古都 オラディアの空は露草色 その15
僕には知識がある。
足し算や掛け算、面積を求めたり複雑な計算だってできるし、太陽や月の動きだって、空に浮かぶ雲の説明だってできる。
ほかにも、窓になぜ結露が発生するのか、空気や二酸化炭素の存在だって説明できて、甘くて美味しいお菓子も作れる。
そう、現代社会で知りうる万物の仕組みを雄弁に教え語ることができ『知識』を武器に貧民街で無双――。
しかし現実は、一杯の具無しスープにも値しないものだった。
「そこの坊主たち、次の区画もおまえたちがやれ」
「はっはい!」
「昼の時間までに終わらせろ!」
痩せ細り腰の曲がった中年の掃除屋の元締めは檄を飛ばし酒場の中へと消えていった。
「ユウリお兄ちゃん、もう少しだよがんばろ」
「だね」
僕が先導になり木製の手引き車を引っ張り、フルールを含めた小さい子供たち五人が後ろから押していた。
みんな薄汚れた貧民街の子供たちで髪はボサボサ、親指が見え隠れする穴の空いた革靴を履いている子、フルールも痩せているけどそれ以上に状態の良くない子たち。
「次の細い路地を右に入ったら回収するね」
「ほいな」
細い路地に入ると木製のバケツが数個あり、その前で手引き車を止め、フルールと同年代の子たちは無言でバケツを手に取り、中身だけを手引き車の中へ空け入れた。
ツンッと食べ物の腐った臭いが立ちこめるも誰も声を漏らさず黙々と生ゴミを手引き車の中へ空け、子供たちはなにか食べれそうなものがないか確認するけど、ここもハズレだったみたいでなにもなかった。
「フルール姉ちゃん、あと三ヶ所。あるといいね」
「きっとあるよ」
「パンとかお菓子があるといいなぁ」
「あたしは服とか布がほしいなー」
「なんで?」
「床に敷く布団にしたいの」
「あー、フルール姉ちゃんちは木の床だから背中が痛いものね」
「そそ」
子供たちの会話を耳に入れながら黙々と手引き車を引く僕。
フルールによると今回の仕事は進みが早いそうで、いつもの半分くらいの時間しかかかっていなく理由はと言えば、僕が手引き車を引いているから。
フルールはこの仕事をたまに請け負い、同年代の子たちと一緒に街中にある置き場を巡りゴミの回収と清掃業務をしていると。
仕事の割りに貰えるお金は少ないけど小さい子供たちにとって人気で、だからたまにしかありつけない貴重な仕事。
なぜ人気なのか、それは回収物のなかに様々なお宝があるから。
ヒビの入った食器や食べかけのパンや果実、破れたり汚れたりした衣服や寝具、ほかにもまだ使えそうなものがあってそれらを直したりして売ったり、物々交換の品として利用する。
なんでも掃除屋の元締めは昼間から呑んだくれのどうしょうもない人だけど、貧民街のなかでもとくに、困窮する人たちに優先的に仕事を回してくれる人。
だからいい人とみんな言っている。
「ユウリ兄ちゃんってすごい、魔法使いみたいだね」
「なんとなく、なんとなくやってみたらうまくいっただけだよ」
手引き車の側面に手をかけ押す男の子はそう言ってにぱぁと笑った。
早朝、仕事を斡旋してもらう場所にいったところ、十台程度のゴミ回収手引き車があったけどすでに使いやすい手引き車は他の人たちに取られていて、一番人気のないこの手引き車を選ばざるおえなかった。
車軸が微妙に曲がり、車輪も四つともに動きが鈍く押すにも引くにも力を使い、どうも壊れた荷馬車を改造したものらしく、元々は馬が引いていたものだからか人間には適さなく重くて使いにくい。
手引き車を引いてすぐに原因はわかり、最初のゴミ置き場に偶然捨ててあったなにかの油を車軸と車輪の擦れ合う箇所に潤滑油として注したところ、別物と化した。
さらに左右のゴミが落ちないように止めてあった板も取り払い軽量化。
代わりに植物の蔦で編んだヒモでゴミを縛り、落ちてしまったゴミはその都度、誰かが拾うことにした。
ほかにも子供たちに手引き車を押すときのコツを教え、身体の体重を乗せ押すように伝えた。
予定より早く終わる作業内容を確認した元締めは気分を良くして、隣の区画もやると言い、いまこうして回収に向かっている。
「次の場所は楽しみだね」と、手引き車の右側面を押す女の子。
「あのお店は繁盛しているからきっとあるよー」と、手引き車の背後を押す女の子。
「だよー」と、手引き車から時折こぼれるゴミを回収する女の子。
「ユウリお兄ちゃん、次の角を左に曲がると斜め右にある細い路地に入って」と、隣で手引き車を引くフルール。
慣れないことをしているため体力的に限界がきているけど、みんなのがんばる姿を見ていると弱音は吐けないし見せられない。
『働く喜び』そんな言葉をテレビで見た気がして『変な言葉』ってそのときは思った。
働くことは大変なのに、楽しい!?
なにもかもわからない言葉。
そう、そのときは。
『働く喜び』
いま僕は経験していて、心の内に広がる充実感がきっと、その言葉の意味だ。
自然と手引き車を引く力に根性が入る。
時折投げかけられる一般人からの視線さえ感じない。
「斜め右の~細い路地にぃ~入ってと~」つい変な鼻唄交じりの僕。
貴族の住む区画に近いせいだろうか、この区画の石畳みはきちんと整備されていて手引き車がガタガタしなくて助かる。
手引き車を押すことによって、一般人の住む場所でも差があることに気付いた。
「ユウリお兄ちゃん、先に見えるくぼみのところに止めて。あたしたちが運んでくるね」
「ほいな。くぼみに止めてとぉ~」
手引き車をくぼみに入れ止める。
みんな、ワラワラと薄暗い路地の先に向かった。
あれ、この場所は――。
ジッと路地の先を見つめると、ゴミ置き場があってみんなが小踊りしていて(お宝があったのかな?)木製のバケツや木の箱を両手に抱え、こっちにパタパタと走ってくるのが見えた。
「いっぱいあるよっ!」
そう元気に言ってフルールたちは僕に中身を見せた。
みんなが持ってきたバケツや木の箱のなかにはパンや焼けた肉、紙に包まれた食べ物もあって状態も悪くない。
「なにかパーティーか催し物が中止になってそれが捨てられたんだと思う」
「こういうことってよくあるの?」
「たまーにあるけど、ここまでいいものがあるのは初めてなの!」
「これなら余裕で長老様に返せるね」
「うん!」
それから僕たちは急いでゴミの集積所に向かい仕事を片付けると、そのままみんなで長老様のところに行って、助け合いでもらった分以上のものを渡した。
その後、食べ物を均等に分け、子供たちとはそこで別れた。
橋の下のお家に帰る足取りは軽く、隣でフルールは鼻唄まじりになにか歌を歌っていた。
僕もつられヘタな鼻唄まじり。
当分のあいだ食べ物に困らないのは精神的に助かり、しかも衛生面もいい。
これなら数日は持ちそうだ。
「今夜はふんぱつしてたくさん食べちゃう?」
「たまには贅沢もいいかもね」
「だね」
にぱぁと微笑むフルールに、僕は言えなかった。
あのゴミ置き場に食べ物を破棄したのは、僕たちが初日に訪れたあの酒場。
言われるままに通された酒場で僕は、口に合わない肉や小麦粉の料理を残した。
それは、少し焼き焦げてたり辛かったり、不衛生だったから。
そしていま、僕たちの懐には、そのとき以上に焼き焦げ不衛生な食べ物があって、それをフルールは大切に抱きかかえていた。