古都 オラディアの空は露草色 その20
「――ということなのよぅ」
「何ヶ所か、わからないところがあって……」
桃乃さんは一生懸命伝えようとしてくれた。
ただ、ちょっと微妙にわかりづらい。
「桃乃ちゃん、詳しい内容は真淵さんにお願いしましょ」
「そうだね、それがいいかもー」
「でね、お花を摘みに行きたいの。一緒に行こうね、桃乃ちゃん」
「え~、ひとりで行ってくればぁー」
「行くのっ」
そう言って水野さんは桃乃さんの耳を引っ張りながら部屋を後にし、いつもの日常が戻った感があってホッとする。
たかが数日ぶりのことなのにどこか懐かしくて温かくて、それは忘れていたなにかで、そしてとても昔のように感じた。
「村上君のことを、気遣ってくれているのだよ」
「そうみたいですね……」
「桃乃ちゃんの説明でなにか不明な点や質問はあるかね?」
「何点かありますが、ただ……質問とかじゃなくて……水野さんはどう思っているのかなって……」
僕は素直に尋ねた。
「あぁ、その点は君が思っているより、深く傷ついてはいないと思うよ。なぜなら、一番の被害者でもあるからね」
「まぁたしかに……」
「娼館では昼夜問わず言い寄られ、うんざりしていたと言っていたしね」
「言っていましたね……」
「監獄に赴き『全力でグーで殴るっ!』と、言っていたくらいだから大丈夫だよ」
水野さんの心は傷ついた。
でもそれは軽度ですんだみたい――と思いたい。
「君が気に病むことはまったくない。なぜなら、彼は少しばかり幽閉後、辺境の地に送られそこで残りの人生を過ごすことになっている。軽いものだ」
「ええ、さきほど聞きました」
「そういうことだ。さて、私も少し用事ができた――ということにして小一時間くらい外出してくる。甘いお菓子と温かい紅茶でも飲みながら、気持ちの整理をするといい」
真淵さんはそれだけを言い残し、部屋を後にした。
さっきまで慌ただしかった室内は一瞬にして静まり返り、それは僕の心持ちにリンクしていた。
テーブルに置かれたクッキーをつまみ口に入れ、紅茶にも口を付ける。
温かくて甘い香りに、ただただ癒される。
僕は紅茶のカップ片手にヨーゼルト子爵が座っていた窓際の椅子に腰を下ろし、曇りガラスの向こうに視線を向けた。
眼下に見える街並みはいつもと変わらない様相で広がり、それがなんだかとても気持ち悪く感じそれはきっと、自分だけこんなに悩んでいるのに、なにも変わっていない日常がのほほんとあることに苛立っている――。
自分でもなんとも理不尽な物言いだなって思うも、しかたない。
だって、そう考えてしまうのだから――。
『水野君と桃乃ちゃんの存在が彼を狂わした――それは事実。私も子爵もこうなることを、予測できなかった』
ヨーゼルト子爵が部屋を退出し開口一番、そう真淵さんは口にした。
隣で二人は黙ってそれを聞いていた。
なんてことはない、マーテルさんは恋心になって周りが見えなくなって、やらかした。
西洋金髪美人に囲まれ皆、頭を下げ恭しくされることが日常になっていたからこそ、それの間逆ともとれる二人の存在はかなり新鮮なものだったと、容易に想像できる。
とくに水野さんのことを好いていた。
同じ日本人で、絵画を描く仕事へ理解があってさらに、歴史や美術の話しもできてなんとなく馬が合う。
それに若くてかわいい。
そんな水野さんの近くに同年代の友人がいることに不満があったのだろう。
マーテルさんは隠者の箱船と命名した自分の隠れ家に、自ら火を放った。
正確にはゴロツキを雇い、付け火をさせた。
事の真相を耳にするまでヨーゼルト子爵が裏で糸を引いているものと、確信していた。
でも現実は違っていた。
自らの隠れ家に火を放ち、ヨーゼルト子爵と敵対するアルテミット伯爵に接近もしていて『事』のなかでキープレイヤーになっていた。
これは僕の落ち度でもある。
僕がまとめた危険な資料のなかにマーテルさんの情報はなかった。
ヨーゼルト子爵側の身近な人物ということで調べる必要はないと僕は判断し、情報を集めるようお願いをしなかった。
そしてマーテルさんのしたことは重罪で、本来なら親類縁者全員死罪らしい。
でも別の世界から来た彼に親類縁者はいない。
じゃあ、それですむのかというとそうもいかず、雇っていた執事のヨーゼフさんをはじめ、フランチェスカさんとエリーヌさんも死罪の範囲内。
それをヨーゼルト子爵は回避するためにも、辺境の地へ送り隠遁生活をさせるのが目的と聞いたとき、僕たちの世界と、こちらの世界は、やっぱり違うものだと肌で感じた。
そんなヨーゼルト子爵、そして真淵さんの二人とも、女子二人に伝えていないことが一つあった。
貧民街の隠れ家に火を付けたとき、室内に僕がいたことを。
あぁ、もうすぐこの都に夜が訪れる。
僕は、どこに流されていくのだろう。
◆◇◆◇◆◇
朝、目覚めると執事の人が部屋を訪ねてきて貧民街の子供が一人、裏口にいると言い僕は飛び起き寝間着のまま向かうと、地べたに座り込むフルールを見つけそのままギュッとした。
涙ぐむフルールを、僕は強く、とても強く抱きしめた。
「フルール、怪我とかない?」
「あたしは大丈夫。ユウリお兄ちゃんこそなにかされなかった?」
「僕も大丈夫だよ。変なことに巻き込んでしまってごめん……」
「なに言っているのもぅ……」
フルールの目元に浮かぶ涙を寝間着のシャツでそっと拭い、耳にかかる髪の毛をやさしく梳いた。
どこかで野宿をしたみたいで髪の毛に葉っぱや茎が絡み付いていて、一張羅のベージュのワンピースも土埃で汚れていて、別々になったあと、どうしていたのか容易に想像できて僕は聞けなかった。
「ユウリお兄ちゃん、裸足だよ……」
「っと……フルールこそ、靴がないよ……」
「どこかに、落としちゃった……」
フルールの履物は拾った物で、子供にしては二回りも大きい大人サイズの革靴。
きっと、逃亡後にどこかで脱げてしまったのだろう。
「フルール……フルールと一緒、おそろいだね!」
「……うん!」
「よし、こうしよう!」
僕は寝間着のシャツの裾でフルールの足の裏の小石や土埃を払いのけ、ヨイショと抱きかかえ立ち上がったら「キャッ!」とかわいい声を漏らした。
「朝ご飯、一緒に食べよ」
「え、お屋敷で?」
「そそ」
「……あたしみたいな貧民街の子、入れないよぅ……」
「大丈夫、僕が説明するから」
「……っと、無理。無理だよぅ。迷惑、かけちゃう……」
困惑するばかりのフルール。
「なら……こうしよう」
抱きかかえたフルールを地面に下ろし伝えた。
食べ物をもらってくるから、お家で一緒に食べよと。
目をまん丸に見開き驚くフルール。
「……うん!!」
このままここで少し待っていてと告げ、屋敷内へ戻ろうとしたら玄関先に女子二人が立っていて、猜疑心の視線を僕たちに向けていた。
「村上君……その子は、誰?」
「なにしてたのよぅ……」
フルールに向ける二人の視線、やさしいものではない。
「ユウリお兄ちゃん、この人たちは?」
「「お兄ちゃん!?」」
ハモる二人。
「妹のフルール」
「「はぁあぁぁぁ!?!?」」
なぜかすごく面倒なのでそのまま二人の横を通りすぎ屋敷内に向かう。
僕を追いかけるように二人は付いてきたけどスルーしてそのまま部屋に戻り着替え、その足で厨房に行き食料品を少し分けてもらい、ばったり会った執事の方に使い古した靴一人分と少しのお金を借りて裏口に向かった。
「村上君!? どうしちゃったの?」
「なにがあったのよぅ」
「ちゃんと説明して!」
「あたしと同じ年齢くらいの子、誘惑したの!?」
「ごめん、後で話すよ。じゃっ、子爵と真淵さんによろしく」
僕の言葉に唖然としたのか立ち尽くす二人。
だけどいまの僕には関係のないもの。
早歩きで裏口に向かう。
門横で体育座りをしてこっそり待つフルールに声をかける。
「待たせたね。さっ、帰ろう」
「だっ大丈夫なの?」
「問題ないよ」
「本当に?」
「子爵もわかってくれる。それより、帰ろう。僕たちのお家へ」
「……うん!!」
にぱぁと微笑むフルールの笑顔に、僕の心は洗われた。