偶然を装い水野さんに近づき、会話する時間を作り、そして誤解を解く作戦で。
まずは人目の少ない階段脇で待機、水野さんが通り過ぎるのを確認、そして後をつけて行動開始。
誤解を解く──って、誤解じゃないのが事実だけど、誤解ってことにしてくださいっ、水野さん!
桃乃さん、長い一日になりそうです。
付き合ってくれますね。
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メモ書き20210209修正 名前変更。樹→佑凛
メモ書き20210212修正