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古都 オラディアの空は露草色 その19

 僕とフルールの逃避行は三日ともたなかった。


 貧民街から城壁の外へ抜けれる隠れ道であっさり捕まった。

 それでもなんとかフルールだけを逃すことができたのが唯一の救い。


「東洋には『輪廻』なる言葉があると――」

「……」


「若き頃、なにかの文献で初めてその言葉を知り得たとき、この国の風土には合わないと直感したものだ。それから何十年と立つが、その考えはいまでも変わらない」

「……」


「もちろん宗教絡みが一番の要因ではあるが、それ以前に根本的に合わないのだよ、価値観が」

「……」


「話しは逸れるが、水と油は決して混じり合うことはないと言われている。しかしそれは本当にそうなのか!? 答えはひとつだけなのか!? ややもすると、神々の領域なら、不可能ではないのではないか――。ワシは、この世界で考えられる最高の知識と技術と経験を集め挑み続けた」

「……」


「もう、何十年も昔の話しだ……」

「……僕に、いったいなにを伝えたいのですか?」


「そうだな、君は若い。例えるなら、春の息吹を肌で感じる頃、獣らは黄泉のひと冬から目覚め、数ヶ月ぶりに吸い込んだ生命の源に圧倒され、全身に生の喜びを感じる瞬間のようだ」

「まったくわかりません」


「それが若さというものだ」

「?」


「そう結論を慌て急ぐものではない」

「そうですか……。でも僕からすると慌て急いだのは、子爵あなた様ご自身ではないでしょうか?」


「どういうことだね?」

「簡単なことです。僕が作り上げた危険な情報が詰まった資料を元に『事』に及んだ。そして、僕や彼の人にも手を出した……」


「……ふむ、続けたまえ」

「僕は逃げませんし第一、逃げられません。それなのに……僕だけでなく――」


「君は、メビウスの輪というものを、知っているかね?」

「……っと、ヨーゼルト子爵様。僕は、あなた様がいったいなにを伝えたいのか、まったく理解できませんし、わかろうとも思いません」


「輪廻とメビウスの輪、性質に違いはあるものの根源的な部分は同じなのだよ」

「えっと……」


「この世界に足を踏み入れ『死神と二人のヴァイオリン弾き』の物語を、誰から聞いたかね?」

「マーテルさん――からです……」


「そうか……」

「……」


「ムカラミ――ユウリだったかな?」

「そうです」


「ワシは疲れた――」


 ヨーゼルト子爵はぽつり口にすると窓際にある椅子に座り、外の景色に視線を向けた。

 曇りガラスを通して日中のギラギラした日差しが射し込み、僕たちに容赦なく光りを浴びせた。


 室内の中央に置かれた椅子一脚に座る僕、なぜか緊張も怖さも畏怖の念もなくて自分でもびっくりするくらい冷静でいられそれはたぶん、覚悟が決まっているからなのだろうと思う。


「ワシの口からなにを話しても無駄だろう。暫し待たれ」


 ヨーゼルト子爵は弱々しい声でそう口にして、身体を椅子の背もたれに預け目を瞑り、天を仰いだ。


 マーテルさんの隠れ家でヨーゼルト子爵と初めて会ったときの第一印象は、年の割りには精老な雰囲気があって、周りの若い侍従たちを圧倒する気迫と威厳、気品を感じ、僕はオーラのようなものに飲み込まれたみたいで緊張していた。


 例えるなら、蛇に睨まれたカエル状態で、もっと正確にいえばカエル以下の芋虫レベルくらい。


 でも、いま目の前にいるのは、まったく違うただの一人の老人がいるだけで、椅子の背もたれに身体を預け、時折深いため息を付き、物思いにふけっていた。


 拘束されず、都から脱出もしていなく、こうして自分の屋敷にいることを考えれば『事』の勝者は明らか。

 なのに陰鬱な雰囲気がなぜ漂ってくるのか、まったくわからない。


 重苦しい空気が流れるなか、僕は気になっていたことを一つ聞いてみた。


 あなた様は画家なのですかと――。


「なぜワシが画家と?」

「あなた様から臭い立つのです。マーテルさんと同じ臭いが」


「ほぅ……」

「誤解なきよう言えば、絵の具の臭いでしょうか。それに、左手の指に拭き取れなかった絵の具が微かに付着しているのも見受けられます」


「さすがは、あちらの世界の住人だな」

「あくまで僕の推測ですが、マーテルさんは、あなた様のお弟子さんではないでしょうか?」


「……隠し事はできないものだな」

「否定はされないのですね」


「あぁ」

「マーテルさんにとってあなた様は師匠であり、こちらの世界で頼りになる存在の人。そして唯一、僕たちが違う世界からの来訪者と知るお方でもあり、僕たちが持参したお土産をマーテルさんから手渡された方でもあります」


「その通りだな」

「では、なぜ……。なぜ、マーテルさんを……」


「…………」

「……」


 長い沈黙と静寂が室内に広がる。


 ヨーゼルト子爵は僕と目を合わせることなく、ただ窓の外へ視線を向けるばかり。

 時折、目を瞑りなにか考え込む様子。


「旦那様、お連れいたしました――」


 部屋の外から聞こえる声。


 しかしヨーゼルト子爵は返事をしない。


「旦那様――」

「……」


「返事はありませんが室内への入室、致します」


 木製の重苦しいドアは静かに開き、黒いタキシード姿の一人の細身の老人が立っていて、(うやうや)しく一礼をして室内へ足を踏み入れた。


「旦那様、ご用意ができました」

「……そうか。ではワシは席を外そう」


 そう口にするとヨタヨタと立ち上がりドアのほうへと歩き出し、執事に「あとのことは頼む」と告げて部屋を後にした。


「子爵様はどちらに?」

「制作途中の絵を仕上げるため、離れのアトリエに向かわれたかと」

「そうですか……」


 そして、子爵と入れ替わるように開いたドアの先にみんなの姿があった。


「子爵から君が無事と聞いて安心していたところだよ」

「村上君、怪我ひとつなくてほんとうに良かった……」

「佑凛お兄ちゃん、お帰りなさい……って変な挨拶だね……」


 真淵さん、水野さん、桃乃さんたちはやさしく笑みを見せ、僕も小さな笑みをひとつ、返した。


 いろいろあって久しぶりの感動の再会なのに、どこか僕たちは心から素直に喜べない現実があり、戸惑いと、残念に思うものがあって二の次がでなかった。


 マーテルさんは監獄に幽閉された。


 ヨーゼルト子爵の手によって――。


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