古都 オラディアの空は露草色 その23
僕たちに許された時間は五日間。
五日後、僕たちは元の世界に戻る。
三人の女子も含め。
帰宅する日にちを知ったのは昨晩。
僕は朝一番、ヨーゼルト公爵の元を訪れ、願った――。
◆◇◆◇◆
「これはどの鍋に入れるんだい?」
「それは一番奥の鍋にお願いします」
「あいよ! 長年屋台で肉を焼いて売っているが、こんなに上質な肉は初めてだよ!」
「そうですか。ではあとで余った分をわけてもらえるよう、公爵様にお伝えしますね」
「いいのか!」
「いいと思いますよ」
「……いや、やめておく。余らせず全部食べちまおう!」
屋台の女店主はそれだけ言うと、細切れにした豚肉を木の板に載せ一番奥の鍋に向かった。
炭に直置きされた大きな鍋が六つ縦に並び、鍋の中で野菜や肉がグツグツ煮込まれ、大勢の貧民街の人たちが周りを囲んでいた。
小さい子供から年老いた老夫婦まで物珍しそうに見ているなか、僕たちは肉を切ったり、白菜みたいな野菜やネギを食べやすいようにトントンとカットとしていた。
桃乃さんは豚肉を薄くスライスして木の板に並べていく。
真淵さんは別の小さな鍋で塩や胡椒、鶏ガラを使ってなんちゃって鶏ガラスープを煮込み中。
水野さんは野菜を次々にカット。
そして僕とフルールは貧民街の人たちとの折衝事担当。
僕たちがいま作ろうとしているのは鍋料理。
味噌がないけど野菜たっぷり豚汁風に仕立てた鍋になる予定。
急遽作っているから味の保証は微妙だけど、きっと喜んでくれる。
だって、温かい料理が食べれるんだもの。
僕は朝一番、ヨーゼルト公爵に謁見を求め伝えた。
貧民街で暮らす人たちを助けてほしいと。
そう、この世界にやがて終止符が打たれるのなら、最後くらいお腹いっぱい食べて幸せな気持ちにしてあげたいと。
それに対しヨーゼルト公爵は言った。
すぐにどうこうなるわけではない。
私が老衰で死ぬのは数十年先なのだから。
それを聞いて僕は胸につっかえていたものがとれた気がして僕は言った。
これが最後の演舞になるのなら、華麗に優雅に豪華に締めくくってはいかがかと――。
「ユウリよ、それは私も考えていたことじゃ。最後くらい、優雅に幕引きをとな……。協力、してくれるな?」
「もちろんです!」
ヨーゼルト公爵はヨーゼフさんとフランチェスカさん、エリーヌさんたちを呼び、僕たちの力になってやってほしいと告げた。
久しぶりに見たヨーゼフさん、晴々としていてやさしい笑みで僕に微笑み、僕も笑みを向けた。
「どうした兄ちゃん!? 疲れたか!?」
「あっと、つい考えごとをしていただけです」
「それならいいんだ。お前に倒れられると困るからな」
「この料理を食べないうちは倒れられませんよー」
「そうだな。そういえば……あの公爵様に掛け合ってくれたのはお前か?」
「まぁ……いろいろとありまして……」
「そうか……。それ以上は聞かないでおこう」
「ありがとうございます」
「と……そろそろできる頃合いだろう?」
掃除屋の元締め、いろいろと聞きたそうな雰囲気を残しつつ大鍋を取り囲む貧民街のみんなに声を掛け、列を作るよう指示を出した。
貧民街のみんな、木のお皿やヒビが入ってかけた陶器のお皿、ボコボコになった鍋を大切にかかえ並びはじめ、みんなうれしそうに笑顔と会話が弾んでいて心にキュッとくるものがある。
「ユウリお兄ちゃんどうしたの?」
「んん、なんでもない」
「そう……」
「いや、心配事じゃないよ。ちょっと……」
「ちょっと?」
「こうしてみんなで温かい料理が食べれること、うれしくてね……」
「……だね。あったかい料理は美味しいものね!」
「だね!」
金色の髪を揺らし、にぱぁと微笑むフルール。
「村上君、フルールちゃん、味付けもばっちりだ。配膳することを伝えてくれ」
大鍋の前にたたずむ真淵さん、長袖のシャツをまくり、頭に布切れをぐるっと巻き、どこかのラーメン屋さんの大将みたいでかっこいい。
真淵さんは木の器に野菜や肉をたくさん盛り付け、木のお盆に載せ、貧民街の人たちの輪から外れたところに転がる丸太にちょこんと座る一人の老人の元に駆け寄った。
偽装しているけど僕にはわかった。
ヨーゼルト公爵だ。
遠くてよく見えないけど会話が弾んでいるよう。
「兄ちゃんとフルール、いつでもいいぞ!」
ふいに元締めの声。
「ユウリお兄ちゃん、みんなが待っているよぅ」
「おふぅ、よし! じゃっ、みんなで頂こう!」
◆◇◆◇◆
その後、僕たちは追加で豚汁風鍋を作り続けそれは辺りが夕焼けに染まるまで続き、途中からは貧民街で屋台を出す人たちにレシピを教えた。
ほかにも、いままでは捨てていた鶏や豚、牛などの内蔵物の調理方法も教えた。
いわゆるモツ煮やモツ鍋、牛タン、居酒屋によくあるホルモン焼きなど。
これはすべて真淵さんが丁寧に教え、きっと将来、ここの看板メニューになると思う。
僕たちがしたことはとても小さなことで成果も大きくないけど、ここで暮らす人たちのひとときの幸せになればいい。
そしてそれらは、僕たちがこの世界を去る当日の夕方まで続いた。
もちろん、ゴミ回収運行管理表も作り上げ、ゴミを回収する手引き車の改造もばっちり。
掃除屋の元締めは多くを語らなかったけど、僕たちがここを去るのをなんとなく雰囲気で察していた。
ほかにも屋台の串焼き女店主に、一緒にゴミを回収した貧民街の大人や子供たち、そして長老様、みんな言葉には出さなかったけど別れが近いことを察してくれていた。
五日後の夕方、貧民街の境界線のところで長老様に別れの言葉をもらった。
長老様は杖に視線を向けてながら言った。
この杖を使い続けて三十年になる。
三十年前、ワシはこの街をなんとかしようと躍起になっていた。
しかし一向に改善されない生活環境を目の当たりにして、心が折れるのに時間はかからなかった。
ワシはこのまま朽ち果てると思っていた。
しかし、其方らの活躍でこの街は大きく変わろうとしている。
その流れを作ってくれたお前たち兄妹に感謝しかない。
もし、またこの古都オラディアに来ることがあったなら、ここを訪れてほしい。
僕とフルールはただ黙って聞き続けた。
「なぜこのオラディアが古都と呼ばれるのか――。それはな、この貧民街があったところがかつての都で一番栄えていた区画なんじゃよ」
長老様の言葉に僕は違和感の正体に気付いた。
貧民街と言うと、狭苦しくてジメジメしていて迷路のようになっていると想像していた。
でも実際にはきちんと区画が整理されていて道幅も以外に広く、思ったより清潔感があった。
そういうことだったんだ。
「この都は落ちぶれていく一方なんじゃ……。しかしな、都の頂点に立たれたお方は言われた『朝靄煙る日の入りと共に生命の躍動感じる都にしたい』と――」
「ヨーゼルト公爵様が言われたのですか?」
「そうじゃ。そしてこうも言われた『作物の葉に滴る露に感謝の祈りを、晴れ渡る空に恵みと豊穣の祈りを、そしてそれは都で暮らす人々が天上に向かうその日まで続くことを、私は責任をもって遂行する』と――」
「……」
「あぁ、なんと慈悲深いお言葉なのか。ワシは老い先短いが、魂が今生にあるかぎり、老体に鞭を打ち奉仕するつもりじゃ」
「……長老様。どうかお身体御自愛くださいまし」
「ありがとう」
別れは、背中を丸め杖を付く長老様一人。
貧民街で暮らすみんなが気をつかってくれた。
サクッとこの街と別れるようにと。
とくにフルールに気をつかってくれた。
僕は十日前後だったけど、フルールはここで生まれ育った。
早くこの故郷からおさらばして、食べ物に困らない生活をしてほしいと願うみんなの気持ちを、僕とフルールは感じとっていた。
僕たちは長老様に見送られ街を後にした。
「フルール、もし寄りたいところがあったら言ってね。時間はあるから……」
「……だいじょうぶ。五日間のあいだに気持ち、落ち着いたから」
「そう……」
夕暮れのなか、僕とフルールは手をつなぎ歩く。
まるで本当の兄妹のように。
そしてフルールの反対側の手には、あの小さな木箱があってそれが彼女のすべて。