古都 オラディアの空は露草色 その22
静まり返った室内、ベッドの端に腰掛け、隣でスヤスヤ眠るフルールの寝息を耳に入れながら視線を窓の外に向けた。
開け放たれた窓から射す月の光は鈍く青白く光っていて、室内を冷たくぼんやりと照らしていた。
数日後、僕たちはこの、絵画の世界から抜け出し、元の現実世界に戻る。
フランチェスカさんにエリーヌさん、そしてフルールも一緒に――。
◆◇◆◇◆
ヨーゼルト公爵は屋敷に戻るやいなや応接間に連れて行き、僕たちを除いて人払いをすると告げた。
メビウスの輪から、この三人を救ってほしい――。
ハテナマークがポンポン浮かぶ僕を無視するように公爵は続けた。
『死神と二人のヴァイオリン弾き』の物語、あれはワシの話しである――と。
ギョッとする僕を尻目にさらに続けた。
二人のヴァイオリン弾きは、死神に美しい音色を聴かせたお礼として、一晩の甘い夢を見せてもらい物語の最後、二人は死神の持つ大鎌によって魂を刈り取られそこで話しは終わった。
しかしそれは一部改変されていて、一人のヴァイオリン弾きは死神が来訪する日を考慮し虎視眈々と準備を進め、違った意味で死神に打ち勝った。
物語の終盤、死神は約束を破り樫の木の下にこなかったヴァイオリン弾きに『死せる日を、変えることはできないのだよ。私として』と告げて魂を刈り取った。
その瞬間、ヴァイオリン弾きはたしかに死に、甘い夢はそこで終わった。
しかし、そこで物語は終わらなかった。
死=甘い夢からの目覚めた次の瞬間、死神とヴァイオリン弾きはこの絵の中に吸い込まれ、辺り一面黒い闇が広がった。
「死神よ、私が歩んできた人生が夢だったとはまったく気がつかなかった。だが、私もタダで魂を渡すわけにはいかない」
「おろかな……神々の一辺に逆らうというのか――」
「いや、逆らってはいない。きちんと魂を献上したではないか。ただ、貴方が考えていたものとは若干違うがね」
「面白い男だ。さて、私が何らかの取り引きに応じると思うかね?」
「思わない」
「なぜ言い切れる?」
「簡単な話しだ。貴方は神々に席を置く者。よもや人間如きの口車に乗り、どうこうできる存在ではないのだから」
「続けたまえ」
「だから私は一計を案じた。貴方は私の魂を刈り取り職務を遂行した。しかしそれと同時にこの絵の中に、私の魂ごと封印された。違いますかな?」
「……そうだな」
「つまり、私がこの絵の中で死を選べば、貴方の手の中には二つの魂が存在することになってしまう」
「……」
「そう、貴方は神々の契約、人には一つの魂しか宿らないという掟を、自らの手で破ることになる」
「……」
「神々と人との違い、それはなんだ!? 契約、秩序を遵守する者と、それらを破る者こそが、神々と人との違い。違いますかな?」
「もったいぶるな。とうに答えは出ておるのだろう?」
「ええ、出ていますとも。貴方は、私の魂と共にこの絵の中に吸い込まれた時点で、神ではなくなったのだよ!」
「なるほど。では、改めて問う。私が嘘をつき、復讐を考えないと言い切れるかな?」
「ええ、もちろん。考えないと言い切れますとも!」
「ほほぅ」
「傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰、七つの大罪は、人にのみ許された特権であり、けっして神々は手に入れることができないものなのだから」
「……すべてお見通しか」
「ここまで事がうまくいく保証はなかった。後は運にかけてみただけだがね」
「一つお前は勘違いをしている。私はいまだ神々の一辺なのだよ。なぜなら、私はまだ、お前の魂を一つしか手に入れていない」
「……そうなるな。しかしそれも時間の問題」
「さて、そうかな? 若造よ、この世界を、嫌というほど思う存分楽しむといい」
それが死神と最後に交わした言葉――。
当初、私はこう考えていた。
この世界で二度目の人生を思う存分謳歌したのち、形はどうあれ死後の世界にいけるものと思っていた。
しかし現実は違っていた。
この世界で財を成し家族を作り、老いたのちベッドに横たわり、親類縁者に見守られながら亡くなった瞬間、パチリと目を開けると私は倒れていた。
時はすでに夜。
涼しい風が草原を吹き抜け、無数の星々がキラキラと輝くなか、横では目をつぶる若い男が地面に死んだように寝ていて、私はその瞬間すべてを察した。
私の魂は復活したのだと。
私が死ぬと死神に魂が二つ入ることになる。
なら、私が死ななければ死神は魂を手に入れることができず、ゆえに神でいられる――。
僕とフルール以外の真淵さんたち、とくに驚いた様子もなく、ただ黙って公爵の語りを聴いていた。
きっとこの話しはこれが二回目なのだろう。
「物語のなかではヴァイオリン演奏家になっているが本当は、二人の画家なのだよ。そして、死んだあと、復活をしたとき横で寝ていたもう一人の若い男というのは、アルテミット伯爵」
「えっ、それってどういうことですか……」
「単純な話しだ。私は前世の記憶をもったままいちから人生をやり直すが、彼は前世の記憶を引き継がないまま共に人生をやり直すのだよ」
「それって……」
「私が死ぬとこの世界も一度幕を閉じる。そして、私の復活と共にまた物語が始まるのだよ」
「……」
「私は、この絵の中に閉じ込められ、永遠を、掴まされたのだよ――」
ヨーゼルト公爵はそう言うと目頭を抑え「他にもいろいろと疑問に思うことが多々あるだろう。真淵、後は頼んだぞ……」それだけ告げると部屋を後にした。
「村上君、情報が多すぎて頭がパンクしていると思う……」
真淵さんは僕の肩に手をかけ、左右に首振り告げた。
すべて真実なのだと――。
僕は疑問に思ったことを尋ねた。
貧民街で真淵さんは言った。
フルールがこの世界で幸せに暮らしていける環境を整え、後見人も考えていると。
でも真実を知ってしまうと、あの発言はいったいなんだったのか――。
「あの時点で私は、ヨーゼルト公爵の考えを知らなかったのだよ。フランチェスカとエリーヌ、それにフルールちゃんがこの世界を離れることを」
「えっ!?」
「つまり『三人を辺境の地へ送る』とは、この世界から逸脱するという意味――」
「って、そこに執事のヨーゼフさんは入っていないのですね……」
「彼は、残ると言ったよ。この世界に」
「……」
「もう一つ、君が聞きたいと思うことは、何度も人生をやり直しているのなら、この街の情報を集めさせ『事』の資料を作らせなくてもすべてお見通しだったのでは? 違うかな?」
「その通りです……」
「それは、私も公爵に尋ねた」
「なんて答えたのですか?」
真淵さんは深く息を吸い天井を仰ぎ言った。
私たちが来たことによって予想外の事象が起きたためと。
?
「マーテルは自らこの世界に留まり、この世界の住人となった。しかしそれはアルテミット伯爵同様、前世の記憶を引き継がない」
「引き継ぐのは公爵のみ……」
「問題は私たちが来訪したことでマーテル、いやマサルが、ヨーゼルト公爵を裏切った。それは、これまでにないことだった……」
「あぁ……」
「公爵はいずれ老衰で死ぬだろう。しかし、次に復活したとき、マサルの裏切りを知ったうえで、彼と接しなくてはいけない」
「……」
「公爵は言われた。ここいらで物語に、幕を閉じてもいいだろうと――」
ふと足元を強く掴まれる感覚がきて足元を見ると、床に座り僕の脛を抱きしめるフルールの姿があった。
「ユウリお兄ちゃん、あたしはむずかしいことよくわからない。でも、あたしはずっといつまでも貧乏なままなの?」
「……。この世界にいるかぎり、そうなる……ね」
「そんなの……」
僕はみんなを前に言った。
今日の夜はフルールと一緒に寝ると。
その言葉に誰も反対はしなかった。